網口渓太
ドミニク・チェンさんは、主にデジタル・コミュニケーションを研究している研究者だね。研究テーマをまとめたご著書を何冊も出されているし、色
々な媒体で寄稿もされている。YouTube の動画も彼の活動の理解の補足になる。ジャンルを越えた着眼点がとにかく面白いね。「リグレト」とか「ヌカボット」とか「タイプトレース」とかユニークな人工物を作られてもいる。
EMちゃん
ドミニクさんは、渓太くんに教えてもらってから、ES君もそうだろうけどすごくハマっていて、新しい活動を見つけるたびに共有し合ってるよ。ワタシは娘さんとのやりとりに頬が緩んじゃう。
ESくん
坂口恭平さんも千葉雅也さんもだけど、ドミニク・チェンさんも“身体の延長線上”で知のインプットとアウトプットをできる稀有な方だよね。ボクは去年東京で開催されていたEND展を観にいって、実際に「10分遺言」という制限時間10分で大切な人に向けて紡ぐであろう最後の言葉が投稿されたタイプトレースをみたんだけど、あれは喰らったね。考えさせられた。
網口渓太
東京から帰ってきてからしばらくその界隈の本を読み漁ってたもんね。ドミニク・チェンさんと全く同じにはなれないとしても、現在の彼に至るまでの学び方や方法は真似できるし、何か化学変化が起こるかもしれない。
ESくん
プトトン先生~。たくさんのジョークとか、名前への赤ペンの追記とか、ユーモア×隠喩的な教え子の誘い方とか、遊び心があって、この師あってこの弟子ありって感じがするよ。
EMちゃん
満点を取った論文のということもあるだろうけど、日常的な出来事が、事件としてこれだけ教え子の印象に残っているっていうのも、スゴイわね。プトトン先生は、きっとチャーミングな笑顔してるわよね。文面から伝わってくる。
網口渓太
大谷翔平選手ではないけど、高校時代のドミニクさんに潜む、類まれなる才能をプトトン先生は感じ取って、本気で自分と同じ哲学の道へスカウトしたんだろうね。その後ドミニクさんは、プトトン先生が誘う哲学の道ではなく、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のデザイン/メディアアート学科へ進み、非言語の表現世界へ入っていくんだけど、ご本人も書かれている通り、「正反合」の学びはずっと自分の奥底で脈打っているみたい。
家でも“読書は3割打ててたら上出来”と松岡さんの言葉を真似して言ってるけど、「言葉でしか記述できない事象もあるが、言葉の網からこぼれ落ちる事象もまた、世界に満ち溢れている」というドミニクさんの言葉は要チェックだよ。
ESくんは中島義道先生の『不在の哲学』を再読したくなっただろうけど、新たに言語を作るということは、世界を認識するルールを作り出すことなんだね。本のなかに書かれていたけど、2019年時点で7111の言語が確認されているらしい。えっ、そんなにあったのって感じだけど、これだけの異なる言語=ルールたちをどう関係付けていくのか、その方法や世界観がずっと待望されているんだけど、バシッときていないのが現状なんだね。
ESくん
あえてそう呼ばせてもらうけど、ドミニクさんたちは困難な状況ですら栄養に変えて活動されている印象があって、考えられていることも、実践されていることも、作られている創作物も、触れるたびに面白くて元気が湧いてくる。自分もできるだけ、そういう人でありたいよ。
EMちゃん
コモンズね。日本にも公に知られていないだけで、共有地を作っている集団と活動って、たくさんあるんだろうけどね。
ESくん
北九州の抱撲とか、坂口恭平さんのいのっちの電話とか。
網口渓太
世の中がどうしようもなくゴミに近い情報で溢れているからね。どうでもいい情報に気を取られ過ぎて、いい活動をしている人たちのことを忘れないようにしないとね。もうちょっと、ドミニクさんの著書のタイトルにある“わかりあえなさをつなぐ”の部分を深堀りしておこうか。じゃあ、もう1冊連ねるね。
ESくん
なるほどね、先の言語によるネットワーク世界の可能性を表現していたドミニクさんの著書の引用とは視点を変えて、世界の外側から突然、アクシデント的に出くわす恋愛のような固有名詞について書かれた本の見方を重ねて、対比させたね。
EMちゃん
「ユーモア」と「アイロニー」の関係と似ているわね(→10-1)。ユーモアはネットワーク的で、アイロニーはアクシデント的。アイロニーは内側にいるものにとっては、アクシデント的に外側からやってくる……、なんだかマレビトみたいね。
ESくん
それなら、ミトコンドリアみたいでもあるよ。生命の複合体である細胞は、ミトコンドリアをとりこんで、その代謝システムで生きているわけだから。ミトコンドリアはもとは独立した生命で、とりこまれることでシステムを提供していて、安全な環境を得ているんだよね。つまりは、読み書きも同じってことを言いたいんでしょう、渓太くんは(笑)
網口渓太
『読書論』と銘打ってるから、その通りだけど。あ、あとベルクソンの持続とヒュームの切断、一神教と多神教とも似てるね(笑) でも本当に問うてみたかったのは、「ホフスタッターの法則」のように、今の僕らのように、意味が意味を生んで、関係が関係をつけたり、解消したりまた結んだり、頭がこんがらがって思考停止しているような状況にあるとき、どういう方法が使えそうかということを考えてみたいのね。行き止まりにある政治問題、息詰まる人間関係、相手とうまく噛み合わない恋愛、いつまでも自分のある問題と折り合いがついていない人もいるだろうね。
ESくん
みんなで図書館に行って、ヴィトゲンシュタインの本を片っ端から借りてみるってのは? 要約すると、要は「語り得るもの」と「語り得ないもの」の話しでしょう。
EMちゃん
今日の話しの流れだとじゃあ、みうらじゅんさんの本も借りましょうよ。この前、古館伊知郎さんのYouTubeにみうらさんが出ててさ、感動したんだけど、国宝とか重要文化財って結局人が決めてるんじゃないですかと、仏側が決めてるんだったらまだしも、人が決めてんのに今年国宝何体出すとか、『はてなの茶碗』の落語じゃないけど、国宝の札が入れ替わっていてもわからないじゃないかと。だったら一回それを取っ払って、一番自分がグッとくるところを「ボク宝」と呼び始めてみるのはどうかって、これ仏像愛が溢れているからこその、想像力じゃない? まさしく恋の力よ。
網口渓太
お見事! まさに「マイブーム」じゃん。みうらさんは「一人電通」も最高だよね。ヴィトゲンシュタインはアイロニー的なキーマンで、みうらじゅんさんはユーモア的なキーマンだ。よーし、じゃあ図書館に行こう。今日はこのふたりの著書を読み漁るよー。
ESくん
好奇心と知ることの純粋な喜びがある……、ふたりとも希哲学者ですな。
EMちゃん
あとねあとね、「老いるショック」ってのいうも、最高なの(笑)