さみしい夜にはペンを持て
私がフォローさせていただいているライターの古賀史健さんの新刊を読みました。
いじめられっ子だった中学生のタコの「タコジロー」が主役です。
バス通学していたタコジローは、ある日、いじめが嫌で学校を通過して、終点の公園に行ってしまいます。
タコジローは、その公園で、ヤドカリのおじいさんに出会います。そして、ヤドカリのおじいさんに導かれながら、「書くこと」を始めるのです。
この本を一言で言うなら「日記のすすめ」です。そしてもちろん「書くことのすすめ」です。
古賀さんは、
話すことは、話したそばから消えていくあわである。書くことは、何度でも納得するまで推敲できるところが違う。また、話せる相手が居なくても、自分という読者と、対話することができる利点があるとします。
先ほど言ったように、この本は「日記のすすめ」です。日記の唯一の読者は、「未来の自分」だと言うのです。
noteは、どうなのでしょうね。
僕は、自分のnoteを、日記とは思えません。
日記と呼ぶには、書けない事が多いからです。読まれると困ることとか。それと、一般の読者の目を意識して、差し障りのない表現に、なってしまいます。
僕の中の僕は、嫉妬深かったり、怠惰だったり、偽善者だったりします。書けないことが多すぎます😅。
でも、この本を読んで、日記を書きたくなったことは、確かです。
悩んでいたり、ぼんやりしていたり、時々嬉しかったりする自分を、自分のためだけに、記す日記というのは、魅力があります。でも、noteは続けたい。
両方なんて選択、あり得るのでしょうか。
どうしようかな。
両方やってる方、いらっしゃいますか?
いい本でした。
よろしければ、どうぞ。