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001_The Isley Brothers 「Between the Sheets」
ああ、今日も言えなかったな。
そんな気持ちで一日の仕事を終えて、自宅までの帰路に着く。
コンビニで野菜ジュースとサラダのいつもの夕食を買いながら、列に並ぶ男性客を眺めているうちに、自動的に彼の顔を重ね合わせてしまう。
メガネに細面の風貌であれば、全てそう見えてしまうような気がするな。
彼には研究職らしい神経質さと清潔さがいつもある。
コーヒーを手放さない。一日何回飲んでいるだろう、数えようとしたことがあるけれど、さっき何杯目を飲んでいたかと思ったら、いつの間にか、おかわりしている。私は絶対、飲めないブラック。
なにより、プラグラム化されているんじゃないかってくらい、オートマチックに日常をこなしている。私はある法則に気がついたのだ。それはネクタイ。
彼は常にブラックのタイトなスーツだが、週の曜日によって着用するネクタイを決めているようなのだ。
月曜日は紺と黒のストライプ、火曜日は紫がかった濃紺、水曜日は青とダークグレーのストライプ、木曜日は深緑と黒のブロックチェック、そして平日最後の金曜日は光沢のある生地を使った黒。
この規則性は四月にうちの部署に彼が転入してきた時から、ずっと変わらなかったのだ。そう私はずっと見ていたのだ。変態か。どれだけ彼のことを観察しているんだ。
話すきっかけが欲しい。そんな風に彼をウォッチし続けていた私だが、最近になってひとつ大きな彼の変化を見出した。
金曜日に着用するネクタイが変わったのだ。その小さな変化を私は見逃さなかった。
バーガンティにグレーのドットのネクタイ。
初めてこのネクタイを見た時、あれ、なんか違う。なんかそのチョイスって彼じゃないよな、と私は直感的に感じた。
私に、いわゆるこんな「女の勘」的なセンスがあったなんて驚きだ。好きな男の変化は絶対に見逃さない。古来から女性は、狩に出かけた男性の帰りを家で子供を育てながらひたすら待つしかなかったのだから、帰ってきた男の変化の機微を敏感に感じ取る能力を発達させてきたのだろうか。そんなくだらないことを妄想しながら、彼が狩りからいつもと違う「獲物」を持って帰ったきたことに対して、胸に違和感だけが残り続けた。
「あれ、なんかネクタイ。いつもと感じが違いますね」
そう言うだけなのだ。気軽に、カジュアルに。ネクタイとか一番外見の中で目立つものなのだから、会話のきっかけとして全然自然じゃない??普通に話題の中で出てくるものだよね。でもやっぱり外見のことをあげつらって話すことを嫌がる人いるしなあ…。いつも雑談している人同士の間で「あ、そういえば」的に話すのが一番ナチュラルな流れなんだけど、そもそも彼と雑談できる関係にないのだ、私は。
欲しい、雑談力。彼の上司の室長は、いつもくだらない事ばっかり彼に話しかけている。なんて羨ましい。「営業課の誰誰が離婚したなあ。あいつは早くに社内で見つけて、結婚して俺も式に呼ばれて出たんだけど、やっぱり俺は前からダメだと思っていたんだよ。」とかどう考えても、彼のイメージとはかけ離れた社内ゴシップネタをぶっ込んでくる。
そういう俗世間のよしなしごとも彼は「そうなんですか」とわざわざパソコン作業の手を止めて、室長の雑談に応じてくれているのだ。絶対興味ないはず。それでも上司からの雑談に応じるのだ、私のネクタイの指摘に対しても、コールセンターばりに真摯にご対応いただけるに違いない。
でも言えない。彼は質問すれば答えてくれると思う。質問する勇気がないんじゃない、その「答え」を知りたくないのだ、私は。会話の流れからすれば、彼のセンスで選んだんじゃないのだから、「もしかしたら、誰かからもらったんですか?」っていうことを聞かざるを得ないじゃないですか。そうしたら、彼も答えざるを得ないじゃないですか、わかりますよね?そこで「お答えは差し控える」とか、そういう感じになるのかもしれませんが、その時どう対応なされるおつもりですか?私はこの1ヶ月ほど、脳内で国会答弁で野党が総理を詰め立てるように、一人で悶々としながらこのやりとりを続けている。
そんなある日、室長が彼にいつものように雑談を吹っかけているのを横目に、コピー作業をとるふりをして、私はずっとうさぎのように雑談話に聞き耳を立てている。今日は金曜日。あのネクタイの日だ。
「いやあ、真山くんはホント細いよな。しっかり食べてるのか?いや、俺も今はこんなだけど、入社当時はもっと痩せてたんだよ、ほんとほんと。ほら写真もあるし」
いいぞ、外見の話。私が絶対に振れない話だ。ナイスよ、室長!そこで体型だけじゃなくて、ネクタイに触れてあげて。見るとこをもっと精査するのよ。今はもうすっかり西田敏行なんだから、あなたの若い頃なんてどうでもいいのよ。
「食べてはいるんですけど、太らないんです。学生時代から私も変わってないですね」
「羨ましいなあ。俺なんてスーツのサイズもかなり変わったからね」
うまい。ナチュラルに服装の流れに辿り着いた。あともうひと押し。ネクタイに、ネクタイに触れてあげて、お願い、室長。
「そういえば、おもしろい柄のネクタイしてるね」
キタ!
「ああ、これですか。妻の母親が私の誕生日ということで送りつけてきて。どこかのブランドのものらしくて、あまりこういうのはしないんですが」
「確かに、そういう、昔の人のセンスだよね」
うん…?えっと、あれ?今何つった?
なんかいろんな情報が一気に入ってきて処理しきれない。何、妻の母親?登場人物が一気に増えた事もそうなんだけど、えっと、つまり、彼って既婚者?
だって指輪してないじゃない!私のことずっと騙してたのね!ひどい、ひどいわ…。そんなことってある?ずっと信じていたのに。(何を信じていたのだろう。)
後で本当に冷静に考えていると、彼は金属アレルギーがあるような節があったので、そういった理由で指輪を付けていないんじゃないかと分析した。
そう、彼は既婚者だったのだ。速攻で、総務の同期のカナにこの点裏取りをした。
「うん、奥さんの扶養の届出も出てるよ。無職ってあったから、このご時世に専業なのね。なに、アンタああいうの好みなの?そういえば、前も真山さんの話してたわよね」
途中から、カナの話が頭に入ってこなかった。
「ねえ、聞いてる?」
今日はあまり飲まないお酒を一人で飲もう。金曜日だし、今日はそういう日だ。