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*7 綿毛

 鏡面の様に景色を跳ね返す茶色の上に緑色の点描が施され、次第にその緑点がそれぞれ濃く太くなっていくと間もなくして茶色は塗り潰された。そうして出来上がった緑色のキャンバスは、それから黄金色を目指してグラデーションを働き、つい先日黄金の波、あるいは金羊毛のテクスチャーを持つ抽象画アブストラクトが完成したかと思えば、今では羊毛が刈り取られた如く、波の枯渇した如く、ただその名残ある黄土色のキャンバスの上に黒の縞模様ストライプが施されているのを見た。他所よそのキャンバスがどうあろうと私の出る幕ではないが何となく目を落とした時、所謂いわゆる落ち穂というのをとうとう現実に確認し、―こちらの落ち穂は米稲であるが―、同時にミ※1ーの名が浮かんだ。このキャンバスも間もなく白に塗り潰される。
 
 
 落ち穂を拾う姿を描写された女の足元にライ麦パンが転がっているのを妄想した時、全くもって絵に違和感を芽吹かせない様に思われる。パンは自然からの贈り物で、農産物の一種だと考える哲学があってこそ、畑の上にライ麦パンは馴染む。ドイツでパンを知り、触れ、味わった私にとって、いつしかパンはそういうものと意義付けられていた。いかに愁哀おびただしいミレーのタッチで描くと言えど、畑の上にクリームパンなどを描けばたちまち轟々たる非難である。これが即ち日本とドイツのパンの違いである。もとより日本のものはパンでドイツのものはブロートという、全く別物として見えている私にとっては、今やクリームパンとライ麦一〇〇%のパンを同じパンとして括るのが何ともむず痒く感じられてならない。「酸っぱいパン」と聞いて抵抗を抱く人も「酸っぱいドイツの主食」と聞いて、パンではない西洋料理の何かのつもりで齧ればまた感じ方も変わろう。
 
 
 先週のコリアンダーブロートに続いて、南瓜かぼちゃの種を練り込んだパンを試作してみた。至って単純シンプルなレシピを書き起こして作ってみたところ、生地の段階からして既に美味しそうであった。海鼠なまこ型を久しぶりにこしらえる。手は覚えているものである。そうして型にすとんと落とし込み、温室で育て上げた後窯に入れると、出て来た時には見違える程立派な姿に仕上がっていた。実家を出て、社会の荒波に揉まれた息子が、威風堂々帰省したのを出迎える心持ちはこれであろう。

 見た目を散々愛でた後、万を持して南瓜の種が練り込まれた西洋料理の何かを齧ってみると、これが大変酸っぱく出来上がっていた。無論、その西洋料理の何たるかを心得ている私からすれば苦とも酸とも思われぬ懐かしい味である。然しクリームパンに魅了された舌であれば、鞭で叩かれるが如く、雷を落とされるが如く、その酸味は鼻へも腹へも抜けぬ舌の上で何時までも居座り続けるに違いないと思った。そうとは知りながら、試しに私はその南瓜の種のパンを道の駅へ卸してみた。
 
 
 納品している私の脇から、快活な婦人がパンの山を覗き込む。この婦人とはすっかり懇意な中である。「あれ、今日また珍しいの持って来た」と言って例の何かに興味を示したから、南瓜の種の件は無論伝えた後、「酸味が強いですからバターでも塗って食べるのが丁度良いかと思います」と忠告を与えた。彼女は「わたし不断はそういうもん付けないで食べるからまずそのまま食べてみる。あんまり酸っぱかったら郵便受けに返却しておくわ」と強気であった。その翌日、また道の駅で遭遇すると彼女は開口一番「美味しかった。酸味もわたしは気にならなかった」となお強気であった。「本当ですか、それは良かったです」と私は答えると、彼女とその友達婦人の談合に混じって一緒になって少し話をした。
 
