妖狩りの侍と魔剣『斬妖丸』:「由井正雪と魔槍『妖滅丸』」(⑯拾陸)" 『検束庵』にて… 運命の女との出逢い "
「あやつ… この程度であきらめるとは思えん
由井 正雪の真の狙いが何であるにせよ
彼奴にとって我らが邪魔となるであろう故…」
柳生十兵衛三厳が隻眼をすがめ宙を見据えながら言った
ここは柳生但馬守の江戸下屋敷内に設けられた
沢庵和尚の仮の住居『検束庵』である
今宵、『検束庵』に集いしは沢庵和尚その人に加え
柳生但馬守とその倅の柳生十兵衛…
そして、『妖狩りの侍』である青方龍士郎であった
「今回は由井めは儂を狙って来おったようじゃ
当然の事ながら、儂が元大目付で現在も幕閣において
上様の相談役を務める事を知っての狼藉であろう」
但馬守宗矩が一同を見回して言った
「そうじゃ…
俺と青方殿に沢庵和尚が駆け付けなんだら
親父殿は今頃ここにおらんかったのは間違いない」
十兵衛が腕組みをしながら言う
「まさしく、その通りじゃのう…
宗矩殿も十兵衛もいかに剣の達人とは申せ
由井の用いる妖の術にかかれば人の剣技は通じぬ…」
この『検束庵』の主である沢庵和尚が
但馬守様と十兵衛を交互に見て言った
「いや、沢庵殿…
お二人の極めた剣が全く通じぬ訳ではございませぬ…
ただ、妖どもはそれ以上に恐ろしい技を用いる事も事実
人による剣の攻撃の様には、妖の術は見切れ申さぬ
例えば鎌鼬の使った真空の刃は、忍びが用いる手裏剣よりも変幻自在に襲いかかる
但馬守様がそのほとんどを撃ち落とされたのは、流石は柳生新陰流を極められた剣の達人でござる
某、心底より感服仕りました」
拙者は但馬守殿に向かって頭を下げた
「何を申されるのじゃ、青方殿…
儂は其方がおられなければ、今頃は鎌鼬に受けた傷で死んでおった身…
この柳生但馬守宗矩… 本日、其方より受けた恩義を終生忘れる事はござらぬ」
そう言った但馬守殿が拙者に向き直り、畳に両手をついて深く頭を垂れた
「何をなさいます、但馬守様… お手をお上げくだされ」
拙者は慌てて但馬守殿に近寄り、抱え起こそうとした
「はっははは、青方どの
親父殿は貴公に感謝しておるのだ
もちろん、俺もこの通りだ!」
そう言ったかと思うと
いきなり十兵衛は拙者に向かって深々と土下座をした
「じゅっ、十兵衛殿まで…
お、お二人ともお手を上げて下され…
沢庵殿、黙って見ておられず
お二人に何とか申して下さりませ!」
「ふふふ… まあ、良いではないか
二人だけではないぞ
拙僧も其方に感謝しておるのじゃ
ほれ、この通り…」
沢庵和尚までが畳に手を付いた
「なっ…! 何をなされますか
沢庵殿までがそんな事を…」
拙者はどうして良いか分からなくなった
「はっははは!
親父殿に沢庵和尚、もうその辺で止められよ
青方殿が困っておる」
いつの間にか畳から手を上げた十兵衛が
豪放磊落なこの男らしく
腹を抱えて楽しそうに笑っていた…
「これ、十兵衛!
青方殿はここに居る皆の命の恩人ぞ!
無礼であろう! 貴様というヤツは…」
但馬守が烈火のごとく怒り、息子の十兵衛を睨み据えた
今にも十兵衛に斬りかからんばかりの形相である…
これにも拙者は焦った
「まあまあ、宗矩殿…
十兵衛に悪気が無いのはいつもの事じゃ
この男がこういう男なのは青方殿も承知しておる
そうじゃろう、龍士郎殿…?」
沢庵和尚のとりなしで、但馬守の怒りも水を差された形となった
拙者は救われた思いで、沢庵和尚に向かって頭を下げながら言った
「もちろんにござります…
十兵衛殿の豪放磊落な漢気も拙者は大好きであります故…」
皆が下げていた頭を上げて互いの顔を見合った
「はっはっはっはっは!」
一同が誰からともなく笑い、座は大爆笑となった…
その時だ…
「むっ… 誰じゃ…?」
ここに居るのは拙者を含め、全てが剣か禅の道を極めた達人と言える者達だ
戸の外から発する微かな人の気配を感じぬはずが無かった
「お話し中、失礼いたします…
十兵衛兄様に火急の御報せにござりまする故… 」
場違いと言おうか、意外な事に縁側に面した障子の外より聞こえてきたのは…美しく澄んで良く透る女子の声であった
「構わぬ… 入るがよい、茜」
十兵衛が即座に女子の声に答えた
「茜…?」
もちろんの事、女子の事など拙者は知る由もなかった
「失礼いたします、茜にございます」
障子を開け縁側に正座で畏まって
控えていた女子を見て拙者は驚いた
年の頃は十六、七歳…
何という…
楚々として可憐で美しい乙女なのか…
これが拙者と茜との運命の出会いであった
拙者は一目で恋に落ちた…
女子に現を抜かした事など無い拙者であった
だが、この時ばかりは…
茜という女子の美しさに目を奪われたのだ…
「茜、この場における火急の様というのは…
其方に命じておいた例の…」
十兵衛に報告すべく茜と呼ばれた娘が
十兵衛の座る座に寄っていく
「ならば構わぬ、そのまま申すが良い
この場におる者は全て信頼のおける方々じゃ」
十兵衛が茜に命じた
十兵衛の茜に向けられる隻眼は
信頼と慈愛に満ちたとても優しい瞳であった
十兵衛と茜との関係を慮っての事からであろうか…?
