家康、印刷、論語
家康の木活字との出会い
ところは京都洛北・圓光寺(えんこうじ)。
さくらの木に彫られた
キャラメル位の活字が
長方形の木箱に
びっしりと肩を寄せ合っていました。
つかいこまれた墨色が印象的です。
これが
徳川家康(1543~1616)の下賜(かし)した
現存する日本最古の木活字(もくかつじ)でした。
重要文化財です。
圓光寺(えんこうじ)とは
家康の命で1601年に京都伏見に創建された
学校の役割を持つ臨済宗南禅寺派のお寺です。
足利学校の上方分校として
閑室元佶(かんしつげんきつ)が開山。
多くの僧や武士が入学し、書籍の出版もおこないました。
圓光寺の木活字で印刷された主な漢籍は 家康の愛読書であった「孔子家語(こうしけご)」から
兵法書、歴史書等々
これらは
1606年頃までに出版され
伏見版と呼ばれています。
家康の印刷と論語
家康は天下統一後、戦乱の世をかえりみて
治世に文教の必要を感じ
文化事業にかかわるようになります。
大御所となり駿府におられた家康は
1606年~1616年には銅活字で
出版をつづけます。
これは駿河版とよばれます。
江戸時代における印刷手法変遷
おおまかにいうと以下のようです。
手間がかかりコストの高い
駿府版、駿河版、
キリシタン版(キリスト教禁止令で終わる)の
活版印刷がおこなわれます。
その後、簡単で低コストの
瓦版や、浮世絵等でみられるような
一枚の板を彫って使う
木版印刷が幅をきかせていきます。
幕末から明治初期になると
ようやく一度消えた活版印刷が
鉛活字を使用して普及していきます。
家康が愛読した「論語」には
人としての道やリーダーとしてあるべき姿が
書かれています。
家康が身につけた知識は
当時最高の知識人であった禅僧にも
劣らないほどでした。
みなさんもよくご存じの
義を見てせざるは勇無きなり、
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、
朋あり遠方より来る亦たのしからずや、
過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し、 等々
家康はこれらを僧や武士のみではなく
広く市井の人々に届くよう
いろいろと出版なさいました。
魁(かい)をなさったとおもいます。
”武”ではなく”文”で
長く太平の世がつづく一端を
担ったのです。
家康亡き後も
藩校、寺子屋、塾などにおいては
わかりやすくルビをふった論語の「訓蒙書」が
ひろまり読み継がれていきます。
逸話をおひとつ
まだ論語を知るものが少なかった戦国時代に
前田利家は加藤清正に「論語」を
すすめたそうです。
「明良洪範(めいりょうこうはん)」江戸時代逸話名言集より
論語の今とわたし
古くは聖徳太子から徳川家康、
二宮尊徳、新渡戸稲造、渋沢栄一、稲盛和夫などが
「論語」を読み実践され名著を生み出しています。
人々がその教えを
心のよりどころにしてきたのでしょう、、、
私には前述した言葉などは
とても身近で
自分の規範にあると思います。
お若い皆さんには
馴染みが薄いかもしれませんが
どう思われますか?
この記事を書くにあたり
家康の活字印刷のルーツを
ネット検索で
たどっていきました。
するとその流れが
延々と現代まで
「すりこみ」されている事に
気づきました。
身をもって
論語の「温故知新」の範疇(はんちゅう)と解釈し
”故きを温ねて新しきを知った”
パラソルさんでした。
了
裏話
かなり前、圓光寺を訪れたのは水琴窟をめぐる旅でした。
現存する江戸時代の活字を同寺で見た事が思い出され、
この記事を書きました。
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