少し楽になった夏の終わり

相変わらず休職をしていて、わたしのここ最近の平均起床時間は11時だった。きちんと前の日は24時前には寝ている。すごく寝ている。
夜飲む抗不安薬なのか、睡眠導入薬なのか、3ヶ月近く緊張に晒されていたのが溶けたからなのか、自分が早朝に起きるのはトイレのときのみで、夫(神様)からは「ゆっくりしてね、今日も可愛い、愛しているよ」と言われてしまうため、安心してさらなる眠りにつき、昼前にようやくゾンビのように居間に現れる休職者が完成してしまった。

ここ2週間くらいはその言葉に甘えてしまう自分が人としてどうなんだろうかとか、休職してるのだから、家事を一手に引き受けないといけないんじゃないかとか、そういうことで死にたくて仕方がなかった。自分がいたら迷惑をかける、いつか怒鳴られる、殴られる、と思っていた。嫌われる、捨てられる、「こんなに優しいこの人に捨てられる自分なんて必要ない。それならもう死にたい。」と思っていたんだと思う。前の記事にも書いたけど、悪夢を見ることが多くて、朝イチの希死念慮の対処をバタフライタッピングをしながら気持を落ち着けて這い出していく日々だった。
起きてノーモーションで夫のお昼を作ったり、はたき、掃除機、クイックルワイパー、トイレ掃除、風呂掃除、夕飯を作り、ようやく自分がここにいていいと自分が思えていた。


今日は違った。

朝イチの希死念慮がなかった。
0ではないけど、探さないとなかった。
この2週間くらい毎日「死にたいのはわかった」「いなくなりたいのはわかった」「自分に価値がないと思っているのはわかった」「この先うまくいくはずがないと思っているのはわかった」とひたすら受容を続けた。少しは自分への労いを自分がわかってくれたということなのかなと思った。

あとは夫に申し訳ないと思いつつひたすらに眠ったのも良かったんだと思う。
「今は休むときだからね、あと50年は一緒にいるんだから」と言ってくれる神様。

足りなさ過ぎた労いがこんな風になってしまうんだなと身を以て知った8月だった。
これは蓄積された労い不足で自己虐待の結果だから、日々もう少し自分を大切にしなきゃいけないということなんだろうな。

朝、少しだけ窓を開けたら気持ちよさそうだった。
早く元気になりたい。

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