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【孤読、すなわち孤高の読書】イマヌエル・カント『永遠平和のために』
世界理想としてのカントの構想とその帰結。
私にとって、かつて幾度となく観念の氷壁に弾き返され、理解の埒外に放逐された哲学者がいる。
イマヌエル・カント(1724〜1804)──この名を口にするだけで、胸に鈍い痛みを覚えるほど、私は彼を理解できなかった。
生涯、独身を貫き、秘書が結婚を報告すると激怒。
毎日、決まった刻限に決まった歩調で散歩し、街の人々は彼の姿を時計代わりに。
英国の土を踏んだこともないのに、その街並みを克明に描写し得たという。
彼はまるで神の視座に立ち、俯瞰するがごとき哲学者であった。
私もまた、かつてカントの哲学に挑み、無惨にも退けられた。
理解しようとすればするほど、その論理は霧のように逃げ、言葉の彼方へ消えていった。
故に、私はカントを苦手とし、忌避してきた。
だが、彼の著作の中で、唯一、私の手に届いたものがある。
『永遠平和のために』──それは、カントの難解な体系の中で、奇妙なほどに明晰な輝きを放つ書であった。
今、私がこの書を取り上げるのはなぜか。
それは、この書が、現代の世界情勢に向けて、鋭い警鐘を鳴らしているからに他ならない。
私は政治を論じたくはない。
いや、関わりたくもない。
政治とは、相対性の大いなる渦であり、理念を踏みにじる泥濘であるからだ。
だが、ウクライナ危機、終わることなきガザ問題、そしてアメリカを蝕むポピュリズムと分断──このいずれもが、カントの主張と恐るべき一致を見せているのは、何という皮肉であろうか。
政治の渦を超えてなおカントの理想は峻厳なる光を放ち、その思想は、理念の金字塔として、なお聳え立っている。
[理念の壮麗なる体系]
この老練なる思索者が著した『永遠平和のために』は、ただの理想論ではない。
むしろ、それは冷徹なる知性が幾重にも検討を重ねた末、なおも輝きを失わぬ結晶である。
カントはここで、人間社会の根幹を成すべき秩序を描き、戦乱と混沌を超越せる世界の輪郭を明確にした。
彼の論は、次のような幾つかの柱によって支えられている。
まず、共和制の確立 である。
カントは専制的な支配を否定し、自由を礎とする国家の形をこそ、真の平和の保証と見た。
君主の気まぐれに翻弄される国家に平穏などあるはずもない。
市民の意思が政治に反映され、理性が支配する国家のみが戦争の愚を避けうるのだ。
次に、国家連盟の形成 を提唱する。
これは国家主権を根本から否定するのではなく、むしろそれを認めつつ、互いに紛争を回避するための法的枠組みを築こうとするものである。
戦争の絶えぬ世界にあって、国家間の緊張を制御する手立ては、確固たる協定以外にない。
さらに、開かれた国際関係 を求めた。
自由な交易は人々の往来を活発にし、異国の文化を通じて相互理解を深める。
それはやがて、戦争の動機そのものを削ぎ落とす役割を果たすだろう。
そして、何よりも重要なのは戦争の禁止 である。
秘密条約の締結を許さず、常備軍の廃止を謳う。
戦争を一つの「制度」として正当化することがなくならぬ限り、人類は理性に支配されることなく、蛮性のままに沈むだろう。
カントは、世界が平和へと向かうための布石を慎重に置いていった。
だが、それは当時の世界において、まるで遥かなる理想郷を指し示すかのごとき提言であった。
[嵐の時代と幻影]
1795年、この書が発表された時代を振り返るならば、そこには剣と血によって彩られた歴史が横たわっていた。
フランス革命が欧州を震撼させ、国王たちは恐怖におののきながらも、軍を集結させていた。
共和国の旗の下、民衆は新たな時代の夜明けを信じ、歓喜と混乱の中にあった。
カントはこのような時代に生き、なおも戦争を超越した未来を構想する。
彼の理論は、激情ではなく、理性の光によって照らされていた。
理性は冷たく、時に残酷である。
しかし、熱狂による平和が幻想にすぎぬならば、理性による平和こそが唯一の現実となる。
その理念はのちに、「ウィーン体制」として19世紀の国際秩序に影響を与えた。
しかしながら、それは完全なる平和をもたらしたわけではない。
戦争は形を変えつつも続き、カントの夢見た世界は、現実の前で幾度となく挫折した。
[欧州連合への変奏]
