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『我が家の新しい読書論』6-3

ESくん
 安定のUNCHI CAFFEEだね。おつかれ~

EMちゃん
 おつかれー、予定通り終わったのね仕事。

ESくん
 うん、でも今日もハードスケジュールだったよ。つかれた~、お腹がペ
コペコだ。食べよ食べよ。

EMちゃん
 そうね食べましょう 。渓太くんと私はウォーターヌードルとカフェラ
テにした。

ESくん
 じゃあボクはそれのゆずにしよ、それとアイスコーヒー。EMちゃんは
今日は仕事は?

EMちゃん
 今日は休み。だから温泉行って、この辺りでゆっくりとお買い物してた。
ほれ。

ESくん
 本当だ。渓太くんは仕事だね。手がインクまみれだ(笑)

網口渓太
 本当だ。今日はまとめてお客さんのカルテにコメント書いてたからね。
んで、たまたまお休み中のEMちゃんとばったり会って今この状況だね。

ESくん
 渓太くんの本のお店である「月一二冊」はもっと知ってもらいたよね。
まぁ、本人がどう思ってるのかは知りませんが(笑)

網口渓太
 「月一二冊」は網家の活動拠点だからね。たくさんの読書人たちの本と
人との出会いの場でもあって欲しいから、少しずつ広まっていくと嬉しい
ね。でも、だからふたりにもこのビジネスモデル毎引き継いで欲しいんよ。
二号店三号店と。たとえ副業でも看板を分けるつもりよ。

選書本屋「月一二冊」のウェブページ

EMちゃん
 そりゃやりたいわよ。だってなんたって読書が仕事になるんですもの。
今後の展開も実践的だし、横で見ていて楽しそうよ。稼げはしないでしょ
うけど。それも狙いでしょ(笑)

ESくん
 渓太くんはやることなすこと全部計算だからね。でも、ほとんど広告を
うってないけど、注文は来てるの?

網口渓太
 全部編集的だからって言ってよ(笑) うん、インスタを見て面白そうだ
からって感じで、そこそこ来てると思うよ。あと想定はしてたけどぼちぼ
ち固定客がついてき始めて今がまさに火の車の中だよ(笑) 夕方まで働き
詰めだったから、こっからはゆったりするよ。

ESくん
 おもてなしし過ぎなのよ(笑) 顧客単価を上げたらいいのに。

網口渓太
 充分充分。おっ、来たよラーメン。すするぞすするぞ。

 近代人は遊戯者である。ただし、この上なく不幸な遊戯者である。彼は
遊ぶというよりも遊ばされているのであり、遊戯という苦役を背負わされ
ているのであると言わねばならない。それでは、真に悦ばしい遊戯の場は、
いったいどこに見い出されるのだろうか。
 この問いに対する解答として、先に見たような前近代モデルを想定する
者は、決して少なくない。そこではいきいきとした歓びをもって遊戯が体
験されていたのではなかったろうか。空間的・時間的な制限はある、しか
し、まさにそのことこそが興奮の密度を高めていたのではなかったろうか。
こうした解答は、言うまでもなく、言葉の真の意味において反動的である。
実際、いま述べたことを逆転すればわかるように、そこでの遊戯の歓びは
空間的・時間的な制限を受けいれた上ではじめて体験されるものだったの
であり、そうした制限を課す絶対的秩序の優越をいささかもゆるがすもの
ではなかったのである。監視が厳しいほどイタズラのスリルが増す、日常
の規律が厳格であるほど祝祭の興奮が高まる、禁止されているからこそ侵
犯の快楽が身を灼く、といった愚にもつかぬ「弁証法的関係」、いやむし
ろおぞましい共犯関係は、そのような秩序のもとでのみ成り立つものだっ
た。そのとき遊戯は、秩序の安全弁として機能するための、あるいはせい
ぜい秩序を再活性化するための、「スプーン一杯の混沌」へと墜してしま
うことになる。
 まさしくここで、ニーチェ、この偉大なる遊戯への誘惑者のもつ重大な
アクチュアリティに注目しなければならない。今日ドゥルーズ=ガタリが
最大級の重要性をもっているというのも、彼らがこの面におけるニーチェ
の裁量の後継者と目されるからにほかならないのである。彼らは明快に断
言する。真に遊戯するためには外へ出なければならない。してみると、遊
戯の場を求めて前近代モデルの如きものへと遡り、そうした秩序の中へ這
い戻ろうとするのは、安全な転倒だと言わねばならないのである。近代は
そのような秩序からぬけ出した。しかし、問題は、まだ十分によく外へ出
てはいないという点にある。外出よ。さらに外へ出よ。これこそが彼らの
誘惑の言葉である。

