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「棚に上げる」と「習うより慣れろ」について考えてみる


📂no+e :備忘録「棚に上げる」と「習うより慣れろ」を考えてみる

子供の頃、感激感動したことがある。
苦労してた算数の問題が、Xという文字を作って式を作ると簡単に解けてしまう。
学校でそれを教わって
「世の中には、なんて頭のいい人がいるんだ!」
ほとほと、感心した。
 なんとなく、取り敢えず分からないものを、ある概念の塊にして、「それはそれとしておいといて」できることをアレコレしていると解けてしまう。凄いじゃん。凄すぎる。
なんとなく以下のことに似ていないか?
抵当権の付いている土地を抵当権部分を証券化して売っぱらうようなことに。

 あと、思い至ったこともある。自分は小学一年生で新聞のラジオ・テレビ欄を、小学二年生くらいで新聞の三面記事を読んでいたので、親や他人に驚かれたことがあるのだが、自分としては驚かれることのが不思議だった。
読めない漢字は、読めないものとして(それはそれとして棚に置いといて)読み進んでいたからだ。
  分からない字は特に気にしないで飛ばして読んでいくことで新聞を読み進めることで何の不自由も感じていなかったからだ。
 さらに、言うならば、新聞は面白そうなので読んでいただけで、特に書いてあることを理解してやろうなどと思って読んでいるわけではなく、例で言うなら、キレイな絵の描いてある紙が転がっているならば、何となく目が行って見てしまうわけで、鑑賞してやろう理解してやろうなどと特に考えるまでもない。幼い自分にとって、新聞の文字を読むことは単に娯楽であった。勝手に目が行き気がついてみると勝手に読んでしまっている、そういうものだった。とにかく三面記事(と四コマ漫画とテレビ番組欄)を読むのがたのしみだった。(逆に言えばそこだけしかほぼ読まなかった)
 何となく分からない漢字を「X」にして「棚において」読み進めていたわけだ
そうしてると、辞書で漢字を調べなくてもどんどん漢字が読めるようになっていった。小学三年生の頃には新聞は(新聞に出てくる漢字は)何の不自由もなく普通に読めるようになっていった。好きこそものの上手なれである。(子供の頃から本の虫だった)
ただし、……
①(新聞に出てくるような)漢字は、どんな漢字でも読めるが「書けるわけではない」
②自己流に読んでいるのでごく僅かに勘違いしている読み方があった。
例:唯一を「ずいいち」堕落を「ずいらく」というような、あと
③読めない漢字は読めないままで、気にもせず調べようともしなかった文字もある。具体的にはどういった漢字だったかは一向に思い出せないが、文脈や、字面、漢字の「部首」「つくり」で意味は普通に分かるので読み進めている際に特に気にもしなかったというパターンがあった。
 文章の意味や文脈を理解するために読みすすめているのであって、漢字自体に興味があるわけでないので漢字にいちいち(読めないからといって)つっかかってる時間がもったいなと無意識に思っていたのだと思われる。
わからないことをわからないままでおいておくということは、基本褒められるものではないが、(わからないことを)「それはそれで置いといて」進んでいくと、わからんままで置いといたことが自然と解けているということは誰しも体験しているだろう。
(わからないまま、思いつきで突き進んだため痛い目にあった……ってこともあるでしょうが)
語学など、その最たるものだろう。こういうときは、こういう単語(言い回し)などと机上で学ぶより、現地でアレコレ痛い目にあいながら身体で覚えるに勝るものはないだろう。少なくとも習得の速さの点では。
 ていうか…母国語はそうやって何となく覚えていったわけだ、赤ちゃんのころより。

で、当たって砕けろなので、当然勘違いもある。
①小さい子供を育てた経験がある人なら分かるだろうが自分が会社から帰ってきて「ただいま」と父親の自分が言うと子供が僕に(おかえり、ではなく)「ただいま」と返す(うちの子だけではなかった。よその家庭でもそういう会話目撃したようなかすかな記憶がある)
②子供が親とリビングにいる時に子供がトイレに行く際は「トイレに行ってくる」と必ず親に断ってからトイレに行っていた。勝手に 行って勝手に帰ってくればいいのになんでいちいち俺に許可を取るようなことするんだろうと、何となく不思議だった。特に考えていたわけじゃないが、無意識にその謎を解明しようとしていた。ある日ふと閃いて、そういうことか!一人納得した。
 子どもがもっともっと小さい時に自分と小さな子どもと二人だけでリビングにいて、父親の自分が黙って勝手にはトイレには行けない(子どもが不安になるorついて来る)ので、必ずトイレに行く際には、「トイレ行ってくる」と必ず断りを入れてからトイレに行っていた。子どもがある程度大きくなると、父親の自分が黙ってトイレに行っても子どもは当然全然大丈夫なので、自分は子どもと2人だけでリビングにいる際も黙ってトイレに行って黙って戻って来るようになった。だが、子供の方は、トイレに行くときは相手に断りを入れなければならないと、無意識に習慣づいてしまったものだと思われる。むろん、そのうちに成長していって子どもは俺に黙って勝手にトイレに行くようになった。(そりゃそうだ)


