一瞬の、永遠の、夏。
あれは8年前の夏、愛媛県松山市にて。
沖縄の某大学院大学への赴任に半年程かかっていたので、
その間に愛媛県松山市でゲストハウスをつくる計画をフリーランスで請け負った夏であった。
そこにニュースが飛び込んで来た、
モーニング娘。が松山に来る!しかもライブハウス公演!!
一夏しか滞在しない松山で奇跡が起きた。
私は興奮状態でチケットを押さえ、
松山のドンキでサイリウムを入手した。
迎えた当日、私は満を持してライブに臨んだ。
そして、遂にモーニング娘。が松山のライブハウスのステージに降臨した。
小さなライブハウス空間内に発生したモーニング娘。のエネルギー値は凄まじく、例えるならば「密室での五輪選手のハンマー投げ」、
あるいは、
「ローリングストーズのシークレット・ライブハウス・ギグ」。
そして、神々に捧げる巫女たちの宴のごとき神々しいメンバーたちの中で、明らかに次元の違う輝きを放っていたのが、「尾形春水」さんであった。
いや、生で観るまでは、歌下手、踊り下手、の後列メンバー、という認識しかなかったのだが、彼女は神々の如きメンバーたちの中で、ひときわ高輝度で発光していた。
実際に歌パートも少なく、後列にいたのだが、その多幸感溢れる一挙一動に目が奪われ、その笑顔はアイドルの神から祝福されていた。
「これほどまでに人間は光り輝くものなのか!?」
私のアイドル心は尾形さんに完全に奪われた。
そして何と!
終演後は「握手会」である。しかも私にとって人生初めての。
ライブハウスのフロア扉が開いて、ロビーにメンバーの姿が見えた瞬間、
あまりのオーラに遠のきそうになる意識を保ちながら握手に臨んだ。
あまりに善、あまりに清らか、五穀豊穣の神々との握手であった。
例えば、私がガン患者だったら、握手の瞬間にガン細胞は跡形も無く消えていただろう。
そして何人目か、
尾形さんと握手するする直前、私は準備していたわけでもないのに
「凄く良かった!!!」
と感動の言葉が自然に口から出た、思わず彼女を指さしながら(ブラック・ミュージック・マナーだ)。
それまで他のメンバーには緊張のあまり小声で「ありがとうございました」としか言えなかったにもかかわらずである。
尾形さんは、満面の笑みで私に何かを言っていた、
が、極度の興奮状態の私の記憶は飛んでおり、その言葉は覚えていない。
ただ、私が次のメンバーに移ってからも、まだ振り向いて私に何か言っていた(次のメンバーは若干不機嫌そうだった、いや、私が敬愛する小田さくら先生には失礼をしてしまった)。
その晩、私は尾形さんのブログのコメント欄にコメントをした、
そんなことをするのは生まれて初めてである。
もちろんその内容は秘密だ。
それから2年後、尾形春水さんはモーニング娘。ご卒業を発表された。
さらに半年後、奇妙な縁から、私はモーニング娘。さんのメキシコ公演に行った。
尾形さんが御卒業された直後であった。
(当然だが)メキシコに彼女は居なかった。
あの「松山の出会い」から8年間、
尾形さんに再開する機会はいまだ訪れていない。
だが、
あの奇跡の夏の思い出を胸に、私は今日も頑張って自分の人生を歩んでいる。
完。
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