石川九楊 日本
石川九楊著 「書」で解く日本文化
同著 万葉仮名でよむ「万葉集」
以前も紹介したのだけど、石川先生は、書の方だ、書くと云う事実から深い考察をされている
要するに、私たちは、「漢」の字の怒涛の中で抽象概念を取り込み、消化し、ある程度までは自分のものとし、ある程度は、そのまま取り込んできたのだ
それは、要するに漢の時代、少なくとも紀元前200年からだ、多分、その前の混乱期に大量の流民、難民が入ってきた、以前の支配階級、教養人も多くいただろう、要するに秦の国だ、シナだ
秦の地名は、日本各地にある、大量の植民と文明、文化が人と共にもたらされたであろう
呉越の戦いでも同様だったのであろう
NHK大河が描く平安時代、唐の盛衰に左右されるも、シナの混乱期に入って日本は、安定期に入る
当時、正式文書は、漢文だった、読み書きできないと治政出来なかったが、女房文化が華を咲かせ、日常の情念の世間では、ひらがなが定着してきた
日本書紀と古事記だったり、初期万葉集と後期万葉集だったりする
万葉集の冒頭の雄略天皇の御歌は、高らかに日本の独立宣言と読めると石川九楊先生は、説く
漢の字を使って、自らの思いを歌ったのだ
かつて丸暗記していた、枕詞なども、もともと使われていた、漢字そのものを観れば、深い意味があることが分かる
我々は、万葉集を平仮名で表記することによって、多くの初期万葉集を意味不明なものにしてしまったのだ
これは、遣唐使の廃止、菅原道真配流、下手な字の藤原道長、大きく変化していったのだ
これで、ようやく、白川先生の膨大な万葉研究を拝読出来るようになった、ありがたい
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