仕事もいいが、もっと自分を大事にせねばと思うきっかけになった話
どちらかというと、体は丈夫な方だと思う。
風邪をひいたり、お腹を壊したりということはもちろんあるが、大抵寝ていれば治る。親には感謝している。
そんなわたしが、一度だけ、救急車で運ばれたことがある。
いまから10年以上前のこと。わたしは東京で一人暮らしをしていた。
あの頃の生活は、仕事一遍に大きく偏った日々だった。小さなアパートを朝出たっきり、夜更けまでは戻らない。アパートではただ寝るだけ。次の日の朝になったら、また出かけていく。その繰り返しだった。
あるとき、まあまあ重要な仕事を任された。通訳である。
当時のわたしの仕事は、プロジェクトの運営や広報物の編集など、雑多といっていいほど多岐にわたっていたのだけど、それらに加えて、通訳という業務があった。ボスや、ボスのボス、あるいはそれ以上の人たちが外国の客人と話すときに、同席して通訳をするのである。
通訳というのは、やってみるとわかるのだけど、その言語が話せれば自動的にできるというものではない。一つの言語から別の言語に置き換えるときに、意味が変わってしまってはもちろんいけないし、ニュアンスや語気もできるだけ原文に近づけなければならない。足してもいけないし、引いてもいけないのである。
それを瞬時にやる。立ち止まって考える暇はない。もう少し時間をくれたらもっと質のいい通訳ができるのに。でも待ってはもらえないのだ。それどころか、たった3秒ほどの空白があいただけで、その場にいる人たちが通訳を振り返り始める。おい、なんかしゃべれって顔で見てくる。
だから、正確に素早く対応できるように、普段から鍛錬を積むし、具体的な通訳の依頼を受けたときには、その案件について勉強して臨む。通訳は自動翻訳機ではない。背景知識があるからこそ、正確に理解して訳すことができる。
この通訳の出番の前日、こともあろうか風邪をひいた。なんだか喉の奥が痛いなと思っていたら、みるみるうちに鼻水が出るようになった。風邪のひき始めには葛根湯を飲むのだけど、このときは全く効果がなかった。
そして、当日の朝。起きたら少しぼうっとして、体温をはかると微熱があった。まずいな。大事な日なのに。
ほかの仕事はなんとでもなる。問題は通訳案件のことだけだった。当日になって「できません」とは言えない。微熱を理由に開けられる穴ではなかった。
わたしは解熱剤をのんで、いつもどおり出勤した。
なんとか今日を乗り切ろう。
午前中は省エネモードで過ごし、午後の本番に備えた。出番は2回。わたしはその日のエネルギーを、この2回の通訳に全振りした。
熱が残っていたのか、午後になっても少し頭がぼうっとした。通訳は集中力が命だ。わたしは栄養ドリンクを買ってきて、1回目の出番の直前に一本飲んだ。通訳は滞りなく済んだ。
そして2回目の出番。さっきと同じパターンでいこう。わたしは栄養ドリンクをもう一本飲み干して現場へ向かった。これも問題なく終わった。
いま考えればめちゃくちゃだけど、あのときはそうでもして仕事をやり遂げることが自分に課された責任だと信じていた。体調管理も仕事のうち、なんていう上司もいたし、実際そういう側面はある。でも、体調を完璧に管理するのは難しい。仕方がないときだってある。
残務を終えたころには、ちょっとふらふらした。我ながら無理をしたなと体で感じていた。実は、翌日にもう1件、関連の通訳案件があったのだけど、一晩寝て回復する気がしなかったので、上司に現状を伝えて別の人に交代してもらった。今日の穴はなんとか開けずに済んだけれど、明日の穴は開けてしまったわけだ。
ごめん。急に言われて準備する大変さがわかるだけに、交代することになった人に申し訳なさが募った。
家にたどり着いたら、すぐにベッドに倒れこんだ。ああ、やっと寝れる。もうすべて忘れて、眠りこけたい。
目をつむってしばらく横になっていると、みぞおち付近に違和感を感じた。
あれ、なんか痛いな。
なんでだろうと思っているうちに、どんどん痛みが増してきた。みぞおちを手で押さえたまま、動けない。
熱があるのに栄養ドリンクを2本も飲んだのがいけなかったのか?それとも、解熱剤との飲み合わせが悪かったとか?でもなんでみぞおち?わたしの体の中で一体なにが起こってるんだ?
