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043_The Chemical Brothers「Brotherhood」
「明日のことなんて、考えられっかよ!俺にとっちゃ、明後日なんてもう遠い未来よ、なあ」
木嶋が、喉を鳴らして盛大に生ビールを飲み干す。ライブの打ち上げはいつもこうだ。最終的に、酒癖の悪い木嶋が最後、大体喚き散らしはじめる。こうなると、メンバーはもう「あー、はいはい。もうわかったから」という雰囲気になり、彼への扱いが適当になりだす。
というのも、ライブに就活用のスーツを着ていた女子の同級生が数名いたことが発端だ。
「やっぱ、なんかテンション落ちんだよな、ああいうの見るとさ」木嶋がぼやく。俺を含めて、皆しょうがないなという表情を一様に浮かべる。でも、それが段々と当たり前になっていく。やがて、あの真っ黒なユニフォームの集団に、俺たちの現実が侵食されていくことになり、そして最終的に全く同化されてしまうことになるんだ。
しかし、こいつ、いつまで髪、茶髪でいるつもりだろう。僕は、醒めた目線で、冷静に木嶋の乱痴気な醜態ぶりを観察していることに気づく。
「じゃあ、締めはラーメンな。いつもの」店を出た俺と木嶋、片岡と庄司の四人のバンドメンバーは打ち上げの飲み会の締めは、必ずニラ盛り放題のこの駅前のラーメン屋と決めている。それが、俺たちの共通認識だった。それがこれからもずっと当たり前のように、いつまでも続くと思っていた。
「4人、いけます?」
「はい!4人席空いてるよ!はい、4人様、お通しー」
威勢よく案内してくれる店員。たぶん、うちの大学だろう、学内で顔を見た気がする。たぶん1年生か2年生。そういえば、最近まで貼ってあった「バイト募集中」の張り紙が無くなっている。
ライブの打ち上げに締めのラーメン。俺たちの定番コース。こういう場もあと残り少なくなっていくのかもしれない。黒髪に染めた自分の短髪の頭は最初は違和感しかなかった。しかし、それも段々と馴染んでいく。
「俺はまだ飲み足りねーなあ」木嶋はまだ酒気を帯びた声で俺たちに絡んでくる。「悪いけど、俺明日、早いから」
「はあ、就活か?もう面接とかあんの」
「インターンだよ。企業の」
木嶋が、一瞬驚きなのかあっけに取られたのか、ほおう、という表情になった。インターンシップは大体の企業が大学3年時の8月にやるのが一般的だ。俺は1ヶ月前にはもう髪は整えて、スーツも一式揃えていた。明日、持参する持ち物や提出書類なんかを家に帰って確認する必要があるのだ。これから飲み直しだなんて、もってのほかだ。
「え、インターン、どこ?どれくらい、2週間?ていうか、お前いつ決めてたの?」片岡が食いつく。ライブ前に、彼と少し就活の話題に触れたことを思い出した。明らかに気にしているが、どうしたらいいかわからない、といった印象だった。
「俺は実習あるから、インターン無理なんだよな。理系だと、そういうの辛いよな。だけどクラスで行っている奴がいて」庄司が先に防波堤を作るような言いぶりで、特に話題を振ったわけでもないのに、喋りはじめた。
「フリーフォームって会社。ITのベンチャーでできて間もない会社だから、そんな知られてないと思う。第一志望とかじゃないから、全然。とりあえず、どっかにインターン行っとこかなって思って、適当に探して応募したら、どうぞってメールきて。1週間くらいかな。でもインターンに行ってたから、それでその会社入るの有利かというと、そうでもないらしいよ」
僕はさも大したことなんてない、という口ぶりで順序立てて細部を話しはじめた。ほえーという表情で、片岡は俺を見ている。前髪の重たかった庄司も、髪をいじりはじめて「俺もそろそろ髪切るかな、お前みたいに。でも、おでこ出すの似合わないんだよな、俺」とつぶやいた。木嶋は俺がインターンの話をしはじめてから、押し黙った様子で、ニラいっぱい大盛りにしたラーメンを啜っている。
