我が子がガッツポーズで喜ぶ夕飯メニューはこれ!#今日のおうちごはん
我が家には、6歳と7歳の子どもがいる。
この2人の好きな食べものと嫌いな食べものが違っていて困る。
基本的に、食事に出されたものは好きじゃなくてもちゃんと食べることが、我が家のルールである。食べるか食べないかは最終的に自分で決めていいけれど、ご飯をちゃんと食べ終わらない限り、それ以外のものは食べられない決まりだ。
翌朝までお腹が空くだろうけど、ご飯をちゃんと食べないんだからしょうがないね、という理屈である。
でも、どうしても嫌がるメニューには、別のオプションを出すこともある。
例えば、トマトソース・パスタ。トマトソースを手作りせず、市販のもの使えば、30分以内にできあがる。本来なら、平日夜のお助けメニューになるはずである。
ところが、これ、娘は大好物なのだけど、息子が食べない。パスタはいいのだけど、トマトソースが嫌らしい。ラザニアは大好きなのに?あれもトマトソースだけど?
どうやら理屈ではないらしい。自分でもなんでかよくわからないようだけど、とにかく食べない。
なので、トマトソース・パスタを作りながら、息子のために別にソースを作る。クリームソースとか、オイルソースとか。本当は、こんな特別対応をせずに、これが今日のご飯だから食・べ・て!と押し切る方がいいのかもしれない。親としても、なにが正解かわからずにやっている。ただ、しっかりご飯を食べてほしくて。
そうはいっても、こうして作る手間が2倍になるのもなんだかなあと思うし、本当は好き嫌いせずになんでも食べられるようになってほしいという思いに駆られる。
だからわたしは、定期的に、息子と娘が文句なしに喜んで食べるメニューを投入する。親も子も、「~すべき」の思考から解放されて、シンプルにご飯を楽しむために。
今日が、まさにそのメニュー。ザ・肉まん。
蒸し器の蓋を開けた瞬間、湯気の向こうにぷっくり膨らんだ肉まんたちの顔がのぞく景色は、何回見ても心が躍る。
これは、アメリカに移り住んだわたしが、故郷の551の豚まんが恋しすぎて、手作りするようになった一品である。
実は、わたしは、結婚するまで、料理の技術がほぼゼロだった。それなのに、異国の地へ渡り、懐かしいアレが食べたいという食欲のみを動機にして、こんなものまで作れるようになった。つまり、この肉まんは、料理におけるわたしのささやかな成功体験を象徴するメニューでもある。(実際は、手間がかかるだけで、難しくはない。)
「ご飯できたよー」
わたしが大声で呼ぶと、子どもたちが階段を駆けあがってくる。すかさずお皿の中を覗きこみ、今日の夕飯はなにか確認する。あ、肉まんだ、とわかると、息子と娘の表情がぱっと変わる。
「イエーイ!」
と叫んで、ガッツポーズだ。
「ママ!ありがとう!」
と、感謝の言葉まで飛び出す。
このときばかりは、これでもかってほど食が進む。胃の中、まだスペース残ってんの?と心配になるくらい、食べる。
「アメリカのほとんどのママは、肉まんなんて家で作らないんだよ。肉まんってものを一生食べられない人だっているんだよ。君たちにはママがいて、ほんっとうにラッキーだな」
夫が子どもたちに言って聞かせる。ナイスアシスト。
まあ、実のところ、アメリカでも中華料理は人気だし、本当に肉まんを知らずに一生を終える人がどれくらいいるのかは知らないが、子どもたちは、この言葉を信じて、「ママ、ありがとう」という目でわたしを見つめる。
だから、これでよし。
たくさん食べて、大きくなあれ。
読んでくださってありがとうございます。
アメリカに来てから、料理が好きになりました。食べたいものを自分で作れるというのは、自分や周りを幸せにするスキルだなーと思います。
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