古本屋になりたい:37 イプセン「人形の家」
先日、実家の部屋の片付けをしに帰っているという友人から、「高校の時のプリントが出てきた。〇〇さん(私)は、イプセンの「人形の家」を紹介してました」とLINEが来た。
そうそう。懐かしい。
私は、今も本棚にある新潮文庫の「人形の家」を取り出して写真を撮り、
「付箋貼ったまま、まだ持ってる!」
と添付して返信した。
詳しいことは忘れてしまったが、家庭科の課題だったことはぼんやり覚えている。リストにある本を読んで発表するというシンプルな課題だった。
家庭や生活に関する本がフィクション・ノンフィクションとり混ぜてリストアップされていた中から、イプセンの「人形の家」を選んだのだ。
私が通っていたのは歴史の長い女子校だったが、いわゆる良妻賢母を育てようというつもりはないようだった。家庭科の授業はあるにはあったが、料理も裁縫も、実技は何も教えられなかった。
高校で家庭科の授業があったのは、たしか二年生だけだった。
中学から上がってきた友人によれば、中学校舎にはちゃんと家庭科室があり、調理実習やミシンを使った裁縫の授業もあったそうだ。
*
時間割に家庭科の文字を見た時、この高校の家庭科って一体何をするんだろうかと私は思った。
期待というほど強い感情ではない。一年通えば自然と分かってくる、ああ、うちっぽいねえ、と口をついて出ることになるだろうという、予感くらいのものだ。
家庭科の授業は、私の予感よりさらにずっとそっけないものだった。
教科書のページをクラスの頭数で割って、ひとりひとり割り振られたページについてまとめて発表する、というのが一学期の授業内容だったのだ。
さすがに先生の手抜きじゃないかとは思った。生徒は毎朝の礼拝で順に前に出て話す機会があり、発表形式であること自体は、みんなそれほど抵抗感を持たなかったと思う。
私に振られたのは、住まいに関するページだった。
中学の終わり頃から「ティーンの部屋」と「私の個室」というティーンエイジャー向けのインテリア雑誌を愛読していた私は、そこで得た、部屋を広く見せたりスッキリ見せたりするための知識を織り交ぜて発表した。
天井の色より絨毯の色を濃くすると部屋が広く見えるとか、そういう初歩的なことだ。
そして、二学期。
一学期と同じような研究発表形式の授業で、私は「人形の家」を読んだ感想を発表した。
今改めて自分が貼った付箋を見ても、当時の私が何を思ってどんなことを発表したのか、少しも思い出せない。
十箇所に、薄い黄色の付箋がただ貼ってあり、線引きもメモ書きもない。
*
ノルウェーの劇作家イプセンの戯曲「人形の家」は、ざっとこんな話だ。
主人公のノラは、三人の子を持つ可愛らしい女性だ。金使いが荒いが、自分のためではなく夫や子どものために使っているのであって、無駄使いをしているわけではないと信じ込んでいる。
夫のヘルメルは弁護士で、最近銀行の頭取になった。生活がぐっと豊かになったことにノラは有頂天で、困窮している知人の前で自慢していることに気づかない。
ノラには秘密があった。夫が体調を壊して暖かい南で静養することを医者に勧められた時、わざわざお金のかかるイタリアを療養先に選び、その費用を捻出するために父の名前を使ってお金を借りた。父は数日前に亡くなっており、ノラが父の字を真似てサインをし、お金を借りたのだった。当時、女性は公的機関からお金を借りることができなかったので、父のサインを偽ったのだ。
夫にはずっと黙って来たのに、ノラに金を貸した人物が現れ、夫に黙っている代わりに自分の地位を保証するように迫られる。
結局秘密を知ってしまった夫は、ノラを罵る。なんだかんだで事件は解決し、夫は再びノラを受け入れようとするが…。
*
以下、高校生の私が付箋を貼ったところを、いくつかご紹介したい。感想や意見は、現在の私のものだ。
家族のために余計な買い物をたくさんして帰って来たのを、ノラが、とっても安かったのよ!と夫に説明しているシーンだ。
金遣いの荒さを可愛らしさで包んで誤魔化しているノラを、経済的に余裕ができた夫のヘルメルは、笑って許す。
