神人A - 架空の文化
序文
メタファーは何処にいるか。
本文の側ではなく、暗喩が話すべき主題に憑いて本文の代弁をする。という事は本文とは関係のない暗喩の主題が考える本文を演じるという、主題の主観から見た本文が暗喩だ。つまり独り思考において行われる独り会議の議題が他者の影響にある場合必要となる時に暗喩が関わる。それを文脈的な多重人格と捉える事もできる。数式が人為的な多重人格である事を考えればいかにハッキングは危険な後戻りのできない世界か分かりようがある。
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自分を病む事に耐えうる精神とは病んでいるのが普通の人で、よく人は辛い事にも耐えられたら楽になるだろうと思う事があるが、辛い事がデフォルトであれば辛くないと楽にならないという矛盾を抱えれば楽になりたくて金を投資、預金をする以前の苦労の対価における金を差し出して苦労をオーダーしているのと同じ。金をもらうのでなく金を差し出して自分を人質に取らせて身代金で生活する。矛盾を感じれば正しい?
割り切るソーダ水は何割か、ソーダだけ飲んでもつまらないという人もいる。一杯目は5割、二杯目三杯目は2割。ボトルを頼んだ時安心する。
そういうものが文化。
主張した分だけ正しく生きなければいけないという様な一種表現者の様な精神活動をする事や、
人であろうとする事、それのみが精神で、それ以外は精神ではない。なので影響に鈍感だとこの思考が自分のものなのか他人のものか判別できないし、する必要がない。そう感じる程考えないのが普通。影響がグラスの結露に結びつくのは冬のバーカウンターの裏の窓の結露と関係がある。
当然。
先日、不安を感じた時それが自分の不安か他人の精神の不安か考えたことある?と尋ねた。
感じる理由がない時、それは他人のものだよ。そう教えたら初めて知った様だ。
影響を与えれば影響に与えられん。
自分の与えた影響に鑑みてそのまま返ってくる。
自分の与えた影響に与えられる。つまりは帰ってくるのはひとつの周波数。
与えた影響時の周波数で受けなければ阻害電波だ。同じ周波数であれば影響もなく自然に受け入れられる。つまりは自分が影響だと感じる場合、その発信した影響時の周波数と影響を受信した時の周波数帯が違う。彼方の貴方はどの周波数か知る術はない。人の影響よりも自分の影響が帰る始末に手帳が追いつかない。
最悪の周波数の影響はいつでも最悪だ。だから最悪の周波数帯で生きてる人は常に悪影響を受ける。過去に悪くて今正しい場合、正しく悪影響だと判断できる。過去がよくわかるが今現在良ければ全てだ。人間には限りがあり、人間が精神的肉体的ストレスで実際に悪影響を受けた時、限界を越えれば体を壊す。一方で周波数の影響が何に於いての影響が出るか、なのだ。
周波数は振動なので、例えばストレスで体が重い、や精神攻撃で体に影響を感じる、などの実際的な体感を伴う場合、それは力学的に重力的な圧や重さだ。
概念が重力を帯びる人間は少ない。
では概念が力学作用するとはどういう事か。それは概念が与える力学作用を精神や思考が持つという事。
そういう人間が特徴的に存在する伝説。
どんなに鈍感に生きても悪影響を与える人間が生命的に淘汰されない事はない。そういった事が人生上で起き、正しく理解されない、扱われないどころか嫌われる、そういった影響を最悪の周波数帯で受ければそれはそれで普通なのかも知れない。それがつまりは本人にとってどこまでも止められない影響であるという事が本人にとっては問題なのであろうとは思う。
それは本人は平気なんじゃないの?的な見地に立つと同じ人間とは思えない。そういった人間が寄り合いで形作っている。
同じ様な人間が居ないから架空?
いや違う、同じ様な人間が集まるから架空なのだ。それが日本社会。人が話す話、人から聞いた話、それが社会。
想像上の幻想上の現象。文化史の中の架空。
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