見出し画像

柔術でしか味わえない爽快感とは

「おかしいなあ」

といって歯医者さんは首を傾げた。一年前に詰め直したばかりの詰めものが割れているらしい。普通はそんなすぐには割れないはずだけど、と歯のレントゲン写真をまじまじと眺めている。

あ、もしかして。わたしには、思い当たることがあった。

「実は、半年くらい前に柔術を始めて、かなりの頻度でトレーニングしてるんです。もしかして、スパーリングで力を入れるときに、歯を食いしばっているのかも」

わたしが説明すると、歯医者さんは、即座に、

マウスピースをつけなさい

と言った。え。まじで。

通っている道場には、マウスピースをつけている人が何人かいる。黒帯への昇格が目前に迫っている茶帯のベテランや、大学時代から柔術を始めていまに至るという紫帯の彼とか。そんなガチ勢に混じって、始めて半年で白帯のわたしもマウスピースつけるのん?

いや、歯を守ったり、口の中の怪我を防ぐためのもので、俺はガチ勢だぜと誇るためのものではないのだから、余計なことを気にしないでつければいいのはわかっている。でも、わたし本気でやってますという襷を肩からかけて勝負を挑むみたいな気がして、ちょっと気が引ける。いや、本気でやってるんだけど。でも、できたら襷はかけたくないかな。

始めて半年。柔術は、飽きるどころかもう生活の一部になっている。柔術から遠のくと、心と体のどこかの調子が狂ってくる。何かが欠けている感じ。満たされていない感じ。

普段は当たりの優しい人間だと自認しているけれど、柔術をしているときだけは、わたしの中にあるリミッターが外れる。パチン、と戦闘モードに切り替わる。人間が、一個の動物として素手素足で戦って、どちらが強いかを決める。考えてみたら、柔術とは、なんとも野性味のあふれるスポーツだ。

柔術のどういうところが面白いのかを書き始めると、終わりがみえなくなってしまうので、今日はそれはやめておくことにして。

一つだけ言いたいのは、柔術をやった後の、すべてを出し切って戦った爽快感は、ほかのことではちょっと味わえないということだ。一言でいうと、たまらない。

髪の毛ぼっさぼさで、肩で息をして、膝に手を当てておかないと立っていられないときもある。格上の相手にこてんぱんにやられるときもあれば、逆に関節技や締め技が何回も極まるときもある。出来がいいときの方が気持ちはいいけれど、爽快感の核にあるのはそれじゃなくて、戦闘能力をフル稼働させて相手に立ち向かっていくエネルギーそのものだ。

ブラッド・ピット主演の映画『ファイト・クラブ』を観たことがあるだろうか。夜な夜なぼっこぼこに殴り合う男たちのシーンが何度も出てくる。初めて観たときは、意味がわからなかった。なぜ迫られてもいないのに自ら進んで殴り合うんだこの人たちは?と思っていた。気が狂ってる。

でも、いまは、戦いにのめりこんでいく心理が、ちょっとわかる気がする。血がだらだら出たり、えぐさの強い描写は苦手で、そういうシーンは見たくないんだけど、なぜ戦うのかという点については、うっすら共感できる。

やばい方向に向かっていないことを祈る。


参加しています

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?