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曽祖母の家

曽祖母の家を6年ほど前に取り壊し、去年曽祖母が亡くなった。
亡くなった人の話を記事にしたいわけではないが、明日今よりも記憶は遠のいてしまう。車のエアコンを付ける時期になって、曽祖母の家へ向かうときの匂いで、思い出した。これからも思い出せるように描いてみようと思う。

家から2時間かけていく夏休み

曽祖母の家は、住んでいるところから高速に乗って2時間。コロナ禍になるまで、曽祖母が施設に入っても少なくとも年4回くらいは行っていたし、家に住んでいた頃には家族みんなで遊びに行っていた。

大抵は朝早く家を出る。乗用車定員ちょうどで、末っ子の自分は1番後ろの席が何だか秘密基地のようで楽しくてよく座っていた。飲み物を持ち、毛布を積み、1人でシートに寝そべる。

思い出すのは日差しのある夏ばかりだ。当時働き始めたくらいの姉を含めて、みんな揃って行くのはお盆が多かったからだ。エアコンの風、毛布を日差しを避けるように頭からかぶる。2時間あるなかで、幼い頃ほどほとんど寝ていたし、小学生くらいになると3DSにお気に入りの水色のヘッドフォンで音楽を聴いたり、姉がハマっていたKPOPをみんなで歌ったりしていた。

高速を降りてすぐ曽祖母の家はある。たいていがお盆なので、好物のケンタッキーだとか、曽祖母の馴染みのお肉屋さんだとかで買い物をしてから坂道を登り、曽祖母の家がある。

緑と白と赤い屋根

家は、高速道路に臨んでいる。車道わきから長い階段があり、登ったところで高速道路と同じ高さになる。少し高いのでガードレールがあり、それに沿ってスイセンが咲いていた。他にも大根だとか、作物がならんでいる。親戚の家が左右に二つ、後ろは山。以前は養鶏や葡萄畑があった話も聞いたことがあるけど、もう忘れてしまった。家の裏にも畑があり、青い大きい水甕が記憶によく残っている。

当然ながら田舎には虫が多い。わたし昔から虫がとても苦手で、その家の前で車から降りることが1番怖かった。夏は特に虻が怖くて、親が車から荷物を下ろした後、ダッシュで降りて家に入っていた。毎回そうだった。

いまは記憶の中だけの家

ガラガラと扉を横にひく玄関、入り口のじゃらじゃらした飾り。家を取り壊してしまった後、たくさんの質感を忘れずにいたいと思った。

テレビ台の誰かのお土産のガラス細工、台所の窓からは遠くに鹿が見えて怖かったこと、お風呂場のお湯の匂い、熱過ぎる風呂、部屋の間の押し入れには来客用の布団がいっぱいあること、曽祖母の部屋の千羽鶴、箪笥の綺麗な鏡、郷土感ある神棚、いつも綺麗な仏壇、紙とペンとおもちゃがいっぱいの、そのままに仕舞っていてくれる引き出し、階段の急勾配、ビールの段ボール、干してある南蛮、テーブルいっぱいのご飯、冷蔵庫の箱アイス、オロナミンC、どこか怖い時計の時報、高速道路を走り去る車の音、縦長のてんとう虫。

特有の親戚との関わりは、年齢が上がるつれに少しずつ嫌になったけど、これは性である。歳をとると同じ話ばかりするようになる人もいるけど、わたしがそうなって話す内容の中に、ひとつ曽祖母の家の話をしたい。それくらいの思い出だ。今より薄くなった自我と思考の先にあるものがこういう話になれば嬉しい。

曽祖母への気持ち

知らせを聞いて、朝方母と家を飛び出した時、母が高速道路を160キロくらいで走っていたことがやけに記憶にある(だめです)。生前描いていた日記を見て泣いた。

今でも夢では会うことができるけど、夢でわたしはいつも話している気がする。どこか怖い気持ちがあっても話したくて話している、そういう夢を先日見た。

思いつきで書き始めて泣いてる。今度夢で話す時には、今までの成果とかをいいたいと思った。形がなくなってしまったものを、たまに思い出して糧にしたい。

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