2.私たちの生存戦略(青木志帆)|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない
他人を巻きこんで自分語り
私は、古くは法科大学院生のころ、ウェブログを「ブログ」と称し始めたばかりのころから、自分語りも交えつつ、病について文章を綴ってきました。ところが、私一人では満足のいく自分語りができたためしがありません。
どうしても、いつも私の病の経験の7~8割を描いたところで遠慮というか、ふんぎりがつかず、不完全燃焼なものばかりを書いてきた気がします。講演・講師をするときも、障害や病気の当事者から相談を聞くとき、コミュニケーションの「つかみ」と、当事者であることで話に説得力を持たせるため、見せられる範囲でだけ自分の病気を表現してきました。並の病人に比べて病気についてだいぶあけすけだという自覚はあるものの、大事なところは隠し続けてきたとも言えるのでしょう。
その、残りの2~3割を、何も今わざわざこじ開けなくてもいいのでは、と思う一方、そこに私が知ってほしい「核」があるような気もします。そこでふと思ったのです。そういえば、病気の友人とランチをしているときは、「病人あるある」ネタで大いに盛り上がります。スッキリ治るわけでなく、あっさり亡くなるでもなく、ぐずぐずと病のしんどさを引きずった日常こそが「病人あるある」なのだとすれば、私はそこに、一人では安心して出すことができなかった、病気のある人の生きづらさの本質的なところがある気がするのです。これを知ってもらえたら、しんどさが少し軽くなる、かも、しれません。知らんけど。
でも不思議なことに、「病人あるある」は一人ではまったく盛り上がりません。本能がそれを隠している感じがして、これが不完全燃焼を引き起こすのです。かつての私のブログがそうだったように。ならば、病気の人と一緒に、交換日記のように対話しながらエッセイを書けば、友人とランチをしているのと同じような効果が期待できるのではないか?
こうして、私の積年の野望に巻き込まれたのが、谷田さんです。谷田さん、ごめんなさい。
病気って軽々しく口に出すことではない
さて、私の場合、小学校入学のときから、ハデに病人としてデビューしていたので、病気を隠すという発想が最初からありませんでした。入学する直前に丸坊主にして頭蓋咽頭腫の手術をしたものですから、入学直後はちゃんと髪が伸びてくるまでの間、医療用ウィッグをつけていました。これが今の医療用ウィッグとは全然異なり、何かのコントか!?というほどに一見明白にかつらとわかる風貌でした。そう、ウィッグじゃないわ。かつらだ、かつら。つけていてあまりにも恥ずかしかったのと暑かったのとで、「スポーツ刈り」程度の長さになったところで外してしまいました。というわけで結構な期間、「スポーツ刈りでスカートをはいている妙な子」だったと思います。あと、服薬が必要だったり、定期的に通院のために早退する必要があったり、術後管理として1日の尿量を計らなければならなかったり、大したことではないのですが、学校に若干の協力をお願いしなければなりませんでした。学校生活が始まると、頭痛が頻繁に起こるようになり、通院に加えて頭痛で休むわ、体育は見学するわ。こんな状況でしたので、まったく隠して健康な子のような顔をして入学すること自体が考えられない状態でした。
もちろん、説明しても正しく理解してもらえることはまずありません。先生も、級友も。小学校6年間、私を「かつら」「体育見学のプロ」と呼んでいじり続ける子、頭痛で早退したいと申告すると、これ見よがしにため息をつく担任、尿量を計る計量カップがトイレの一番奥の部屋に置いてあり、そこを使っていると「トイレの花子さん」扱い。わかります? これは昔の学校の怪談の一種で、女子トイレの一番奥の個室には「トイレの花子さん」が憑りついている、と言われていました。