                        『構造と力』浅田彰

 みんなと寄ってたかってお金儲けを目指すより、ひとりでも淡々と新し
い世界像を生きている方が有意義だからね。いつまでもモダンの構造でや
っていてはね。ポストモダン以後の世界観をみせなきゃダメだと思うよ。
ハイパーでも語っているけど、自分たちでやらないと、待っていたら死ぬ
まで、知らん誰かの夢の中だよ。ボクは「月一二冊」で。自分たちがきっ
かけになって、自分たちのあずかり知らぬところでつながりが生まれて、
新しいコンテンツとかスタイルとか、場が活き活きしていることを時々知
るができたら最高の気分だろうね。

EMちゃん
 本当根っからのアーティスト体質よね。まるで『チーム友達』ね。

ESくん
 こうやってこうやったからモダンからポストモダンが実装された世界へ
移行できました、みたいなアプローチじゃ一生できない気はするよ。渓太
くんが言うように、自分のあずかり知らぬ場所を半分コントロールしてい
るような、コントロールじゃないかもしれないけど、そういう感じなんだ
よな。浅田彰先生も40年前から、プレモダンでもモダンでもなくポストモ
ダン的世界をって書いてたんだな。

網口渓太
 そうそうアナロジカル・アプローチ。本との付き合い方だったら、この
本の第三章がめちゃくちゃ好きだからずっと愛読しています、みたいなそ
んな人が増えるといいよね。あとそんな風に読める本も増えるといいよね。
ボクも新井英樹先生の『ザ・ワールド・イズ・マイン』の二巻のある章は
涙無しに読めないとかあるよ。

EMちゃん
 外へ出よね。別名内の内。

ESくん
 意味がない無意味とかね。

網口渓太
 その通り。昨日さ、BappaShotaさんのジャマイカ篇の動画を観てて、
レゲエの神様のボブ・マーリーが育ったトレンチタウンっていう貧困街の
様子を撮影した動画だったんだけど、やっぱこうだよねって思ったんだよ。
夜のストリートで、爆音の音楽をBGMにして、お酒を片手に持ちながら、
その場にいる人みんながかわるがわる即興で作った歌を披露しながら、夜
を楽しんでんのね。生活は楽じゃないだろうし、歌の歌詞も自分の生活の
苦しさを歌っていたりするんだけど、活き活きしていて画面越しからでも
パワーを感じたんだよね。そんでこのパワーのようなものを自分の周りで
感じられているかってね。

EMちゃん
 彼らの歌がチャートを飾って、大衆に影響を与えることはないかもしれ
ないけど、異文化異言語を持つ渓太くんがキャッチして、また私たちにも
パスが回ってきている。

ESくん
 まるで読書のように。何か新しい読書論ぽいね(笑) 日本だったら、新
宿でずっと句会をされている屍派の集まりが、ジャマイカっぽいと思う。

俳人が作ったもっとも素晴らしいものの一つに句会がある。公正公平で知
的ゲームの最高峰であると思う。俺が家元を務める屍派の句会はその句会
からそぎ落せるものをすべてそぎ落して、最短で最速のゲームに仕上げた
つもりである。いまから屍派句会のやり方を説明しよう。これさえ覚えて
おけば他の句会に出なくてもよい。

