ことばを育む~たどって、たどって、一つずつたどって。
ネットや人工知能の技術革新のおかげで、道筋や手順を一つ一つ積み重ねなくても、クリック/タップすれば一瞬で、ほんとうに一瞬で、すべての解が出ることが多くなりました。あっという間に推奨ルートを地図上に出してくれるし、ネットなんてデジタルちっくなことでなくても排便した後も自分の排泄物は何に触れるでもなくセンサーのみで勝手に水流に押されて姿を見なくて済むようになってしまった。自身の出す排泄物の処理やその行く末も関心を持たなくてもよいようになってしまった(なんてアナログな話題!でも確かに、自身の排泄物と向き合うのは何かあった検診の時のみだけでよくなってしまった笑)。
一つ一つたどって、確認して、試して得られることも多いと思うので、もったいないなぁと思う時もときどきあります。
こうしたらどうなるの?こっちよりはこっちを選ぶとどうなるの?それではこっちはどうなの?
なぜテーブルをふきんで拭くのかな?なぜ帰ってきたら手を洗うのかな?なぜ帽子をかぶらなきゃいけないのかな?なぜ湯冷めする前にタオルで拭き取らなければならないのかな?…定型発達ではないお子さん(=特性が強めのお子さん)では、自分から自然と行為の意味するところやその目的の理解にたどり着ける子は少なめです。どうしても理解してもらえるようになるまでにはその子に合わせた適切な刺激の導入が要ります。一つ一つの動作や理解をスモールステップで小刻みに刻んで積み重ねてたどっていくと、ある日ふと、よくわかるようになっていたりします、生活の中で毎日していた/させられていたことの意味が!
前述のような、目に見えない、大多数的には(または“一般的には”と言うのかな、、)言語でイメージして理解されていくような抽象的な事柄はより難しいよね。日々セッションを行っていると、“こうしてこうするとこうなる、なるほど!”ということを積み重ねていくことが、いかに大事か身に染みます*
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