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生活者の文学 ― 『向田邦子の本棚』向田邦子

 姉が本を読んだり、勉強をしたりしている姿を目にした記憶がほとんどありません。家にいる時の姉は、和裁一辺倒の母に代わって私たち妹の洋服を縫ったり、母と一緒に夕餉の支度をしたり、働いてばかりでした。

『向田邦子の本棚』p147「姉と本」(和田和子)より

 向田邦子さんの妹・和子さんのこの文章を読んだとき、向田邦子さんの姿がくっきりと浮かび上がった気がした。

 向田邦子さんの文章からは、いつも生活が伝わってくる。
 針仕事の気配、台所の夕餉の香り。水仕事のあとの赤みを帯びた手や、食器を戸棚にしまう音。
 そんな描写はどこにもなくても、文章の背後に、あるいは根底に、そういう生活の気配がする。文学よりもまず先に、どっしりとした生活人としての矜持のようなものが感じられるのだ。

 生活というのは、終わりのない労働の連続でもある。
 一日に三回はやってくる食事の支度をすることであり、着る服がなくならないように洗濯をすることだ。ほうっておけば散らかっていく部屋を整えることであり、人が生きていれば必ず汚れる排水溝の掃除をすることでもある。

 それらは断続的に、でも途切れることなくやってきて、しかも保留にしておくことの許されないものだ。
 家事というのはつまり、寝食を忘れて何かに没頭するということの許されない労働でもあって、向田邦子さんの文章は、それらの労働を日常的に引き受けてきた人にしか書けない気配に満ち満ちている。
 わたしはそこがとても好きだ。彼女の本を読んでいると、自分がしっかりと「この世」に繋ぎ留められているという気持ちになる。

 料理好きで食いしん坊、旅と猫と器が好きな人気脚本家であり多作な直木賞作家かつ名エッセイスト。そんな多才な中に、きちんと生活の匂いがする。
 『向田邦子の本棚』は、そんな彼女の愛蔵書のつまった本棚をたっぷりと覗き見ることができる。

 本をめぐるエッセイや単行本未収録のエッセイや対談も収められた、ため息のでるような贅沢な一冊だった。

(文責:さち)

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お読みいただき、ありがとうございました。
十年一刷舎の、さちと申します。
本を読むことと、ものを書くことが好きです。
ここnoteでは、小説やエッセイのほか、読んだ本の感想などを書いています。

たくさんの優れた物語に、生きることを助けてもらってきました。
文章や音楽にはそういう力が備わっていると信じています。
そういうものを、みなさんと一緒に共有できますように。

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<略歴>
第一回有吉佐和子文学賞入賞。
社会福祉士・保育士・ケアマネージャー。
現在専業主婦として子育て中。

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