一、人数

 当たり前のことだが、句会は一人ではできない。二人でも、自分以外の
句が相手の句だとわかってしまうので面白くない。句会がエキサイティン
グなのは無記名で誰の句かわからないまま会が進行することである。俺の
句がぼろくそに言われることもあるし、作者がわからないから遠慮なく好
きなことを言えるのである。
 かといって三〇人になると人数が多過ぎる。公民館などを借りて行われ
るわゆる俳句結社の句会は二〇~三〇人ぐらいの参加者が一般的だと思う。
主宰や主要同人がメインに解説し、他の参加者は黙って話を聞いているこ
とが多い。これではいかにもお勉強である。何時間も黙っているのは精神
衛生上良くない。俳句なんか、なんだかんだと文句をつけているうちに覚
えるもんだ。
 俺的には一〇人前後がベストだと思う。そのくらいの人数なら居酒屋に
だって集まれる。屍派の句会もほとんど一〇人前後だ。もっとも天守閣
(俺の運営する「砂の城」の4F)は一〇人も入れば足の踏み場もなくな
るけど。
 メンバーは一人は上級者を入れた方がよい。下手くそ同士で集まっても
意味がない。麻雀は一番下手な奴のレベルで卓が進行するが、句会は一番
上手な人のレベルで会が進行していく。これが俳句における「座」の魔力
だ。

二、場所・道具

 句会の場所はどこでもいいが、できれば酒が飲めるところがいい。酒は
心を饒舌にし、頭を活性化させる。酔いつぶれたら抜ければいい。やり方
は追って説明するが、入退場自由なところが屍派句会の画期的なところだ。
句会は最終的には自分のためにやるので、進行の邪魔にならねければ、ど
んな態度であろうとかまわない。細かいことを気にする奴は俳句に向いて
ない。同様に道具も最低限書くものと紙があればよい。紙は切って短冊に
する。俳句を一行で書きやすくするために縦長の紙にするのだ。このとき
紙は必ず手で切る。紙をちぎり始めた段階で俳句モードにスイッチが入る
し、その日の手触りで今日はいい句ができそうだとか自分のコンディショ
ンがわかるようになる。俳句がうまい奴は、紙の切り方もうまい。あとは
灰皿を手元におけば準備完了だ。

三、進行の仕方

①題を決める
 最初に題を決める。何もないところからいきなり作るのは難しい。題は
何でもいいが、その良し悪しで出てくる句が決まるので、実は一番重要な
ポイントだ。慣れてくると、作りやすい題かどうかはすぐにわかるように
なる。
 題のパターンはいろいろだ。季語、漢字一字の詠み込み、表記は自由で
○○という音を入れる、○○な句というテーマで作ることもある。色とか、
乗り物とか種類全般で出すこともある。面白いところでは「○で始まって
○で終わる」なんて題でやったこともある。「ま」で始まって「こ」で終
わる俳句なんて頭のトレーニングになるから一度やってみるといい。
 一番すごかったのは「小」という題を出したときに、字を小さく書いた
奴がいたことだ。句に題が入っていないので、「題がねえよ」とダメ出し
したら「小さく書いてあるだろ」だって。こいつは天才だと思ったね。

②投句
 題が決まったらあとはひたすら作る。屍派句会は何句出してもいい。た
いていの句会は出句数が決められているが、そんなケチなことをしても面
白くない。句数ではなく時間で切るのが屍流。時間は一〇分もあれば充分
だ。始めのうちはもう少し長めにしてもいいが、だらだらと伸ばしてもあ
まり意味がない。できるときはできるできないときはできない。だいたい
人間の集中力なんてそんな続かねえだろう。煙草を二本吸い終わるぐらい
の時間がちょうどよい。時間制限は厳密にせず、まだ書いている人がいれ
ばそれを書き終わったら終了とする。流動的なのが大人のやり方だ。だい
たい一人一〇句ぐらいはすぐにできるようになる。