20世紀、カントの構想は再び歴史の舞台に呼び戻された。
第一次世界大戦の惨禍が欧州を焼き尽くしたのち、1919年に設立された国際連盟は、まさしくカントの国家連盟構想の具現であった。
しかし、その実効性は乏しく、わずか二十年と経たぬうちに新たな戦火が地上を覆った。
第二次世界大戦の後、国際連盟の失敗を踏まえ、国際連合(United Nations)が生まれる。
この組織はカントの思想により忠実であり、法と理性による秩序を志向するものだった。
さらに、欧州大陸においては、戦争の原因たる経済的対立を解消すべく、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が結成される。
そして、幾多の変遷を経て1993年、欧州連合(EU)が誕生するに至る。
この統合の理念は、まさにカントの『永遠平和のために』の精神と呼応する。
個々の国家が主権を維持しつつも、経済と法の枠組みを共有し、戦争を不要とする新たな秩序を築く。
この壮大なる試みは、彼が描いた「国家間の平和」の実現へと、一歩踏み出したものと言える。
[夢のゆくえ]
カントの構想は、遠い未来への手紙であった。
そしてその手紙は、時を超えて幾人もの手に渡り、読み継がれ、あるいは歪められ、ついには一つの歴史として現実の中に刻まれた。
しかしながら、彼の夢は本当に成就したのだろうか。
欧州は統合を果たし、戦争は遠ざかった。
しかし、世界は依然として分裂し、権力の衝突は絶えぬ。
人間が戦争を欲する限り、理性の光は戦火の彼方へと追いやられる運命にある。
それでもなお、カントは問い続ける。
永遠平和は夢にすぎぬのか、それとも、人類が目指すべき宿命であるのか。
答えは、今も我々の手の中にある。
[カントの理想主義とトランプの現実主義]
カントの国際平和論とトランプ大統領の政策には、いくつかの根本的な対立点がある。
カントは『永遠平和のために』において、戦争を防ぐための理性的な国際秩序の確立を提唱したが、トランプ政権の政策はむしろ国家間の対立を助長する傾向があった。
主な相違点は以下の通りである。
■多国間協調 vs. 一国主義(アメリカ・ファースト)
カントは国家間の協力を促進し、「諸国家の連盟」(Föderation freier Staaten)によって戦争を防ぐべきだとした。
彼の構想は、現代のEUや国際連合の理念と一致する。
一方で、トランプ政権は「アメリカ・ファースト」(America First)を掲げ、多国間協定よりも自国の利益を優先する姿勢を取った。
特に、パリ協定の脱退、イラン核合意の破棄、世界保健機関(WHO)からの脱退 など、国際協力の枠組みを軽視する動きが目立った。
■自由貿易 vs. 保護主義
カントは自由な交易(Hospitalität)を平和維持の要素として重視した。
国家間の経済的な相互依存が戦争の動機を削ぐと考えたのである。
しかし、トランプ政権は保護主義 を推進し、関税を引き上げて中国との貿易戦争を引き起こした。
また、NAFTAを再交渉し、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)から離脱するなど、国際貿易の枠組みを破壊する動きを見せた。
これらの政策は、カントの平和論における**「相互依存による安定」とは正反対**のものである。
■国際法の尊重 vs. 一方的な軍事行動
カントは、国家間の紛争解決には国際法 が必要不可欠であると説いた。
特に、戦争は正当な法的手続きを経て抑制されるべき であり、武力行使は最後の手段とすべきである。
戦争嫌いと言われるトランプ政権はしばしば国際法を無視し、一方的な軍事行動に出た。
たとえば、2018年のシリア空爆 は国際的な合意なしに行われた。
また、2020年にはイランのソレイマニ司令官をドローン攻撃 によって暗殺し、国際的な緊張を高めた。
カント的な視点からすれば、これらの行為は「理性による平和の確立」とはかけ離れたものだった。
■常備軍の縮小 vs. 軍事力の拡大
カントは、平和を実現するためには常備軍の廃止 を推進すべきだと論じた。
軍備の増強は戦争の誘因となるため、むしろ縮小すべきだと考えたのである。
しかし、トランプ政権は軍事費を大幅に増加 させた。
特に、国防予算を史上最大規模に拡大し、新型核兵器の開発を進めた。
