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1060_Massive Attack「Protection」

人事課に配属されていつのまにか2年目にさしかかっていた。

私は採用部署のお手伝いといった立ち位置。まだ年も近い学生に面談の連絡のメールを送っていると、学生時代、自分がほんの数年前までは選ばれる立場であったのに、いつのまにか選ぶ側の人間になっていることに我ながら驚いている。

人事課に配属されてわかったことは、多くの人間を抱える巨大な組織の内部管理というのは、常に多様な問題がつきまとっているということだ。

ワークライフバランス、働き方改革、女性活躍、ハラスメント対策、子育て両立支援。世の中が目まぐるしい変化を迎える中で、枚挙にいとまがないくらい、「ひと」に関して多くのことを考えていかなければいけない。

「そこまでのことまで、気にしなければいけないのか」とたまにびっくりすることがある。仕事柄、あらゆる「ひと」に関わっていると、私みたいに一面的な見方しかできないと、ふと足元を救われるようなことが起こる。

例えば、採用予定の学生たちと懇談の場が設けられた席で、上司の係長が我が社のハラスメント対策を説明していたときだ。

管理職が、自分の課の中でハラスメント撲滅対策として、「私はハラスメントを絶対に許容しません」という宣誓書をそれぞれ全員に書かせている、ということを紹介した。その場は一旦、散会したのが、ある一人の男子学生が私に近づいてこう言ってきた。

「ハラスメントを絶対にしない、なんてみんなに書かせること自体、ハラスメントなんじゃないですかね」

私は、しまったと思った。そして、まるで、SNSでこれと似たような投稿を見たときと同様に「うわ。めんどくさ」という感覚を覚えた。言っていることは正しい、それなのに賛同したくもない意見というか、お気持ち表明。つまりそういうことだ。

なんだろう、クラスの中で必ずこういうことを言うやつがいた。なんというか、全体の和を乱すとまではいかないけれど、斜めからじっとりと物事を語る奴。

「そんなことはいちいち言われなくてもわかっている」とでも言ってやりたし、「なら、みんながいる場所で堂々と言えばいいじゃない」と心の中でなじってやりたかった。

おそらく私がまだ下っ端っぽかったから言いやすい、ということを見抜かれていたのが、なんともしゃくにさわる。その日は、私はなにか釈然としないモヤモヤした気持ちで家に帰り、普段はあまり飲めないお酒をコンビニで買って管を巻いてみた。

「社会に出てないから、わからないのよ」私はテレビを見ながら一人つぶやいた。そうよ、あいつはまだなんにもわかっていない。あの学生のあの言動、そして私にだけ言ってきたこと、すべてが腹立たしい。

これまで私が社会に出て少なからず味わってきた理不尽が、あの学生の姿を借りて一気に押し寄せてきたかのような錯覚を覚えた。なぜここまで、心に引っかかりが生まれるのだろう。

ため息をついた。なんだかなあ。なんとなくその理由は自分でもわかっている。

基準に達しない学生に不採用を告げるお祈りメールと、内定辞退を考えている学生向けの引き止めメールの文面を同時に考えながら、キーボードの打つ手が止まる。

やっぱり私は人事に向いていない。正直、人の面倒なんか、とても見れない。人事課に配属されてこの半年ほどで、私はもうとっくにさじを投げたい気分だった。

当たり前だが、人間にはいい面と悪い面、光と影がある。どうやら私はいい面ばかり見ていたい人間だったようだ。人の長所やポジティブな面をとらえて、「この人の、こんないい面をいつまでも見ていたい」と思って、他人に接してきたきらいがある。

だが、この仕事でその考え方を適用するのは間違っているような気がした。人間には当然、表と裏がある。どうしても私は裏表がない分、その使い分けが苦手だった。

常に裏(本音)のことを考えて、表(建前)の発言をするのは、まともな人なら少し考えて訓練をすればできるかもしれないが、「自分がそれをしたいのか」とはまったくの別の話だ。

私は嘘はつきたくない。薄っぺらい建前の言葉を並び立てて、人のご機嫌を取るようなことはできるかもしれないが、そんなことは心からすすんで「したくはない」ということだった。