そのうちに呼吸が荒くなってきて、すーっと体温が引いていくのを感じた。手の先が冷たくなって、だんだんしびれてきた。
これ、なに…?!
それまで経験したことのない体の変化に、わたしは恐怖した。明らかに、通常運転ではなくなっている。自分の体なのに、自分の体ではないみたいだ。勝手にどんどん走りだしている。でも、止められない。
次第に呼吸が苦しくなってきて、わたしは焦った。こんなとき、そばに誰もいない一人暮らしの身を恨んだ。
救急車……!
這いつくばるようにしてかばんに手を伸ばし、携帯を取り出して、しびれる手で番号を押した。電話の向こうから、「どうしましたか」「住所は」などとテキパキと質問され、わたしは精一杯のスピードでそれに答えた。
あっという間に救急車がきて、わたしは両脇を抱えられて部屋を出た。救急車のまわりには、なにごとかとわらわら集まってきた野次馬らしき人々の影が見えた。
救急車の中のベッドに横たわるなり、けたたましい音とともに救急車が動き出した。とりあえず助けが来て安心した。けれど、これはいったいなんなんだ、わたしはどうなってしまうんだ、という不安が絶えず頭を巡っていた。
生まれて初めての救急車の中で、生まれて初めて死の存在を身近に感じていた。それは、映画や小説の中で感情移入しながら疑似体験する想像上のものではなくて、いままさに我が身に迫る実感を伴ったものだった。
そばにいた救急隊員から、どこどこの病院へ搬送しますといった言葉をかけられても、息を吐くようにしか返事ができなかった。
病院に着いた。からからと治療室に運ばれていった。もう詳しいことは覚えていない。救急室の医師から袋を渡され、この中の空気を吸えと言われた。
過呼吸だった。
医師には、すぐにそれとわかったらしい。渡された袋で呼吸を続けていたら、次第に苦しいのが落ち着いてきた。あっけないほど簡単だった。
それから病室へと移されて、しばらく点滴をした。わたしは、ふうっと深い息を吐いた。長い長い一日だった。
翌日、寝て起きたら、体は少し回復していた。職場に電話して、今日は休みますと伝えた。電話の向こうには、ざわざわとしたオフィスの喧騒がかすかに聞こえた。
わたしがいなくたって、日々の仕事はなんら変わらず回っていく。
当たり前のことだ。昨日あれだけ無理してやった通訳も、もはや過ぎ去ったこと、誰も話題にすらしない。それがどうしたってくらいの重みしかない。
それまでもうっすら気づいてはいたけれど、今回のことで痛いほど現実を突きつけられた。
体を壊してまでやるべき仕事なんてない。
もちろん、社会人の常識の範囲で、任された仕事は責任をもって全うするのが正解である。でも、救急車で運ばれるまで無理してやるべき仕事なんてない。今回は過呼吸で、大事には至らなかったけれど、仕事に全振りして突っ走っていったら、行きつく先はやっぱり病院かもしれない。なにごともバランスが大事なのだ。
それからもう一つ。
自分を守れるのは自分しかいない。
自分の体調は自分にしかわからない。本当に倒れる前に、上司や周りに状況を説明して、次善の策を打つのも立派な任務の一環である。そんなときは誰にでもある。自分で自分を守らずして誰が守る。
ちなみに、風邪薬と栄養ドリンクは、ものによっては同時に飲むと良くないらしい。後になって知った。
読んでくださってありがとうございます。
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