SNSと得られなかった承認欲求
絵の仕事が欲しい、フォロワー数を増やしたい。
ネットに転がる嘘偽りに踊らされて毎日毎日狂ったように投稿をしていた時期がある。
視野は狭くなり、想像力も働かないまま何の面白みもない広告のような投稿を繰り返した時期もあった。
逆に純粋に投稿が楽しくて、いろんな絵を描いて風景を撮影して、思いついた事を発言していたら友達ができた事もあった。
良い時も悪い時もSNSに依存していた。
現実世界は頑張れば頑張るほど山が高くなり、尽くば尽くすほどあてにされる。
仕事と身内のご機嫌取り。それが私の中心だった。
やって当たり前、手を抜くのは最低。誰にも褒められず、甘えも許されない毎日。
今思えばリアルで言ってもらえない分
頑張ってるね、えらいよって
褒められたかったのかもしれない。
承認欲求の塊だったんだと思う。
しかし結果は逆。
同じように承認欲求を満たしたい人の承認欲求を満たすための便利な人になっていた。
自分が褒められたいがために、相互のフォロワーさんのいいねは欠かさなかった。
なかなかスマホを触れない日は自分の作品作りや投稿を後回しにして、1人ずつ回っていく。
そんなに相互さんがいたわけでもないし、フォロワーさんだって少なかった。
回るのに時間はそうかからなかったけれど、要領の悪い私はコメントにも時間がかかるし、少しずつその行動が悪い方へ動く。
依存気質の相互さんの餌食になったのだ。
そういう人達のいいねを忘れると、個人LINEに投稿したSNSのURLが送られてくる。
ちゃんとみて?
私こんな投稿したよ?凄いでしょう?
しまいには電話までかかってくる。
当時は、仕事や介護の手伝いからの帰宅後、翌日の出勤まではいつも6時間しかなく、翌日の家族の昼ごはんの支度、夕飯、お風呂睡眠。
空き時間に絵を描いていた。
そんな忙しい合間に半年に一度、東京まで遠征もしていた時期もある。
少ない時間で同人活動をしている最中、貴重な時間を毎回2時間ぐらい、愚痴と自慢話に付き合っていた。
数年耐えて、耐えられなくなってまたアカウント作っても同じ事の繰り返し。
うまいこと「こういう事情で忙しい」と言えばなんとかなったかもしれないのに嫌われたくなくて言えなかった。
自分に何か原因があるのは確実なんだろうけれど、通常の判断ができないくらい限界に達していた当時の私には解決策を見出せず疲弊し、とうとうアカウントを作るのをやめた。
その後は本当に憑き物が落ちたような気分になり、自分が承認欲求に取り憑かれていた事に気がつく。
しばらくはSNSを再開しようかモヤモヤしている時期もあったけれど、1ヶ月も経つとどうでも良くなり、現実に目を向けるようになった。
誰1人にも嫌われたく無くて、健気な良い人を演じようとしている自分がいる。
誰かに認めて貰いたくて小細工をするより、良い人を演じる自分を断ち切らないと一生苦しいままだと気がつく。
そこから手助けの見極めが始まった。
最近は時間もできたので、何か作ったり書いたりしたくてnoteとblue skyを始めた。
Xはアカウントを作り直したけど、ただの連絡用アカウントなのでほとんど顔を出さない。
少し静かすぎて物足りなくなる時もあるけれど、今はこのぐらいがちょうどいい。
物足りなければ、電車に乗り散歩に出掛ける。
今の時期は死ぬほど暑いけれど、晴れた空が綺麗。
どんなに見慣れた景色でも、時間帯によって知らない場所に来たように顔が変わる。
最近は何だかそれだけで新鮮で嬉しくなる自分がいた。
結局はネットの世界は現実世界の自然の美しさには敵わないのかもしれない。