③被講
 句が集まったら決められた人がランダムに読み上げる。これを被講とい
う。投句後いきなり被講に入るのが屍流。普通の句会では集められた句を、
誰の句かわからないように別の人が書き写し(清記という)、それを配る
ことから句会が始まる。俺たちはその手順をすっとばした。字なんて読ま
ない。耳で聞いた情報を頼りに句を判断する。聞くだけで一句を覚えられ
るのが、俳句の短さの長所である。これが長い散文であれば、聞くだけで
全てを覚えることは不可能だろう。
 被講者は一度頭の中で読んでから、二度声に出して読み上げる。頭の中
で一度読むのは、句のリズムを把握するためだ。これが一番大事なことな
のだが、ほとんどの奴はこれができない。すぐに声に出して読もうとする
が、そんなことは俺にだってできない。さぐりさぐり読んでも、いい句に
聞こえるわけがないっての。俳句は音楽だ。被講者がうまければ下手な句
も上手に聞こえるもんだ。自然と良いリズムを体にしみこませることで俳
句の型がわかってくる。二度読むのは一度目に聞いたことが間違えていな
いか確認するためである。二度聞けばほとんど誰でもその句を覚えること
ができる。
 耳による効果を信頼するとともに、書くことを捨てたのはもう一つ理由
がある。それは表記による小手先の技を使わせないためである。初心者に
限って、変なルビをつけたり、一字アキにしたり、わざと平仮名で書いた
りする。俺はそういうテクニックが大嫌いだ。俳句は基本的に漢字で書け
るものは漢字で書く。テクニックに頼るのは、心の衰えだ。他の俳句の入
門書んは「桜」を「さくら」と書くとやさしく見えるとかつまらないこと
が書いてあるかもしれない。そんな本はすぐに燃やした方がいい。ケツを
拭く紙にもならない。「桜」と漢字で書いても、優しさが伝わる内容を描
ければ、優しさはきちんと伝わる。楽をしていい句を作ろうとする根性が
気にいらない。表記に関する発言は屍派では認めない。

④講評
 講評は句が読み上げられた時点で、一句一句行う。司会はもうけず、言
いたいことがある人が自由に発言する。一言でもかまわない。「面白い」
だけでも言い方やタイミングで評価は伝わるし、場の雰囲気で句の良し悪
しはすぐにわかる。いい句は読み上げた瞬間に全員から驚嘆の溜息が聞こ
えるものだ。これも「座」の魅力だ。屍派句会では俺は添削例を挙げるこ
とが多い。句をいじめることによってどこが弱点なのか直感的にわかって
もらえるようにしているつもりだ。あれこれと理由は説明しない。ダメな
句は「ダメ―」で終わり。だいたい一句一分くらいだな。ぐずぐず話すよ
りも、読み上げられた瞬間の場の反応がすべてだ。これは実際に屍派句会
を体験すればすぐにわかるだろう。「場」をコントロールする力がその人
の俳句力だと思っている。
 講評が出揃ったら作者名を明かす。作者は自作については何も語っては
いけない。被講者は読み上げた短冊をその作者に返す。こうすることで最
終的に自分が作った句は自分の手の内に残ることになる。

⑤まとめ
 作って一〇分、講評して一〇分、酒煙草トイレで一〇分、あわせてだい
たい三〇分ぐらいが一回の句会にかかる時間である。これを一晩で五~一
〇回行う。二、三回やってるとだんだん調子が出てきて、一〇回以上やり
続けると幻聴が聞こえるようになる。まあそれはともかく、やり方がわか
ったとこで実際の句会の様子をお伝えしよう。これが屍派の句会だ! 

『生き抜くための俳句塾』北大路翼

 痺れるね。最高。

網口渓太
 ビビるくらいジャマイカぽいね。新宿俳句とジャマイカのレゲエが似て
るとは興味深い。あとEMちゃんが『チーム友達』って言ってくれたけど、
読書好きなラッパーも一定数いるみたいで、好書好日っていうウェブサイ
トの「ラッパーたちの読書メソッド」も面白いよ。ハンナ・アーレントの
『全体性の起源』を読んでたり、平野啓一郎の分人とか、吉本ばななの
『とかげ』とか、ラッパーたちの選書も渋めで。

EMちゃん
 あぁ、読んでる読んでる! タナカカツキさんの『今日はそんな日』の
マンガは好書好日で知った。今日もサウナ行ってきたし。屍派句会は毎週
金曜日に配信もやってるわよね。そういえば、俳句じゃないけど、渓太く
んも本を読んだあとに何か即興で歌を作ってるよね(笑)

ESくん
 そう、そしてちゃんと韻踏んでんの(笑)

網口渓太
 センテンスよりキーワード読みを重視して、心情の吐露より情景描写を
意識してね。なんか俳句っぽいな。読書の遊び方を、色々テストしてんのよ。多読した本同士を組み合わせて、堰を切ったようにダーッと一気に人
に語れるようなパフォーマンスが見たいじゃん。その練習も兼ねて。ほな
ほな、寛いだし各々場所に戻りますか。

ESくん
 おぉ、もう二時間か。じゃあ、キッサカバでちょっと読んで帰ろかな。

EMちゃん
 私はもうちょっとだけショッピングして帰ろ。

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