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ヒト・モノに、‟完璧”とは存在するのか?? -ガンディーの人生から学ぶ-

おはようございます!
昨日の晴天から急転直下の雨模様にも、このような雨の日も良いとそのまま受け入れようとする‟ブッダの化身”です。
#無謀すぎる
#ブッダはすごい
#すごさって何  ?

さて、今日も読書メモの回です。

『歴史思考 (著:深井龍之介)』

前回は、イエスや孔子の人生から、「ダメな人間」などと悲観することなく、今、「存在すること」自体に意味があるということを学びました。生きているだけで、人生の99%の目標を達成しているのです。

今回は、ガンディーです。
非暴力、不服従をはじめとし、インド独立の父として有名ですね。
偉人といえば、名前が上がるガンディーからはどのようなことが、叡智として得られるのでしょうか。

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偉人=偉い人??

偉人と聞いた時に、どのようなイメージをするでしょうか??

偉い人。
優秀で完璧な人。
清廉潔白な人。

偉人であれば、ヒトです。
本当に100%完璧なヒトであったのでしょうか??

モハトマ・ガンディーは「インド独立の父」と呼ばれる存在ですが、青年期含めてパッとしない時期を過ごします。
出身はインドのカースト制度の中でも平民階級でしたが、家は比較的裕福でした。ガンディーはお手伝いのたばこを盗み、反省し、謝罪の手紙を父親に送ったり、宗教的NGである肉を食べたりなど、一定の範囲ですが、やりたい放題でした。

13歳の時に、習慣としての「児童婚」にて結婚をします。
妻に対して、嫉妬深く、DV気質もあったとされています。

そのころには、医者という目標に挫折をし、弁護士を目指して妻子を残しイギリスへ留学します。一度インドの大学を中退したものの、多大なお金に関しては家族額面をしています。

ガンディーがインドの大学にて挫折したのは、引っ込み思案で人前でしゃべることが苦手であったことが影響しているとされています。
もちろん、イギリスでもその影響は大きく、一度は西洋風の振る舞いを身につけようとするものの、数カ月で挫折。暗い大学生活を過ごしています。

一方、宗教などにも興味が出たのがこの時期であり、「新約聖書」や「コーラン」などを読みふけっています。

3年後、当時9割越えの弁護士資格に合格し、資格取得をし、インドへ帰省します。

20歳代前半(今の日本の感覚だと30歳程度)には、弁護士業を開始しますが、人前でうまくしゃべれない弁護士に仕事が舞い込むはずがありません。それどころか、反対尋問の途中で、しゃべれなくなり、降りてしまう始末。
弁護士になるために、多大なお金がかかったにもかかわらず、仕事として成立しないガンディーの生活は苦しくなるばかり。

23歳(1893年)、ガンディーに転機が訪れます。
南アフリカでの仕事が舞い込んだのです。舞い込んだというよりも、低報酬で誰もやりたがらないものが、回ってきただけですが……。

ただ、渡航してからの最初の2週間で受けた「人種差別」が人生を変えます。
ガンディーはしゃべるのは苦手でしたが、インプット力と思考能力は備わっていました。この期間に、どのようなことを受けても、感情に任せて怒り狂うことなく、「これはいったい、どういうことなのだろうか?」と考え続けました。

この期間を、人生でもっともクリエイティブな時間と振り返っています。

この頃の仕事といえば、遅咲きではあったものの、物事について深く考え、本質をつかむことが得意であるガンディーの性質が花開きます。事業で大成功をし、妻子も南アフリカへ来ます。

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ここからが偉人誕生の所以?

聖人ガンディーの誕生は、45歳にてインドに帰国したのちです。
「非暴力・不服従」を思想とリアルな戦略とし、清貧の生活に徹することで、インドの独立運動を指導し始めたのです。

これには、ネルーという若き活動家(後にインド初代大統領)も当初‟手ぬるい”としていたのですが、30分程度MTGすると方針転換してしまうほど、ガンディーの話には効力があったとされています。

60歳の時に、【塩の行進】を行い、実名ともに、「インド独立の父」となります。この塩の行進の際にも、人選から立ち寄る場所まで綿密に計画されていました。

そのような中、世界は暗い方へ突き進んでいきます。
ガンディーは、ヒトラーやルーズベルトに、戦争の反対を書いた手紙を送りますが、聞き入れられませんでした。第二次世界大戦後、イギリスは戦勝国となったものの、インドを維持する力は残っていません。
足元では、宗教の対立もさることながら、独立運動がガンディーの望まない形で激化していきます。活動家から観ると、時代遅れの老人と見えていたのかもしれません。

結論からいうと、独立は果たします。
ガンディーの望まない、パキスタンとインドという宗教対立の構造でです。
そして、78歳の時に銃弾に倒れ、生涯を終えます。銃弾を放ったのは、ヒンドゥー教原理主義者であったとされています。

生涯を終えるまで、周囲を説得できない理由は自分がその高みに達していないためと考え、修行をつづけていたというエピソードが残っています。
特に、この部分は、確かに聖人であるともいえるでしょう。

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振り回された家族

妻と4人の子どもに恵まれましたが、上記のような人生です。
学業も仕事もうまくいかず、南アフリカに行き成功したと思ったら、帰ってきて清貧の生活に徹する。

家族からは疎まれていたという記録が残っています。
何よりもガンディーの生活に翻弄されていたのです。

また、ガンディーの生涯にわたる裏のテーマは「性欲の克服」でした。
19歳の孫姪を裸にして、一緒に寝るという‟修行”を行っていましたが、これに関しては周囲からも批判を受けています。

さらに、長男であるハリラールはイギリス留学含む学費等の件で確執が生まれ、家を出て欲のままに生きたとされています。ガンディーが銃弾で倒れたすぐ後に、路上で野垂れ死んでいるのが発見されました。

子育て含めて、家族関係には成功をしていたとは言えないでしょう。

聖人ガンディーを学び、わかりやすい結論を引き出す必要はありません。
歴史も、人間も複雑で多面的であるのです。


僕たちは理解をするために、物事やヒトをできるだけ、簡素化しわかりやすくします。その結果、見落としたり、想定しない事態が出たりと様々なことにあえて直面しに行っているのかもしれません。

歴史も、人間も、複雑で多面的である。

この言葉の持つ意味は重要でしょう。

今日も学んだー!!
ではでは、今日もワクワクするような最高の笑顔で、いってらっしゃい!!

アクティホーム
講内 源太

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