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『我が家の新しい読書論』11-1

ESくん
 突然「お金」のことが気になってあらためて調べてみてるけどお金って、
人間が発明した人工物のなかでも断トツに化け物な発明品なんじゃないかと思うね。
匹敵するのはやっぱり「言葉」かな。

網口渓太
 資本主義の世界まで築いてしまっているんだから、破壊的イノベーションだよね。あと家では千葉さんにならって「享楽」も付け加えたいかな。こだわり、界隈ね。お金のことも言葉のことも、考えない日はないよね。

ESくん
 素人目にみても、たとえば万札の一万円という価値をみんなに認めさせて、商品と交換できるようにしてしまった怪物感が伝わってくるよ。この『談』の平川克美さんのインタビュー面白くて。

 別の言い方をすれば、貨幣交換とは「非同期的交換」であり、貨幣とは非
同期的交換を可能にするマジックツールだということです。

……非同期的交換ですか?

 要するに、交換の本当の実行日を自由にずらすことができるということ
で、じつはこのことが、貨幣交換を爆発的に普及させた要因なのです。
 非同期的交換、あるいは非同期的コミュニケーションの例として電子メー
ルがわかりやすいかもしれません。インターネットがなかった時代は、コミ
ュニケーションというと同じ場所で対面で話をするか、郵便ポストの前で何
日も手紙が来るのを待たなくてはなりませんでした。電子メールは、いつで
も、どこでも、読みたい時に相手の手紙を読むことができるし、読みたくな
ければゴミ箱に捨てることもできます。電子メールの出現によって、非同期的
なコミュニケーションが可能になったのです。言い換えれば、コミュニケー
ションの実行日を自由にずらすことができるようになりました。これは、す
ごいことです。じつは、貨幣というものの特徴も、この非同期性にあるんで
す。貨幣交換とは、非同期的交換であり、非同期的コミュニケーションなの
です。
 貨幣の出現によって、同じ場所に交換物を持参して、対面で相手の品物を
吟味しながら交換するなどという面倒がなくなりました。これこそ貨幣の本
質ではないかと僕は思っています。電子メールの出現によって、社会のコミ
ュニケーションが爆発的に増加したのと同じように、貨幣の出現によって、
社会のモノの交換は爆発的に増加することになりました。
 非同期的交換を可能にしたことこそ、貨幣の功績であり、ある場合には貨
幣の害悪でもあるのです。というのも、この交換方式はあまりに便利なの
で、本来必要としないものまで、いつか必要になるかもしれないということ
で、貨幣と交換してしまうようになったからです。その結果、着もしない服
がクローゼットで眠り、余分な野菜が冷蔵庫で静かに腐っていくわけです(笑)
 さらにやっかいなのは、貨幣以前は、交換物は腐ったり、劣化したりする
ので、賞味期限がありました。交換物は、消費した時点でなくなりますし、
保存には限りがあります。しかし、貨幣のもう一つの特徴は、それが腐ら
ず、劣化しないというところにあります。それゆえ、貨幣を安心して保存す
るということをやり始める。これが退蔵であり、資本蓄積の始まりです。

『談』[特集]無償の贈与……人間主義からの脱却 平川克美

網口渓太
 ナイスアシスト。GAFA が有名だけど、特定の個人や団体が、資本を独り占めしてしまっているし、この構図はまだしばらく続くと言われているよね。たとえば、ビル・ゲイツの給料を時給に換算すると2億らしい。これは、日本人一人の生涯年収とほぼ同等の額だよ。

ESくん
えぐっ。

網口渓太
 逆に日本人の年収は下がっているしね。ファストファッションとかチェーンの飲食店のように高品質低価格の商品が広まったことで、最低限の生活の水準も下がっているから。イノベーションの結果社会が豊かになっている反面、勝ち組と負け組というレッテルが貼られ、貧富の格差が問題になっている。どうするべきなんだろうね? この本のテーマでもあるし、贈与経済のことがよく分かる部分の引用もしておこうか。