 
 日本人の味覚に合う様な編成アレンジを施す事にまるで無関心な私にとって、私が懐かしさと美味しさを感じるパンを、懐かしさまでは感じずとも同じように美味しいと言って貰える事はすこぶる嬉しい。美味しいと言われて嬉しいのは皆一緒であろうが、そこに国境を跨いだ味覚の共有が加わる感覚はそう一般でも無いように思う。「私が美味いと思うものを美味いと言って貰えるから嬉しい」というのともまた少し違う。詰まる所、私が作るパンに私の独自性オリジナリティは不要で、至って伝統的クラシック原本性オリジナリティが多分に含まれている以上、美味しいと言われて真に嬉しいのは私ではなくそのパンの祖国という事になる。私は単にパイプに過ぎない。即ち私が褒められるのは、ドイツのパンが褒められるのと同義で、私のドイツのパンを美味しいと感じるのは、さながら本場ドイツへの旅行体験に近しい筈なのである。

 ふるさと納税返礼品の発送が十回目を越えた。これを多いと思うか少ないと思うかは自由である。当事者の私にしてみれば、味覚共有の機会が十回、箱に入って全国各地に散らばったと思うから少なからず多い。もとい返礼品として私のパンが公開された当初の想像よりはずっと多い発注である。私の手の直接届かぬ所へパンが渡る喜びを味わえる機会をより増やせるよう調整していきたい来年である。
 
 
 また、私のパンは蒲公英タンポポの綿毛の様に思わぬ方面へ散らばる事もある。土曜日にカフェの営業をしていると、以前知り合った方の紹介で来ましたという母娘おやこが来店した。その御客にも通例通りに接客し、談笑していると、母親がおもむろに「娘がそっちの道を目指していて」と抽象的な事を言い始めて、聞けば製菓製パン業への関心が甚だ高いんだという話であった。そんな娘さんの目の前に突如としてドイツで実際に製パンの修行をし、パンにケーキに作っている先輩が現れたから、この出来事を何か特別視しているらしかった。実際私が逆の立場であるを想像すれば俄然気持ちに理解が及ぶ。況してや聞けば住んでいる地域も大変近かった。憧れ、という言葉を用いるにはあまりに私が未熟でいかんが、然し少なくとも近い距離にヨーロッパのパンやケーキに精通している人間がいれば興味は湧き上がろう。未来ある子供に希望を見せるは大人の役目である。何か力に成れる事があれば何時でも連絡するなりカフェに来るなりして下さいと言って、私はその母娘を見送った。こういう事もある。
 
 
 また日曜日には隣村の文化祭へ出向いて、そこにも私のパンの綿毛が舞い降りているを知るに至った。地区行事であるこの文化祭への出店は、実行委員から直接の依頼があって決まった。私は単簡に引き受けたが、さてどれくらいの量を用意して行ったらいいんだかさっぱり判然としなかった。またその隣村へもこれで行くのが初めてであったからどういった場所なのかも分からないでいた。田舎である事には違いないだろうが、それでも地区の大行事であれば人も集まろう。過多も過少も無いよう考えて用意した全百五十弱のパンは、結局三十分とせぬ内に皆出払った。これには私も、それから私へ依頼をした実行委員も、それから何よりパンを買えずじまいになってしまった御客も皆面食らった。
 
 行列、というものを初めて拵えた。気分が良い様な悪い様な、人が連なれば連なる程、手元のパンは減る一方で申し訳ない心持ちで仕様が無かった。その中に一人、私をSNSであらかじめ知ってくれていた御客がいて「とうとうこの村に来てくれると知って来ました。間に合って良かった」と言ってパンを買って行ってくれた。何処で私を知ったんだか知らぬ。私のパンを買うのもこの日が初めてだと言うから、いかに綿毛が不規則に飛ぶかと言う事である。まるで瞬く間に完売していく中にも、幾つかのドラマを見出した私は、実行委員に「もしまた何か企画する時は是非使って下さい」と頼んでおいた。
 
 
 都会に映るドイツパンと、田舎に映るドイツパンとでは、前者の方が売れ行きも良かろう。注目も浴びよう。御洒落とも評されよう。然し後者の方は俄然ミレー的である。田舎の大自然、それが仮に雄大な自然でなく押し並べて田畑と古民家で構成された自然であっても、そのミレー的な背景の方が絵になる様に思われた。写真写りに限らず、存在として絵になる。車で一本道を四十分ばかり走った先の隣町に新境地を発見出来た気がした。


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


(※1)ミレー:フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの事。代表作「落穂ひろい」「晩鐘」


ふるさと納税

 

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