エッセイ : 僕が生きた昭和という時代 3 伝説の女優さん達が大活躍しジェームズ ディーンが輝いた1950年代のアメリカ(昭和25年〜昭和34年)

1950年、世界的大事件が起きた。朝鮮戦争の勃発だ。これにより1950年〜1953年まで、
朝鮮特需が生まれ、日本経済は復活する。そして、
1955年〜1974年までの19年間も続いた  
高度成長時代へ日本は進んで行く。

大島渚監督が戦場のメリークリスマスを制作した後
テレビの討論番組に出演された時、こんなことを
仰った。
「俳優として大成する男は動物に例えると犬ですね、デビューしたばかりのジェームズディーンは、路地裏の捨て犬のようだった、と言われています。
女優として大成する女性は動物に例えると猫ですね。そして、その次が鳥ですね。」

1974年、僕は中学1年生でブルース リーの
全盛期だった。男の子たちは、ドラゴン怒りの鉄拳ドラゴン危機一発、燃えよドラゴンの映画を観て、
ブルース リーに憧れ、ブルース リーの様な身体になるのだと、みんな筋肉を鍛え、自慢しあっていた。
僕はそんな友人たちを尻目に、自分の憧れのスーパースターに夢中だった。
その人の名前はジェームズ ディーン(通称ジミー)
テレビの映画番組で、理由なき反抗という映画を見た。主役を演じていたジェームズ ディーンを見て
こんなカッコいい人が世の中にいるのか、と思った ジェームズ ディーンは今の若い人たちが見てもカッコいいと思うと思う。
その後、大学生だった従姉妹のお姉さんが僕に映画館で、ジェームズ ディーン主演の、エデンの東という映画を見せてくれた。
理由なき反抗で不良青年を演じていたジェームズ ディーンは、父親との関係に苦悩する青年を演じていた。ジェームズ ディーンはいろんな役がこなせる、演技の上手い人でもあった。
ジェームズ ディーンは僕の憧れのスターとなった。

半年後、テレビの映画番組で、ジェームズディーンが準主役を演じた映画、ジャイアンツを見た。
ジェームズ ディーンは青年期から壮年期にかけての
1人の男を見事に演じ切っていた。ラストに近いシーンで、ジェー ズディーンが酔っぱらいながら演説し、演台ごと客席に落ちるシーンは圧巻だった。
だが見終わると母親が、ジェームズディーンは
デビューして僅か半年後の、1955年に交通事故24歳で亡くなった伝説の俳優だと教えてくれた。
僕が憧れたスーパースターは、その時既に亡くなっていた。
僕はジェームズ ディーンが残した言葉、
永遠に生きるつもりで夢を抱け、
今日死ぬつもりで生きろ。
を今でも座右の銘にしている。

ジェームズ ディーンが活躍していたのが1950年代、この頃大活躍していた俳優さんは、マーロン ブランド、ベン ハー、十戒、SF映画の猿の惑星でお馴染みのチャールトン ヘストン等だ。

1950年代は、ハリウッドで伝説の女優さん達も大活躍していた。
ジャイアンツにも出演していて、ヴィヴィアンリーと世紀の美女を競い合ったエリザベス テイラー。
この人の名前を知らない人はいないと言われているマリリン モンロー。
妖精の如く現れたオードリー ヘップバーン。
後のグレース王妃、グレース ケリー。
映画カサブランカでヒロインを見事に演じた 
愛に生きた美しき女優、イングリッド バーグマン。
(僕がヴィヴィアンリーの次に好きな女優さん) 
ハリウッド史上唯一オスカーを4回受賞した 
アメリカ映画史上1の名女優と言われている 
キャサリン ヘプバーン。
キャサリン ヘプバーンのことを知らない人が意外と多いが、若草物語、旅情、アフリカの女王、黄昏、
招かれざる客で名演技を見せた女優さんだ。
女性ファンも多く、キャサリン ヘプバーンに憧れた当時のアメリカ女性達は、キャサリン ヘプバーン
愛用の香水 ゲランの名香 夜間飛行をつけていた、
という話を聞いたことがある。

1960年、イギリス出身のバンド ビートルズは
ドイツのハンブルクのライブハウスで下積み時代を送っていた。
その2年後、僕が生まれた1962年、ビートルズは華々しくデビューした。





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