拙者の胸が少しざわめく
この感情は一体…?
「青方殿… この女子は俺の妹でござる
親父殿の妾に出来た娘でな
俺とは腹違いの妹よ
茜、この方は青方龍士郎殿と申されるお方…
俺と親父殿の命の恩人じゃ」
十兵衛が拙者と茜の双方に対して告げた
「妹…」
拙者は十兵衛の紹介の言葉に、何故か胸がホッとする自分に我ながら驚いていた…
十兵衛より拙者の紹介を受けた茜は
恭しく手をつき額を畳に擦り付けんばかりに
頭を下げた
「茜にございます…
青方様には父と兄が大変お世話になりました様で
お礼の申しようもございませぬ…」
聞いていて心地の良い涼やかな茜の声であった
「青方龍士郎と申します…
お父上と兄上とは最近知己を得まして
御懇意にしていただいております
茜殿も柳生新陰流をたしなまれるのでしょうか…?」
拙者は自分でも何を聞いているのだろうかと
我ながら呆れ赤面しながらも
気が付くと心と裏腹な事を茜に聞いていた
「はあ… 恥ずかしながら、少々…」
茜がやっと顔を上げ
頬を紅色に染めながら恥ずかし気に答えた
何と初々しい微笑みである事か…
「はっははは! 何が少々じゃ!
青方殿、新陰流の数ある門弟の中で茜に勝てる者などおらんぞ
俺と親父殿以外に茜を負かすヤツなどに、俺はこれまでにお目にかかった事なぞ無いわい!
はっはははは! のう、茜!」
例によって十兵衛が豪快に笑いながら
妹をからかっている
「もう、お兄様ったら…」
茜の頬は上気して真っ赤になっていた…
慌てて袂で顔を隠した
そんな所も何と愛らしい所作よ…
拙者はそう思って茜の仕草に見惚れた…
「わっはははは!
誰が『お兄様』じゃ?
いつも、お前は『兄上』としか呼ばんくせに!
青方殿の前じゃからと申して、いつもと態度が違い過ぎようが!」
十兵衛は本当に楽しそうに妹をからかっている
茜はとうとう両手で顔を覆ってしまった
「兄上の意地悪!」
一同が大爆笑した
由井正雪の話題で湿りがちだった座が
十兵衛と茜のお陰で和み
ぱっと明るくなった
柳生十兵衛の独壇場であった…
さすがは十兵衛殿…
この場に流れる嫌な雰囲気を
妹御と共に払拭してしまわれた
それにしても茜殿の愛らしさよ…
はっ! 拙者は何を考えておるのだ…
こんな非常時に…
「もうよい、十兵衛…
妹をからかうのもたいがいに致せ
茜よ、この父が差し許す故
火急の報告とやらを皆の前で申して見よ」
但馬守が威厳を正して十兵衛を睨みつつ
娘の茜に対して命じた
己自身が並外れた剣豪でもあり
幕閣においては、大目付の役職を退いた今も
この人ありと恐れられる柳生但馬守宗矩も
娘の茜を見る目は
優しく慈愛に満ちた父の目であった
拙者から見れば
何とも仲睦まじく微笑ましい父と娘である
「それでは、皆様にご報告申し上げます…
由井正雪の『張孔堂』に密かに潜り込ませておりました
裏柳生の『素破』からの報せが届きましてございます
その報告によりますと
先ほど、『張孔堂』の正雪の自室において、兄上達との戦いより返って来た正雪とその家来の密談があった由
正雪はその家来の名を…
『森 宗意軒』と呼びましてござります」
「何? 『森 宗意軒』じゃと!」
その場の一同が口々に叫んだ
「御意にござります…
そして、正雪は自身の事を驚くべき事に…」
そこで茜は口ごもった…
その余りの内容に口にするのが憚られる様子だった
「茜! 申さぬか!」
十兵衛が妹を叱責した
「はい、兄上… 申し訳ありませぬ…
正雪は自分自身を…豊臣秀頼が一子…
豊臣 藤吉郎秀信であると…」
その場に雷が落ちた様な衝撃が走った…
「なんと…」
「そんな馬鹿な事が…」
「まさか…信じられん…」
その場にいた人々は口々につぶやいた
拙者も茜の口から告げられた内容に愕然とした
「豊臣 藤吉郎秀信じゃと…?