……貨幣経済以前の経済、今日の中心テーマである贈与経済ですが、これは
どのような原理で動いているのでしょうか。

 貨幣経済、あるいは交換経済が市場原理と競争原理で動いているとすれ
ば、贈与経済の原理は、全体給付のシステムだということになります。言い
換えれば、贈与の受領と再贈与の義務によってモノが全体にいきわたるよう
な交換システムです。
 なぜ全体給付システムが先に存在し、そこから交換経済が分岐してきたの
か。マルセル・モースも書いていませんが、僕はこう思っています。部族社
会における共同体メンバーが生きていくために必要な、食糧、物資は、ふん
だんに供給できるわけではなかった。狩猟漁労や畑から収穫できる食糧は、
共同体のメンバーが生きていくために必要な量以上に、確保できなかった
し、確保する必要もなかった。エネルギーの利用や転換の技術を持ち合わせ
てはおらず、食糧の保存にも限りがあったので、必要以上に収穫すること
は、自然を荒らすだけで意味がなかった。それゆえ、収穫量をメンバー全体
に給付しなければ、一人あたりの不足を補う方法がなかった。ちょうど、難
破船の上で、残り少ない食糧を全員で分け合うような分配システムを、部族
儀礼として社会のなかに埋め込んだ。それは、メンバーが飢えて食糧争奪の
争いになることを避けるためであり、同時に部族の存続のために秩序を保つ
ためにも有効なシステムだったのです。
 しかし、近代以降になると、農耕技術や生産技術の向上とともに、メンバ
ー全体が必要とする以上の収穫が可能になり、同時に貯蔵の技術も発展し
た。そこから、食糧や物資の退蔵が行われるようになり、必然的に持てるも
のと持たざるものの格差が生まれた。
 再分配システムは次第に機能しなくなり、むしろ、食糧や物資がメンバー
全体にいきわたるためには、交換の速度を速めることが重要になっていっ
た。そして、交換速度を早めるために、もっとも貢献したのが貨幣だったの
です。貨幣の存在によって、交換物の価値を計測することが可能になり、以
前はひととひとを結び付けていた負債と信用というモラルも希薄になってい
ったと考えられます。

『談』[特集]無償の贈与……人間主義からの脱却 平川克美

EMちゃん
 交換経済が兎ちゃんなら、それ以前の全体給付の仕組みは亀ちゃんね。
(→6-1)
 
ESくん
 たしかに。“心の底から安心できる感
覚”から遠くなるわけだ。毎日ご飯を食べられるという安心は万人に与えられるべきだよ。

EMちゃん
 やっぱ、岡崎京子さんよ。

 これは東京というたいくつな街で生まれ育ち「普通に」こわれてしまった
女の子(中略)の“愛”と“資本主義”をめぐる冒険のお話です。


『PINK』岡崎京子

ESくん
 京子さんの描く主人公ってみんな、たしかになんか生き急いでいるよね。

網口渓太
 「すべての仕事は売春である」か。資本主義から岡崎さんに飛躍するハイコンテキストな感じがいいねぇ。

 そしてすべての仕事は愛でもあります。愛。愛ね。
 “愛”は通常語られているほどぬくぬくと生あたたかいものではありませ
ん。多分。
 それは手ごわく手ひどく恐ろしい残酷な怪物のようなものです。そして、
“資本主義”も。
 でもそんなものを泳げない子供がプールに脅えたりするように脅えるのは
カッコ悪いな。
 何も恐れずざぶんとダイビングすれば、アラ不思議、ちゃんと泳げるじゃ
ない?『バタ足金魚』のカオル君みたくメチャクチャなフォームでも。
 現在の東京では「普通に」幸福に暮らす事の困難さを誰もがかかえていま
す。
 でも私は「幸福」を恐れません。
 だって私は根っからの東京ガール、ですもん。

『PINK』岡崎京子

 岡崎さんのマンガは、無駄が削ぎ落とされた線を使って描かれる絵のセンスはもちろん好きなんだけど、半径3メートルの身近な問題も、世界や時代というような大きなスケールの話も考えさせられるから、われわれの読書の傍にいつもいる存在だね。問題意識を持つための貴重な資料でもあるし、家に一番積まれている本の著者でもある。

ESくん
 山田玲司さんのYouTubeの動画が分かりやすかったんだけど、岡崎さんが
1983年に20歳の人であることがキーポイントで、それはどういうことかと言
うと、高校時代に70年代後半を体験した80年代の人であると。70年代は金八
先生と欽ちゃんがテレビを席巻していて、「人というものは」とか、「家族」とか内面がテーマだった。でも80年代にこの内面性が壊れる。そして全てが表層化する時代になっていったと。「巨大な虚空を心に抱えたまま、生きていかなくてはいけない世代」ってね。確固たる居場所も主張もなく、孤独で残虐。同じ年には、吉田戦車、上條淳士、野島伸司、新井英樹、今敏、すぎむらしんいち、スティーブン・ソダーバーグがいる。なんか、カッコいくない、クールやでこの時代の人たち。