「俺はしない、就活」
木嶋はきっと顔をあげて、俺たち三人を睨みつけるように、言い放つ。俺含めて、一瞬三人とも呆気に取られた。
「ていうか、お前らと一緒に卒業もしない」
矢継ぎ早に木嶋は言う。片岡が、思わず声には出さないが、はあ?という表情になって、木嶋に問いかける。
「じゃ、留年するってことかよ?お前、別に単位はそこまでヤバくないだろ?なんで…」
「なんか、よくわかんねーけど、時期が来たら、なんかみんな一斉に髪黒くしてスーツ着出して、「自己分析」とか「エントリーシート」とかロボットかっつーくらい同じことばかりツイッターでも言い出して、マジ気持ちわりーっていうか」
「とりあえず、よく考えたいんだよ、何も考えないまま、みんながやるからやるっていうの、自分の中でちゃんと消化しきってないまま、やるの俺は無理なんだよ」「彼女とかもエントリーシートに平気で「留学してました」とか「バイリンガルです」とか嘘書いててさ。入っちゃえば、ESで書いたこと誰も覚えてないから大丈夫だよ、とか言うんだよ、おいおいマジかって思って」
「まあ、別にお前が決めることだからさ」
畳み掛けるように内情を吐露する木嶋に対して、俺は、自分でもこんなに冷たい言い方はあるかってくらいのトーンで思わず、そんな言葉を口走っていた。
「アンタの言うことはいつももっともやけど、言い方っていうものがある」と、昔親にもボヤかれたことを思い出した。しまったと思った。片岡と庄司も何も言わない。
「お前…、お前なあ」
木嶋は瞬時に目を見開いて、イラついたような混乱したような表情を浮かべるが、そこから反論はしてこない。拳を握りしめている。なぜなら、全くもってその通りだからだ。
全ては自分で決めることだ。俺はインターンに行き、お前は卒業しない。以上。木嶋に何か言われても、こう返そうと冷静に思っている自分がいた。それ以外にない。だが、他に今確実に言えることがある。それは木嶋は、俺に心底ムカついているってことだ。4人の間で、ギラつくような感情がほと走る。大盛りし過ぎたニラには誰も手をつけない。
「俺は、俺はな、後悔したくないんだよ」
やっと絞り出したような声で、木嶋が言う。沈黙が続く。俺がインターンなんて単語を出さなければこんな空気にならなかったのかな。木嶋の「後悔」というワードに反応して、確かに少し「後悔」した俺がいる。でも、どうせ、これからわかることだ。インターンも、木嶋の決断も。だが、やはり人に何かを伝えるには「言い方」というものはあったかもしれない。
「お代。これ。悪い、じゃ俺明日早いから」
もう限界だった。こんな空気にしておいて、俺は自分の動揺が悟られないように、財布から焦るように千円を取り出して、ラーメンの器の横に添えて、俺は逃げるように店を出ていく。木嶋は目も合わさないし、何も言わなかった。
一人で帰る帰り道、アルコールも薄れ、だんだんと熱した頭が醒めていく。感情と理屈がない混ぜになって、家の前の電信柱の前で俺は足を止めて、思わず拳を叩く。くそ、なんでこうなるんだ。自分では全て正しい選択をしている気になっているが、実は間違っているのは俺の方かもしれない。後悔するのは俺の方かもしれない、と言う考えが首をもたげる。
木嶋の感じた周囲に対する違和感ももっともだ、ただ今は俺は木嶋が正しいと言うことはできない。これは自分の選択したことだ、自分の意思なんだ、と自分に呪いをかけるように自己暗示をさせ続けなければ、そうでなければ、立ってられないんだ、自分の足で。この場所に。
俺は家について、水を一杯ガブガブと飲み干した、パソコンを起動させて、会社がメールが来てないか確かめる。
「みんながみんな正しいことやってるわけじゃないんだ。俺もお前も。分かれよ」俺は誰に言うわけでもなく、独りつぶやく。