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【孤読、すなわち孤高の読書】内村鑑三『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』

キリスト教信仰によって数々の困難の克服する和魂の遍歴。

[当時の読後感]
日本史を勉強をしていれば、誰しも学ぶ激動の明治時代。
当時の日本は富国強兵の名の下に西欧列強に肩を並べようと驀進し、戦争へと突き進んでいった。
その流れの中で内村鑑三という一人の男が、非戦論を掲げ不敬事件によって逮捕される。
その名に初めて触れた時、私は異様なまでの衝撃を覚えた。
その信仰と行動、そしてそれに伴う弾圧。
なぜ彼は、明治天皇への最敬礼を拒み得たのか?
その問いが私を執拗に捉えた。
そして、私は彼の魂の遍歴を記した『余はいかにして基督信徒となりしか』と邂逅した。

この書はただの自伝ではない。
彼の内なる戦場、その葛藤と覚醒を余すところなく描き、読む者の心臓を握り潰すほどの力を秘めた記録である。

その幼い頃から清廉な理想を抱き、札幌農学校ではクラーク博士の薫陶を受けた彼が、いかにして日本の伝統を保ちながら西洋の宗教であるキリスト教を受容し、やがて己が信仰を確立していったのか。
そこには血の滲むような苦闘が描かれている。
内村は日本的価値観と西洋的信仰の狭間で裂かれた。
己の心が引き裂かれ、時に修復されながらも、彼はその裂け目の中に「真理」を求め続けたのだ。
彼が一度キリスト教から距離を置きながらも、再び神の赦しに触れ、己の罪深き魂を凝視した時、そこには愛の光が差し込んだ。
聖書の言葉――それは燃え上がる火焔のように彼を灼き尽くすものであり、同時に彼を深い静謐の安らぎへと導いた。

内村は信仰を単なる形式的な儀礼の枠を超えた内面的体験として捉えた。
その信仰は“無教会主義”として結晶する。
内村にとって宗教とは、教会ではなく魂そのものと神との対話だった。
それは孤高であり、そして純粋だった。
彼は聖書を己の血肉と化し、そこに普遍的な愛と真理を見出した。
その探求は宗派の枠組みを超え、彼の孤独な精神の旅路を支え続けた。

『余はいかにして基督信徒となりしか』は、ただの書ではない。
それは内村鑑三という人間の核心であり、彼の思想の原型をなすものである。
そしてその生々しい言葉は、伝統と革新、内と外、孤独と信仰という二元論に立ち尽くす我々の心をも容赦なく打つ。
そこには人間存在の苦悩と救済の光明への道筋が描かれている。

私はこの書に触れた後、プロテスタント系の教会に通い始めた。
牧師に内村鑑三への敬意を語りつつ、彼が愛した神について、聖書について学びを乞う日々が続いた。
やがて教会内で仲間が生まれ、私は内村の思想を語ることに昂然たる自信を抱くようになった。
だが、その日、ある学生が私にこう言った
「君にとってのキリストは、イエスではなく内村鑑三だね」。
その言葉は雷鳴のように私の胸を撃った。
私が信じていたのは神もなく、イエス・キリストでもなく、内村鑑三だったということか?

その瞬間から教会を遠ざけるようになった私は、聖書よりもニーチェの書物、とりわけ『ツァラトゥストラ』に何らかの答えを求め始めていた。
ニーチェの“超人思想”と内村とを重ねた偶像。
そして今もなお、内村鑑三の語りが私の中に澱のように沈む。
その語りは私に問いかけ続ける――人間にとって「信仰」とは何か。
その答えを私は未だ見出せない。


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