「仕事だからそんなことできなくてどうするんだ」と言われてみれば、それだけだ。でも、嘘をつかなくていいのだったら、飛び込み営業やテレアポでもしている方がマシに思える。

「マリはさ、潔癖症なんじゃない?考えすぎなんだよ。もっと柔軟にならなきゃ、人事なんだから」

正雄は言う。同期内で付き合っているのは、周りには内緒だ。嘘をつきたくない、などと言いつつ、こういうときには都合よく二枚舌を使っている自分に気づいて、なんともいえないグレーな気持ちになる。

私が人事課に配属されてから、彼が「人事なんだから」というワードをよく使うようになって、私は余計にもやもやした気持ちになる。あなたが言っているそれ、たぶんそれは潔癖症じゃない、とツッコミを入れたかったが、そんな気分にもなれなかった。

正雄の言わんとすることもわかる反面、それを指摘するのも些末なことだった。とはいえ、いかんせん、感情がついてこない。「人事はいいよなあ、営業はさ」と管をまく正雄の口ぶりを冷めた目で見ている自分がいる。

だが、相手と自分の間に一線を引いたうえで、話を聞くというこのやり方、この温度差の取り方はまさにこの仕事で学んだことだった。それを正雄との関係で適用する自分にもなんだか嫌気が差してきた。

そんなある日のこと、上司のまたさらに上司、課のナンバー2が異動となった。私は直接喋ったこともないのだが、とりあえず「社内の人事権を握っている人」という扱いの人だった。どうやらご栄転なんだろうけど、私は社内人事には興味がない分、ほえーとしか思っていなかった。

係長から命ぜられて、課の共有フォルダを整理しているときに、「taihiyou」と書かれているフォルダを見つけて、なんだろうと開けてみると、見たこともない情報がいっぱい載ってあった。

「うわ、これって…」

おそらくあのナンバー2の人が間違えてフォルダを移してしまったに違いない。個人情報はおろか、全社員の人事評価、役員の処遇方針まで、かなり機微な情報が載っている。とても下っ端の私がアクセスしていい情報ではない。

私は周りをキョロキョロして確かめながら、そっとそのうちのひとつのフォルダを自分のデスクトップに移した。私に雑務を押し付けた係長も、今日は飲み会だからとさっさと帰ってしまったので、幸いオフィスには私を含めて数人しかいない。

「ちょっと、これマジかぁ…」

噂話でしかなかった、新プロジェクトのイギリスの新事業所の立ち上げ要員の候補者リストがそこにあったのだ。自分でも、もしかしたら、と思いつつ、いやでもやっぱり自分には無理かもと、声をかけられる前から頭の中で勝手に葛藤していたのだ。これ、もう決まっていたんだ。

ドクンドクン。クリックする指が震えて動悸が早くなる。

ファイルを開くと、事業所における具体的な配置ポストと候補者がかなり具体的に絞り込まれている。帰国子女でバイリンガルの同期の名前を確認した途端、かーっと頭の頂点が熱くなった気がした。仕方ない、彼女は英語できるもの。勝手に言い訳しながら、名簿をスクロールしていくと、密かに憧れていたバリキャリの女性の先輩の名前も確認する。そうか、やっぱり。

私の名前は…。一つ一つをの個人名をじっくりスキャンしながら、下スクロールしていくスペースが段々と小さくなる。はたして自分の名前がその名簿の中にあってほしいのか、ないこと確認して安心したいのか。なんとも複雑な感情が渦巻いていた。

だけど、そこに私の名前はなかった。念の為、もう一度上から順に確認し直したけど、やっぱり名簿には私の名前はなかった。候補に私は選ばれなかった。選んでほしかったのか、そうじゃないのか。もうそれについて、考えるのはよそう。今はもう、頭のなかが真っ白になってしまった。

人を選ぶことと、人から選ばれることを同時にさせられて、もう感情がついてこない。私は人と関わる仕事には、やはり向いていないのだろう。気づくともう誰もいないオフィスの照明をぼんやりと眺めながら、私は途方に暮れるしかなかった。

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