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教師になんか 絶対ならない 2/3
このくらいの質問ならスマートに返答があるだろうと期待してのことだった。しかし、彼女の答えは、私の質問とは食い違った、的はずれなものだった。
その答えに少し動揺しながらも、とりあえず納得したふりをして席に戻った私は、考えずにはいられなかった。
なぜ、あんなにもみんなから慕われている素晴らしい先生が、自分が問うような簡単な質問にもちゃんと応えることができなかったのだろう、と。
そして、その時、私はこんな仮説を立てた。
まず、先生という職業は、教える職業である。誰かの話しを聞く時間よりも、自分の頭の中にある情報を話している時間の方が圧倒的に長い。
そんな生活を長年続けていると、だんだんと人の話しを傾聴し、相手の意図を汲み取る能力が減退していくのではないだろうか。自分が何を話すかということだけに、常にフォーカスしてしまうようになるのではないか。
このように考えた私は、先生という職業に長年身をやつすと、人の話が聞けなくなってしまうのだと思うようになった。
第二段階、先生になることの危険性に気づく段階が完了した。
最後は高校時代である。
高校2年と3年のときの担任は同じ人だった。私は彼が嫌いだった。
2年間も担任をされてしまったので、当然、彼の話を聞く機会はたくさんあった。ホームルームや総合の授業などで、彼は日常の気付きのようなものを私達に話していた。
しかし、私はそこから何も学ぶことができなかった。
一応言っておくが、私の学習意欲は非常に高いほうだと自負している。どんな場面にも、どんなものにも学べる要素があると思って、頭を働かせながら世界と接するようにしている。
担任の話も、もちろん例外ではない。先生という教える立場に長年立っている、人生の先輩が話すことなのだから人一倍注意して聞くようにしていた。
しかし、彼の話は、悲しくなるほどに、果てしなくしょうもなかった。
彼の話は、例えるならばこんなものだった。
つづく。
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