あの太閤秀吉様の御孫君じゃと申すのか…」
そこまで無言を通していた沢庵和尚がつぶやいた
滅多に物事に動じぬ沢庵和尚の眉間には深い縦皺が刻まれ、額には汗が浮き出ていた
「そして…
最後に由井正雪は宗意軒を
別の名で呼んだそうでございます
『真田 幸村』と…」
茜の言葉に二度目の衝撃が走った
今度は全員が言葉を発せなかった…
「真田 幸村…だと!
奴が生きている…だと…
馬鹿な事を申すな!
そんな筈が…あるものか!
儂は慶長20年の『大坂の陣』で徳川方に敗れし
彼奴の塩漬けにされた首級を
この目ではっきりと見たのだ!」
興奮して握りしめた右拳を振り
口角泡を飛ばしながら
但馬守が叫ぶ様な調子で言った
「むうう…
拙僧も南宗寺に住持して居った折に
真田 信繁(幸村)殿には、以前より知己があった故に…
今は亡き相国様(徳川家康)に首実検に呼ばれて
信繁(幸村)殿の御首級に対面致した…
あの首は間違い無く
真田 信繁(幸村)殿のものであった…
正雪が宗意軒と呼びし者が信繁殿の筈が…」
沢庵和尚も首を捻り唸る様な声で一同に告げた
「俺は『大坂の陣』の当時、子供だったから
真田殿の事は後に噂で聞いただけだ…」
十兵衛が腕組みをしたまま言った
拙者も思う所を一同に申し上げた
「では、茜殿のご報告から
正雪の野望を推察するに…
おそらく、奴は己が軍学塾『張孔堂』に出入りする
幕府に不満を持つ浪人どもや
やはり現幕府に不満を持つ大名らを集めて
豊臣家の再興を目指し将軍家を廃し奉り
徳川の世を転覆せしめんとしておるのかと…」
一同は拙者の意見を聞き一様に頷いていた
皆が拙者と同意見に達していたに違いない
「まさしく正雪の野望はそれに間違いあるまい…」
但馬守が皆の意見を代表する形で述べた
「一介の軍学師風情には
身の程を弁えぬ大それた野望ではあるが
仮に正雪とその家来の正体が
彼奴等の言う通りであれば…」
ここまで言った但馬守は
いったん言葉を切り一同の顔を見まわした
そして、その双眸は沢庵和尚の顔に焦点を合わせて
ピタリと止まった
「天下は再び二分し、泰平な世は戦国と化す…」
沢庵和尚は但馬守の目を見返したまま頷き
誰もが予想してはいるが
口にするのも憚られる怖ろしい意見を
はっきりと一同に申し渡した
「だが、それは正雪の申す事が
事実だった場合であろう?
豊臣秀頼も真田幸村も、慶長20年の『大坂の陣』において
二人とも死んだんだ
秀頼の一子などと名乗る豊臣 藤吉郎秀信なんてのは、由井 正雪のはったりに決まっておる
幸村の首だって、ここにいる親父殿と沢庵和尚が自分の目で確認してるんだ…
死者が墓から蘇ったって言うつもりか?
そんな世迷言なんて俺は信じないぜ
そうだよな、青方殿?」
十兵衛が一同と自分自身を鼓舞する様にわざと大声で言い、
少々無理をした笑顔で、拙者に同意を求めて来た
「真田幸村が確かに死んだとして…
死人が蘇る事の有無を問われたならば拙者の答えは…
『有り』と言わざるを得ませぬ…」
こう申し述べて拙者は一同を見回した
沢庵和尚以外は皆一様に
驚愕の表情を浮かべていた
「皆様方は驚かれるでしょうが…
すでに正雪との戦いには、魔界の存在が介入しておりまする
正雪の持つ魔槍『妖滅丸』は妖の生き血を啜り、その妖の持つ妖力を我が物と致します
もちろん拙者の所持致すこの二本の魔剣…
『斬妖丸』と『時雨丸』も、『妖滅丸』と同じく人の世の理で作られた太刀ではございませぬ
拙者は以前…
西洋の『吸血鬼』という妖と戦った事があります
その妖怪は人の生き血を吸い、犠牲者を生ける屍となさしめ
己が意のままに操る力を持っておりました
犠牲となりし人間は、動き回り行動はすれども
すでに生者にはあらず… (※1)
人の理解を超えた現象でも、魔界ではさして驚く事ではありませぬ
故に…
真田幸村殿の復活の儀も、有って不思議は無しと…拙者は考えまする」
話し終えた拙者は一同を見回した
そして茜殿に目がいったところで
拙者は視線を動かすのを止めた
茜殿…
真っ青な顔をして震えておるのか…
無理も無い…
普通の人間には魔界や死者の復活の話など、耐えられる筈もない
ましてや、いくら剣の腕が立つといっても
うら若い女子の身では…
拙者は生まれて初めて
一人の女子の存在が気になって仕方が無かった
この場で初めて出会ったばかりだというのに…
正直に申して…
今この瞬間の拙者の心には、正雪や幸村よりも茜殿の存在が一番重要な位置を占めていたのだ…
この、茜殿に対する拙者の気持ちは…
いったい…
(※1)「伴天連の吸血鬼…」:参照