記憶の断捨離⓪-5 ~催眠状態への準備~
記憶の断捨離術は、自分の本当の気持ちと向き合うことで、過去の嫌な記憶に決着をつけて、心を健康にする心理療法です。
前回は私自身の催眠療法の体験記を書きました。
催眠状態への入り方を書く前に、自分の本心と向き合うための準備段階が必要であることについて記事①~⑦を書きましたが、これを前回の記事を踏まえて少し補足しておきます。
さて、前回は個人的な嫌な記憶を長々と書きましたが、どうお読みでしたでしょうか。
私にとっては、とてもとても嫌だった事実を生々しく思い起こして文章にしているうちに、改めて号泣してしまう程に辛かった出来事です(もちろん、当時の記憶は私の中で清算できているので、催眠療法で過去を見た時と、記事にするために振り返った時とで号泣の意味は違っていましたが)。
催眠療法で見た映像は、基本的に本人だけのもので、他人に話すようなものではありません。どんなに悲劇に浸っても、本人の心の中だけで完結します。
私が言いたかったのは、過去の私がいかに悲劇的だったかではなくて、本人にとって思い出すことですら嫌な記憶と、真正面から向き合うのが記憶の断捨離だということです。
過去と向き合える状態でなければ、催眠状態に入っても途中で続けられなくなります。
でも、ノウハウを知っていれば大丈夫です。
前回の体験記事の場合であれば、嫌な部分や嫌な過去も含めて今の自分なんだと受け入れられていることが一番大きいです。
また、本音を掘り起こす時にどれだけ想像力があるかも重要です。私はアスペルガーなので人の気持ちを正確に想像できませんが、全て理屈(時には屁理屈)で補っています。これはノウハウ次第で可能です。
嫌な記憶を見続けられるだけの強い意志を持てるぐらい、心が(ある程度)健康であるか、鬱状態であっても健康な方向に一歩でも進んでいるか、その方向そのものや進み方が見えているだけでも大丈夫です。
このブログでは、心が少しでも健康になれるように、考え方のクセを見つめ直し、ちょっとした工夫で改める方法を"自己虐待からの脱却"をテーマに、書いていきます。
このブログを読んで、改めるべきだなと思えるところは改め、それはちょっと違うと思うなというところはあなたの考えを大事にして下さい。
"この部分は共感できるが、この部分は共感できない"というのは、それ以上でも以下でもありません。その人にとってはそれが正しいというだけです。正しいことがいつも良いとも限りませんし、正しくないからと言って悪だとも思いません。捉え方は千差万別あって当然、それが交わらないということもあって当然なのです。
少しずつ、進んでいきましょう。