こうして、「病気は秘密にしておくもの」という感覚がまったくないままおとなになり、あるとき大失敗をします。司法試験に落ち続け、最後のチャンスの年のこと(昔は司法試験は3回までしか受けられなかったのです)。今回もたぶん落ちるだろうと考えて企業や公務員の就職活動をしていました。その面接のときに、「なぜ司法試験を受けたのか」と聞かれました。そこで私は、連載2回目の自己紹介で書いたような話を無防備にしたわけですね。すると場の空気がみるみる冷えていきました。かといって話を途中で止めるわけにもいかず、冷え切った会議室で泣きそうになりながら面接を受けました。そして、しっかり落ちました。
頭蓋咽頭腫の手術から約20年、私は、この時初めて、「病気って、用もないのに軽々しく口にすることではない」と心の底から思い知ったのです。
合理的配慮はまだ遠い
たまたま、3回目で司法試験に合格したのはよかったのですが、「病気を治してから司法修習に来れないのか」と最高裁判所から電話がかかってきたり、就職活動で志望動機を力いっぱいアピールできなかったりと、やっぱり病気を明かしていいことはありません。
法律上、2016年に施行された障害者差別解消法や、障害者雇用促進法によると、障害のある人が、(就労を含む)社会生活をおくるにあたり、周囲が、その人の必要とする協力をしたり調整したりすることを「合理的配慮の提供」と言います。障害者が、周囲に対して、必要な合理的配慮の提供を求めたら、よっぽど無理めの要求でない限りは、周囲はそれに必ず応えてくれるはずです。「合理的配慮の提供」は、慢性疾患のある人たちにとって周囲の協力を得る法的根拠であり、これを初めて聞いたとき、確かに私は福音だと思いました。ああ、私が子どものころにこんな法律があったら、「トイレの花子さん」扱いされなくて済んだかもしれない。なので、この令和の時代、慢性疾患のある人がとるべき法的に「正しい」行動は、自分の病気を最初からガンガン開示して、必要な協力を依頼すること。弁護士の私は、慢性疾患のある人に対してこうアドバイスするのでしょう。
とはいえ。
どんな病気であっても、慢性疾患のある人は、病気を明かしてろくな目にあったことがない人がほとんどのはず。そして、協力が得られなくて多少しんどい思いをしてでも、健康体のふりをしているほうが、家庭から、地域から、教室から、職場から、排除されないんです。
これまで、難病の人や精神疾患のある方から相談を受け、講演に呼んでいただき、話をしているとみんな口をそろえて「クローズで働いている。怖くて職場に、同僚に言えない」と、必死に訴えてこられます。合理的配慮の提供とは、あくまでも本人がどうしてほしいかという意思を大切にする概念です。職場に病気のことを隠すということは、合理的配慮の提供を受ける権利を捨てるのと同じです。弁護士としては、ここは同調してはダメな場面です。
ただ、これまでの間、どんな目にあってきたかだいたい想像がつく、慢性疾患のある人である私は、講演が終わり、スポットライトが消えた瞬間質問者のところへ走って行って、「さっきはああ言ったけれど、クローズで全然いいよ。周囲に協力してもらえなくて大変だけど、でも「出ていけ」と言われるよりマシだもの。。でも、周囲があなたをかけがえのない人と思うようになったら、できる範囲でいい、少しずつ明かしていこう。それが私たちの生存戦略だ」とこっそり助言するのです。社会はまだ、法律に追いついていないから。法律が、いくら「病気を隠すな」と言っても、それは私たちの言葉をそれなりに受け止めてくれるという「信頼」があってはじめて成立することです。法律的に「正しい」行動が取れなくても、それは私たちのせいではない。
なかなか確定した病名がつかない谷田さんは、「病を隠す」ということについてのご見解も、そのメリットもデメリットも、私とは異なるのだと思います。私のように、医学的根拠(エビデンス)も他覚所見もあるのに、「ただ患う」ことが許されない社会で、それが整わない、でもしんどい人の暮らしを思うと、同じ「病」でも、次元の違う世界なのだろうと想像するところです。
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