数列の式

高1のとき、数列を表すシグマの数式の左辺が全く理解できなくて苦慮していたら、数学の先生に、「理解するもなにも、そういうもんだ、理解しようとする必要はない」と言われ「なに言ってんだ」とひどく怒りを感じた記憶がある。
ところが、わけわからんまま、色々問題を解いていたら、そういうもんだと自然に理解できた。むしろ、いったい何を理解しようとしていたのか、ソッチのほうが逆に不思議で謎であってなんで「理解というものに」こだわりつまづいていたのか、過去の自分の方こそが理解できないようになった。
 わからんことは棚に置いといて、『習うより慣れろ』である
 ちなみに、クラスで「Σ」の部分の記号が理解できなくて苦労してたのは自分含め3名のみ。他の人は全然困っていなかった。彼らは瞬時に理解したのだろう。あるいは予習してて、仮に理解できなくてもその部分は棚に上げて、問題を解いている間に、シグマの記号の意味を自然と理解した人もひょっとしていたのかもしれない。
 
話はころっと変わる。
さて、皆さんは量子力学に興味あるだろうか。
 これが実に面白いのである。
自分は頭良くないし、数学なんぞ赤点取ったこともあるし、物理で100点満点のテストで2点を取ったような文系人間なので、量子力学なんぞ理解できるはずもない。だが、数式も出てこない一般人向けの量子力学の本を読んでみると実に面白い。面白すぎ。
 二重スリット実験、シュレディンガーの猫、コペンハーゲン解釈。読んでてわからんことも結構出てくるが、「それはそれで棚において」非常に愉しく読める。
 小学二年生で新聞を愉しく読んでいた子供の自分が、歳取った今も自分の中に変わらず生きている…


と、まあ、上で終わっとけばカッコいいが実際は……

正しくは「小学二年生で新聞を愉しく読んでいた自分が今も自分の中に変わらず生きている」ではなく「小学二年生で新聞を愉しく読んでいた自分が今も自分の中に変わらず生きていた」と書かねばならない。過去形である。
小学二年生の頃の俺は既に完全に死んでしまっている。本が読めなくなっている。
集中力がまるで続かない。鬱を何回かやってからマジで本が読めなくなった。紀伊國屋書店、旭屋書店、ジュンク堂で山ほど本を買ってきてあっちゅーまに読破していたあの人は死んでしまった。悔しいなぁ。

書籍『ユーザーイリュージョン』


 手元に「ユーザーイリュージョン」って本がある。意識とは何ぞやってテーマの本で知的好奇心のある人なら誰にでも400%の自信をもって薦めたい本。ちらっと本を開けて目を文字に走らせるだけでワクワクする本。12年ほど前に夢中になって読んだ本。いまも、本をパラッと開けるだけでワクワクするのは変わらない、だが、たったほんの1ページ読むのもなんかソートー無理。マジ無理なんですわ、これが実に。いや~ほんと、まいったするわ〰️(泣)
 スマホのweb記事や5ちゃん掲示板は割と読める。本もノンデュアリティー系なら3ページくらいは読めるなんとか……
 3ページ読み、集中力切れて5ちゃんやようつべ見てまたなんとか2ページほど読み集中力切れて音楽かけweb記事読み、1ページなんとか読み、そこで力尽きる…
 努力してそんな体たらく、まいったするわ〰️。嫌いな本じゃなくて、好きで読みたくて読んでる本でそれな。
 そもそも論でいうと、集中力がないから本が読めないってのが間違っているのよ。なんとなれば本を読み始めれば、知らぬ間に引き込まれいつのまにやら集中してしまう…そういうのが読書としたものだ(勉学のためのテキスト読みや数式が出てくる本なら話は別です、無論。あくまで自分の読みたい本の話ね)

 話変わって、デジカメで写真を撮るのは、結構鬱の時でもできていたのだが、ある日突然写真を撮ることができなくなった。スマホですら写真を撮ることができなくなった。ここ最近やっとスマホなら写真を撮る事ができる精神状態になったのでちょっと前しばらくno+e にアップしていたが、休みの日は引きこもりでほぼ出かけない&通勤途中や野暮用、自宅庭(周辺)だけで撮影した写真だけなのでとうとうネタが尽きてしまった。正直、家の中がきれいならば家の中だけでも無限に写真を撮る自信があるのだが、あまりにも家や倉庫のアチラコチラが散らかっていて汚い部分を避けて写真を撮るのはもー無理‼️

破れた障子、ゴチャゴチャしたタコ足配線、も~無茶苦茶
で、これでも年末頑張って自分の部屋だけきれいにしたつもりなんです
それでいてこんなに汚いという(泣)


 取り敢えず、何とか生きているのでよしとしている。
つーか、良しとせざるを得ないのだ。ねー
[了]

📁no+e :備忘録「棚に上げる」と「習うより慣れろ」を考えてみる

( ´・ω・)⊃旦
最後迄お読みくださって有難うございます
お茶でも飲んでゆっくりしていってください、
人を選びますが、物好きな人には結構刺さる文だと思っている。
少なくともAIには絶対に書けない文章にしたつもりです(キリッ)&ドヤ顔(笑)

理由:AIは鬱にならない

ではでは
[EOF]

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