これにより、国際社会は軍拡競争の流れに巻き込まれ、平和とは逆方向へと進んだ。
結局のところ、カントの平和論が目指したのは、国家が協力し、国際法を尊重し、戦争の根本原因を取り除くことであった。
しかし、トランプ政権の政策はこれと真逆の方向を示している。
一国主義の強化、貿易戦争の激化、軍事力の増強は、カント的な「永遠平和」からは程遠い。
トランプ政権はカントの理念に背を向け、むしろ18世紀以前の「国家の力がすべてを決する」時代へと逆行していると言える。
もしカントが現代に生きていたならば、彼はトランプを「理性なき政治の暴走」として厳しく批判したであろう。
[カントの理想と日本の課題]
カントの『永遠平和のために』に照らして、日本および日本人が現在の国際情勢にどのように向き合うべきかを考察する際、まずカントの基本的な理念を整理する必要がある。
彼の平和論の核となるのは、「法と理性による国際秩序の構築」 であり、そのためには以下の三原則が重要とされる。
共和制の確立(専制政治の否定)
国家連盟の形成(国際的な協調と法秩序)
世界市民的な相互関係の尊重(普遍的な道徳と人権の保護)
これを踏まえた上で、現在の主要な政治潮流と日本の立場について考えてみよう。
■EU・ロシア・中国の社会国家主義に対して
現在のEUはカントの理念に最も近い形で機能しているが、一方でロシアや中国は国家主義的な統制 を強め、自由と人権の制限を正当化している。
ロシアのウクライナ侵攻はカント的な「国際法による平和」の原則に完全に反する行為であり、中国の台湾や南シナ海への圧力 もまた、覇権主義的な政策である。
カントの視点からすれば、日本はこれらの国々の「権威主義的な国家主義」に与するべきではなく、自由主義と法の支配を堅持するべき である。
しかし、単なる対立ではなく、理性的な外交と経済的相互依存の強化 によって、武力対立を防ぐ方向へ進むことが望ましい。
特に、日本がEUと連携しながら「国際法に基づいた秩序の維持」を主張することは、カント的な意味での「平和への貢献」となる。
■イスラエルのシオニズムに対して
イスラエルのシオニズムは「民族的なアイデンティティと国家形成の結びつき」という点で、カントの「普遍的な世界市民主義」とは異質である。
特にパレスチナ問題をめぐる軍事行動は、「戦争は最後の手段」とするカントの立場に反している。
日本は歴史的にパレスチナ問題において中立的な立場をとってきたが、カントの視点からすれば、より積極的に「国際法に基づく解決」を主張すべきである。
特に、日本の独自外交として、イスラエル・パレスチナ双方に経済・技術協力を行うことで、対話の機会を増やし、長期的な安定を模索することが考えられる。
■アメリカのアメリカ・ファーストに対して
トランプ政権下で顕著だった「アメリカ・ファースト」は、カント的な「普遍的な法と理性」に反し、「力による外交」へと傾くものであった。
バイデン政権は国際協調路線を復活させているが、アメリカ国内には依然として「自国の利益を最優先する」傾向が強い。
日本は長年アメリカの安全保障に依存してきたが、カント的な観点からすれば、「対等な国家間関係」を確立することが理想である。
一方的な追従ではなく、日本自身が「法と理性による外交」の担い手となる。
経済的・軍事的にも「独立した主体」としてアメリカと協力する。
つまり、日米同盟は維持しつつも、日本が「自立した平和外交を展開する」*ことが求められる。
■日本及び日本人のあるべき姿
カントの「永遠平和論」に照らせば、日本が取るべき立場は明確である。
国家主義的な覇権主義には与せず、国際法と自由主義を堅持する。
一方的な軍事行動を否定し、対話と相互依存を重視する。
経済的なつながりを強化し、戦争の動機を減らす。
独立した外交を展開し、米中露に対して「第三の理性的選択肢」を提示する。
日本は「法と理性の国」として国際社会に貢献すべきであり、「カント的な国際秩序の模範」としての役割を果たすことが、これからの時代に求められている。
私は政治を語るつもりはないし、語りたくもない。
しかし、昨今の国際情勢を前にし、カントの理想を繙けば、どうしても一言を添えずにはいられなかった。
筆を執ること、それ自体に躊躇いを覚えつつも拙き文章ながら、ここに書き記す次第である。