お次に、偽装して借金したことを黙っている代わりに、夫の銀行で働く部下としての地位を保証してくれと半ば脅されたノラが、その部下を庇おうとして失敗するシーン。
部下は、ノラと同じように、かつて偽署をして会社を欺いたことがある。夫のヘルメルはまだ、ノラが同罪だとは知らない。
ノラは、人の堕落の原因を当然のように母親に求めている夫の言葉に動揺する。
ただ、この時点では、ノラは、自分のした借金と偽りの署名が、「あたしのかわいい子供たちを悪くするーー!」と蒼ざめているだけだ。夫が、母親と一括りにして、母親が一人一人違い、それぞれに人格をもつものと見ていないことに、疑問を感じていない。
そして、全てがバレた時。
社会的地位を脅かされることを夫は恐ろしく嫌うだろうと、ノラは予感していた。だから無理をして借金したことを言えなかった。
ヘルメルは、以前は母親のせいにしていた子供の堕落を、今度は父親のせいにしている。ノラの父の悪い性質を見極めなかったことを悔い、自分は罰を受けなければならないのかと憤慨している。
ノラは、「冷ややかに落着いて」いる。
玄関の呼び鈴が鳴る。
部下がバラした事実を引っ込めたのだ。ヘルメルは助かったと喜ぶ。
表沙汰にさえならなければ、自分の社会的地位さえ脅かされなければ、妻が偽って体裁の悪い借金をしたことが明るみに出なければ、ヘルメルにノラを責め続ける理由はないのだ。
これできれいさっぱり片づいた、とノラを許し再び迎え入れようとするヘルメルを、ノラは拒否する。
そして、許してくだすってありがとうございます、と部屋を出て行こうとする。
ヘルメルの悦に入った一人語りをよそに、ノラは着替えを済ませる。
ノラは、三人の子供も置いて出ていく。その点は現代でも賛否があるだろうが、そもそもノラが悪いんじゃないか!という人もいるだろう。偽のサインでお金を借りたのはシンプルに犯罪で、転落のスタートは自業自得と言えなくはない。
しかし、ノラの場合こうでもしないと、夫の翼のもとで守られているらしい事の、不自然さと押し付けがましさに気づけなかったのだろう。
自分の父の愚かさも糾弾して出て行ったノラ。そのノラが残して行った三人の子を、父としてヘルメルはどう育てただろう。
*
良妻賢母を育てるつもりのなさそうな母校ではあったが、だからといって、自立心の強い女性を育てようと、常に先生方が意気込んでいたというわけでもなかった。
少なくとも私がいた頃はただただ自由な校風だった。
スカートは短くても良くて、指定とは違うバッグや靴で登校した。
パーマを当てたよとか、お化粧可愛いでしょとか、生徒たちは先生によく見せに行っていた。私はパーマもお化粧もしていなかったけれど、日常の風景として当たり前のようにそれらを受け入れていた。
宿題も補習もあまりなく、私立に行けばみっちり勉強させられて予備校に行かなくても大学に行けるに違いない、という私の目論見ははずれた。
呑気な私は全然勉強しておらず、三年生になってようやく焦り始めた。
数学で赤点もとったし嫌なこともあったはずだが、不思議と忘れてしまうものだ。
自分に女の子がいたらうちの高校行かせるわぁ、などと友人と話したりもする。
仕事で、高校の古典の先生と再会したことがあった。
先生はもう他の学校に移っていて、だってあの学校大変でしょ、と言われた時には申し訳ない気がした。
みんな元気で自由でわがままで、先生にも言いたい放題だった。生徒は楽しかったけれど、先生は大変だったのだな、とおとなしい生徒だった自分を思い出す。
いや、私は全然おとなしくはなかった。
英語の宿題を提出しなかった。
「金田一少年の事件簿」に熱中して、授業も聞かず友達と推理合戦をした。
授業中に早弁もしたし、プールの授業は一回しか出なかった。
高校時代の私が、私史上一番わがままだっただろう。
一斉に同じことをやれ、と言われなかったのが良かったのかもしれない。全員が「人形の家」を読み感想を提出するという課題だったら、反発を覚えていたのかもしれない。
リストにあったとはいえ、私がそれを選んだのだ。
世間知らずの高校生だった私が、「人形の家」を読んでどんな感想を持ったのか、何も思い出せないけれど、今また本棚から取り出してみる気になったくらいには、私に何かを残してくれたようだ。