風味の氾濫 本物の堤防
祖母は個体のチョコレートだけが好きだと言う。
チョコレートケーキや、その他チョコレート味のお菓子は嫌いなのだそうだ。
ということは、チョコレートの食感が好きなのかと思い尋ねてみたが、そういことでもないらしい。
祖母のチョコレートに対するこだわりの真相は分からないままだが、考えてみれば同じような現象は様々な食べ物で起こりうる。
メロンは好きだが、メロン味のアメは好きではない。であったり、コーラは好きだが、コーラ味のグミは嫌い。といったことである。
最近では、アップルパイ味のインスタントやきそばまであると聞く。これなどはかなりこの傾向が強そうである(食べたことは無いが)。
このような○○味の○○といった商品は世の中に数多くある。上で挙げたようなお菓子類はだいたいこのパターンだろう。
各社商品開発部の日々の努力により、○○風味の商品はどんどんその数を増やしている。巷には、本物のリンゴよりも、リンゴ風味の食品の方が多く並んでいるのではないか。
本物よりも、”本物風の偽物”に私達はより多く触れているのではないか。
しかしそれでも、私達が本物のリンゴの味を知っていて、リンゴ風味は、あくまでもリンゴ風味であると認識できているうちは大丈夫だろう。
問題は、これが逆になったときである。リンゴを食べる前から、リンゴ風味のものばかりを食べ、いざ本物のリンゴを食べた時に、「リンゴグミっぽい味だ!」などと言ってしまうことは避けたい。
本物を偽物と思い、偽物を本物と思えば、必ずどこかにほころびが生じる。なぜなら偽物とは、誰かの作為の産物だからだ。
そしてこれは、食品だけの話しではない。
何かの二番煎じや、風味だけを再現したもので社会は覆われている。そしていつの間にか、そのどれが本物で、どれが作為の産物なのか分からなくなっていく。
偽物を本物だと信じてしまうと、誰かの作為に操られながら生きることになってしまう。あなたの人生が、あなた自身から遠ざかってしまう。
偽物を完全に避けながら生きることは不可能だろう。しかし、偽物を偽物と認識しながら行きていくことは可能である。
本物を知ろう。本物に触れよう。そうすることでしか、偽物を見破れるようにはならない。
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