持て余す易怒性
双極性障害の躁状態と性格の易怒性の区別がつかずに日々悩んでいますが、生きやすくなれば極論どちらでもいいので、今回、認知行動療法の本を読んで、鬱の沼に落ちなかったことをまとめてみました。
前提として、
・料理は必ず私がレシピを検索して作ります。
(失敗するのが嫌+目分量が苦手)
・夫は料理を作りません。
先日のこれなんですけれども。
手羽元の仕込みをしていたら夫に「今日は、長く散歩に出掛けてたし、○○だからそれはいらないんじゃないかな」って言われたんですよね。「え?でもそれだとお肉も魚もないよ」と伝えたんですが「それでもいらない」と。
わたし今否定された、と。(易怒性)
こっちはこのためにレシピを色々調べてるんですわ。
ここんとこの物価高のおかげで安い時に買いだめしてるんですわ。
消費期限も見て今日作ろうとしてるんですよねー
お前は料理は一切しないし、献立を考えることもないくせに「食品ロスとかも減らしたいですよね」とか会社の人と会話しくさって(夫はリモートワークです)
お前がやってることはただ冷蔵庫の中のものの期限が切れてないかチェックするだけの小姑的な作業だからな
と、このあたりまで考えて、気づいたこととして
こんなことでは社会に出たときに生きづらくて仕方がないということで。
躁状態だと正論で人を攻撃しやすいとせっかく気づいたので認知行動療法の本を読んでみました。
認知行動療法(【こころのクセを変えるコツ】より)
不快になったきっかけ
夫に献立を一品いらないと言われた。
へこたれ思考
レシピや期限を考えていたことを理解してもらえていない。否定をされた。もう何もしたくない。
客観的な思考
夫はわたしが期限を考えていることはおろか
レシピを毎回調べていることを知らないかもしれない。長く散歩に出掛けていたから気遣いの気持ちだったのかもしれない。
すこやか思考
夫はわたしのことを気遣ってくれて手を抜いていいよと言ってくれたのかもしれない。
冷凍できる食材だったし今度使えばいい。
と、本を見ながらやってみるだけで考えがぐるっと変わるんですよね。楽になれるというか。
できればティンカーベルみたいに耳元で囁いてくれる妖精みたいなのが常にいてくれるとありがたいのだけど、そういうわけにもいかないだろうから。
今回は落ちる途中に気づいて戻ってこれて、夫とも認知行動療法について話をしたら、似たようなことを自分で修行のようにやっていた時期があったとのことで思いがけず盛り上がった。
これからの自分がもう少し生きやすくなりますように、できることをやってあげたい。