EMちゃん
 亀ちゃんの時間にも、資本が絡んでいるから、やっかいなのよ。休日の余暇にも家族との団欒の時間にも、いつもお金の悪魔がささやいてくる。

 消費者とは、金だけが一元的な価値であるような存在である。そこには、
人間関係のしがらみも地縁血縁による縛りもなく、出自も学歴も規制力をも
たない。消費者とは、金さえあれば、個人としての自由を満喫できると信じ
ることができる存在であり、日本の歴史の中で初めて登場した、自由を謳歌
できる個人主義的な存在であったのだ。ただし、お金さえあれば、という前
提を忘れてはいけない。
 九〇年代に入り、自己責任論を中核とした新自由主義的な思想が日本を席
巻した。その結果、ビジネス社会における親方日の丸的な中央集権的なシス
テムは一掃されたように見えたが、家族や個人の中での家父長的価値観はそ
の後も残り続けていた。これが実質的に解体されるのは、二〇〇〇年代にお
ける「消費者」の大量出現という日本人の総体的な変化が実現するまで待た
なくてはならなかった(会社や体育会サークルなどには、まだまだ権威主義
的なエートスは残り続けていることも付言しておかなくてはならない)。
 家父長システムの崩壊は同時に、相互扶助的な地域コミュニティの崩壊
や、貧富格差の拡大をもたらす結果にもなっていった。

『路地裏で考えるー世界の饒舌さに抵抗する拠点』平川克美

ESくん
 平川さんもこの本のなかで山田さんと同じ視点で語られてるね。

 戦後の歴史の中で、変化したもののうち、最も重要なものは、家族システ
ムだろう。七〇年代以降、日本的な権威主義的大家族が崩壊し、英米型とも
言える核家族へと移行した。そのことが、日本の人口動態に大きな変化をも
たらした。二〇一六年の出生数は、一八九九年以来最低を記録。百万人を割
り込んだ。人口減少は、そのまま市場の縮小を意味し、これまでのような右
肩上がりの経済は望めなくなった。人口減少と経済の定常化は先進国におけ
る世界的な現象であり、各国は様々な工夫をしているが解決は容易ではな
い。考え方を根本から変える必要がある。(略)

 わたしたちの社会の、全てのシステムや価値観は、人口増大局面で考量さ
れたものである。株式会社という生産システムも、利息や配当といった金融
システムも、年金や社会保障も、全ては人口が増大し、経済が右肩上がりで
伸張することを前提に作られている。マルサスの人口論以来、人工の爆発的
増加がもたらすであろう食糧危機や、紛争といったものにどう対応したら良
いかについては考えられてきただろうが、人口減少が何を招来するのかにつ
いては、これまで誰も考えてこなかったし、考えるための資料も存在してい
ないのである。
 もし、この問題について、何か意味のある解決法を探るとすれば、わたし
たちは来るべき未来について、ありったけの想像力をかき集める以外にはな
いのだ。あるいは、現代社会のパラダイムとは別の、例えば現代でも残って
いる文明非接触の人々の生活や、社会が時間の経過に伴って変化することの
なかった古代社会のシステムの中に、ヒントを見い出すことはできるかもし
れない。
 その意味でも、貨幣経済以前の、互酬的な社会がどのような原理で営まれ
ていたのかを研究する価値はあるだろう。そこには、等価交換、市場経済、
競争社会という現代社会の持つ原理とは全く異なった原理が働いていたはず
だからである。それは、貨幣経済以前のひとが生き延びていくための全体給
付のシステムである。

『路地裏で考えるー世界の饒舌さに抵抗する拠点』平川克美

網口渓太
 一回目にやったけど、やっぱり「SFプロトタイピング」だな。あとは方法。

ESくん
 相手は怪物だから、お金に振り回され過ぎないように気を付けないとね。
あとは、歴史と年表と地図の三種の神器を携えて、時代とともにバラバラになってしまっている価値観をもう一度編集してみる必要がありそう。

EMちゃん
 そうねぇ。じゃあ今日はワタシが作ってあげるわね、一汁一菜。おナスと
玉ねぎとインゲンとお揚げさん。全部地元のものよ。腹拵えしたらまた再開しましょう。

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