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「正しい」って何だろう?

こんにちは!今回は『正義の教室-善く生きるための哲学入門』という飲茶氏の本を読んで「正義」という言葉の意味について考えてみました。

①この本を読もうと思ったきっかけ

この本は私が大学の講義で哲学の講義を受けているときに教授がおすすめしていた本でたまたま本屋さんで本を探していた時に見つけたため気になったため購入しました。また、帯に「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」という言葉に自分は意見を決めることができず、この本を読んでどのような選択が「善い選択」と言えるのかを確かめたく購入に至りました。

②あらすじ

この本は正義についてそれぞれ違う意見を持つ三人の女子高校生と主人公である男子高校生が倫理の授業を受ける様子を描き、難しいと思われがちな哲学というものについて読みやすく書いてある本です。その三人とは徳川倫理、リバディ・自由(ミユウ)・フリーダム、最上千幸であり彼女たちはこれから説明する主義にそれぞれ当てはまる。また主人公は特別偏った正義を持つわけではなくみんなの中立となって意見を言っていく正義(まさよし)くんである。この四人が物語の中で倫理の授業を通じて正義とは何か、何が善い行動とされるのかについて理解を進めていく。

③正義とは何か

早速内容について書いていきます。正義には3種類あります。それは「平等、自由、宗教」です。また、それらは平等=幸福を重視する功利主義、自由=自由を重視する自由主義、宗教=道徳を重視する直感主義というように分類することができます。人や国はそれぞれの主義を持ち、正しさの基準を設定しています。

④功利主義について

これは「全員の幸福度を計算してその合計値が一番大きくなる行動、これこそが正義である」とするものです。全員に対して物事を「均等」ではなく「平等」に振り分けます。例えば一つのおにぎりを分けるときにお腹の空いたAさんと満腹のBさんがいたとします。その時に、Aさんに対して少し多めに与えた方がこれは「均等」な分け方ではないですが2人の幸福度が最大になることが分かります。功利主義という考えは法律家のベンサムという人が創始者です。ベンサムは「最大多数の、最大幸福」を唱えたことで有名な人です。また、ベンサムは人間は快楽と苦痛のみでもたらされるとし、幸福とは快楽が増加、または苦悩が減少とし、不幸とはその逆であるとしました。これによって幸福の定義を決めたのです。しかしこの功利主義には問題もあります。それは幸福度はそれぞれの人によって違うため、万人に共通する幸福度を決めることができないことです。さらにパターナリズムの問題もあります。これは「独善的なおせっかい」といわれるもので頼んでもないのに勝手に配慮をされてしまいむしろ実際は幸福度が下がってしまうという問題です。また、この功利主義というものを実現するためには「大きな権力」というものが必要になります。例えば最初のおにぎりの話についてAさんにたくさんの量を与え、Bさんに少ない量を与えるといった方法をとるためには大きな権力がまずおにぎりを支配して有無を言わせず、強制的に分配しなければ「均等」ではないと文句が出てしまいます。

⑤自由主義について

これは「人の自由を第一に考えること、それこそが正義である」とするものです。この自由主義を表す言葉として弱者にやさしい福祉社会をつくることはリベラリズム、弱肉強食の自由競争を推進する考えはリバタリアリズムと呼ばれています。また、自由主義には弱い自由主義と強い自由主義があるとされています。弱い自由主義について自由に生きることが人間の幸福であり社会は個人の自由を尊重しなければならないというものです。これがなぜ弱いと言われるのか、それは「幸福>自由」の状態であるからです。これは自由を尊重するとは言いつつ、功利主義者のような考えを持っています。反対に強い自由主義とは自由によってもたらされる結果は関係なくとにかく自由であることを尊重する人たちのことで、それは結果的にほかの人を傷つけてしまうことがあったとしても自由を守ることこそが正義であるとします。これには「人の自由を侵害しない」という条件があるため例えば殺人などはもちろん自由主義の考えからは外されます。自由主義の問題点について自由主義は全体の幸福を求めているわけではなく、功利主義のように大きな力が不平等を埋めてくれるわけでもないため格差が起こりやすいです。しかし格差の生まれた後の上の立場の人は自分が好きなように暮らすという自由を持っているため格差の下の人を助けるという義務がありません。よってどんどん格差が生じてしまうのです。

⑥直観主義について

これが大きな3つの正義の考えのうち最後のもので、「良心に従って行動した結果こそが正義である」とするものです。これがなぜ宗教的であると言えるのでしょう。それは「物質的または理性を超えたところにある何かを信じている」からでなのです。つまり宗教的である人というのは正義とは考えることのできる範囲になく表すことのできないもので感じる直観的なものであると主張する主義の人のことを言います。この主義の問題は自分の信じるものを直観的に考えているため正しいとは限らないがそれを主張し続けなければならないということです。これは「その人個人による」としています。

⑦全体を通じて

全体を通じてこの本では「正義とはなにか」という問いについて答えを出してはいけない(出すことができない)としています。それは、ある1つの主義を「正義」と仮定した瞬間、他の主義を否定することになるといった繰り返しになってしまうからです。この世の中では「正しいことをする」ということを「正義」としてその人にとって、ではなく世の中の人にとって「正しくないこと」をした人を否定する傾向にあります。しかし「正しい」とは何が基準となっているのでしょうか。その判断は難しいです。よって私たちは「正しくありたいと願い、善いと思うことを貫くこと」こそが必要なのではないでしょうか。誰にでも、どこでも通じるような普遍的な善や正義は誰にもわからないので「今この瞬間の自分が正しいと思ったこと、善いと思ったこと」これを私たちは貫くべきです。

⑧最後に

私はこの本を自分が今やっていることに不安になっている人、人生にもやもやしている人に読んでもらいたいです。いま、自分がやっていることは果たして正しいのか、あの時の選択、行動は本当に正しかったのか、そんな風に悩んでいる人はこの本を読んで自分がやったこと、やっていることに自信を持つことができるはずです。実際に私もこの本を読んでから自分の選択に自信を持つことができるようになり、自分の行動を今、この瞬間に正しいと思ったことを優先できるようになり、自分の選択に後悔することが少なくなりました。人生豊かになります!ぜひ読んでみてください!

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。皆さんのいいね、フォローが私のモチベーションにつながります。まだまだ未熟なので文章について、レイアウトについてなどコメントでご意見を頂けると嬉しいです。さらなる成長のためにもよろしくお願いします。
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