*4 ドイツのパン屋
いよいよ着用するマスクの種類まで指定されてしまったミュンヘンは、そのロックダウン期間を二月まで延長するという発表が出され、またも予定を変更する必要が出てきてしまった事に私は意気の消沈を隠せずにいる。辛うじて二月末まで住まわせて欲しいという私の懇願を大家が呑んでくれたお陰で住処は確保出来たものの、果たして三月になれば新しい下宿先が空いて予定通りに居を移せるかどうかは神でさえ知る由もないだろう。
それでも私は今日も夜中の十一時に目を覚まし仕事へ向かう為の支度をする。この有為転変の時代に置いて、日々予定を書き直させられるほど暗雲立ちこめる日常に置いて、これまでと変わらぬ生活を送れている事は幸運と称さずには何処へ片付けていいやら解り得ない。
しかし平然通りの生活は送れていても、そこで目にする光景は依然と比べるとすっかり変わってしまった。十一時に目を覚まし、口を濯ぎ、顔を洗い着替えると最寄りのバス停へ行く。三分ほど待つと一台のバスが来るのでそれに乗りミュンヘン東駅へ行く。さらにその駅でSバーン(※1)に乗り継ぐとおよそ十五分かけてハイムシュテッテンという駅に着く。そこから今度は十分余り歩いてようやく職場に着くのだが、それまでの道中、バスやSバーンの中などはほとんど空っぽでほとんど貸切である。
夜の九時以降、現在のドイツでは外出制限がかけられている。数年前を思い出すと、私の出勤と時同じくして酒に酔った若者や仕事帰りの疲れた人々を散々見かけたものだが、今ではそれも過去のものである。当時は騒ぐ酔っ払いを疎ましく思っていたが、こう失くして見ると少し寂しさを覚えたりもする。
週の始めには降り積もった雪を踏み分けて出勤した電車を降りてからの道であったが、週半ばから急上昇した気温のお陰で土曜日の出勤時にはアスファルトが完全に顔を出していた。この道をもう五年も繰り返し歩いてきた。
就職しておよそ一年が経過した頃、同じようにSバーンで運ばれて出勤する同僚五人ほどが別段何を話すでもなく、ある者は煙草をふかし、またある者はヘッドホンで音楽を聴き、様々な服に入れられた様々な肌の色の五人が、そうしてただひたすらに職場を目指して歩く後ろ姿を俯瞰で見ると、さながら戦場に向かう兵隊の様で絵になるような気さえしていた。また、その中の一部を自分が担っている事を嬉しがった。
さらには綺麗な星空を出勤の道を行く頭上に認め、時折上を見上げながら意気揚々であった。ところが数年が経つうちにあれほどくっきりと浮かび上がっていた星々が見えなくなったのである。その一帯が比較的工業団地に近かったというのもあり、それで空気が濁って星がくすみ出したのだと、私はどうも身近に環境破壊を見たような気でいたのだが、それが私の視力の低下が引き起こしていた事だと知った時は針小棒大に世紀の大発見をしたように得意であった。
それまでの二十数年間で視力の低下を感じた事はもとより無かった。思春期などには寧ろ目の悪さを羨んだことさえあったし、小学生の頃には、自分の良いところを書きなさい、という課題に恥ずかしがった挙句、視力が良い事などと書いたほどである。
それがドイツに来てみるみる劣化していくとは思いも寄らなかった。原因は白明で、一言で言うと勉強のし過ぎである。人生修業に終わりなしとは私の座右の銘ではあるが、視力の観点で言えば限度があったのだろう。それで人生で初めて買った眼鏡を掛けた時、満足に見えていたと思っていた景色の輪郭が今までとは比にならない程鮮明に主張しだし、そのドラマチックな情景に感動を覚え、わざわざ眼鏡を取っては掛けてを度々繰り返して遊んでいた。
話は逸れたが、そうして辿り着く私の職場は恐らくドイツのパン屋と聞いて想像するものと大きく異なると思われる。脳内に浮かび上がった見習い魔女と黒猫とオソノさんを一度掻き消していただかないと、この先恐らく落胆と幻滅の応酬になりかねない。
何より私自身、初めてこの職場に案内されるまでに脳内で作り上げていたイメージは、小さいながらも温かみのある歴史的な家族経営で、作り手と客の距離が近いようなパン屋であった。しかし実際は、パン工場と言った方が近い。いや、パン工場と言ってしまうとこれまた誤った想像を掻き立ててしまいかねない。大きなベルトコンベアや個包装されたパンを箱詰めしている様子を想像されてしまうとまた困る。
約二十店舗の支店を構えるこのパン屋は、商品の製造を工場にて行う事は間違いないのだが、材料を量り生地を作るところから、成形し、発酵させ焼き上げ、各店舗分を振り分けるところまで、それぞれに担当の人間がいてそれぞれ手作業で仕事が進んでいく。その中で、サワー種(※2)を作る機械があったり、生地を必要な大きさに分割する機械があったり、ゼンメル(※3)の分割から成形までを賄う大型機械があったり、巨大なデッキオーブンに備え付けられたパンを出し入れ出来る機械があったりはしているが、全てが一繋がりではなく、あくまで手工業たるプライドが残されている職場である。それが、工場と呼べるほど広い箱の中で行われているので、小じんまりとした、素朴で絵本の世界のようなパン屋のイメージを持って働き始めると、理想と現実の差異に苛まれる結末に至る。実際、日本から私のように職業訓練をするためにこの職場に何人も来ているが、そういった理由で早々に辞めていく人もあった。
ドイツには絵本やアニメに出てくるような温かみのあるパン屋もあるにはあるのだが、どうも周囲を見渡すと、昔ながらの工法にこだわり歴史を重んじるクラシックなスタイルよりも、大型機械による作業の簡略化と効率化の方を良しとする風潮が、現在のドイツのパン業界も例外なくあるように思える。やはりこれも商売である。ビジネスである。全てを手作業でこなさざるを得ないために生産量が少ない小さな個人店よりも、儲けを出し大型機械で効率化を図りより多くのパンを生産して売り出せる方が商売としては優勢という考えである。そしてそれは個人単位の話でもあるのだろう「小さいパン屋は色々な役割を経験出来るから良いけど、満足な給料や有給休暇は望めない。」と、同僚から諭された事がある。果たしてそれはそうかもしれないが、実に現実的で堅実的な考えだと思った。
或いはドイツ人は生活を大事にする節がある。生活に直結した事に俄然興味があり、かたやロマンやアートを然程重んじないように感じる。ドイツ人の服装は格好悪い、と言うのをよく耳にしたが、それすなわちお洒落かどうかよりも実用的であるかどうかに気が傾き、周囲からどう見えるかよりも自分の趣味に正直である事が正義なのではなかろうか。スーパーでの特売品や有給休暇でお勧めの旅行先といった情報から、政治経済、世界情勢まで自分の身に関わる話題が大切で、やれどこの有名人が不倫をしただのやれSNSで人気を得るにはどうしたらいいだのといった生活不必需の用件に構っている暇が無いと見える。
片や私はと言えば夢を見て、それに向けて躍起である。それでいてスーパーの特売品などの身の回りの事柄には比較的無関心であるからドイツ人から見たら甚だ変わり者に違いない。それでも事務手続きなどと膝を突き合わせる場面と言うのが出てくるのだが、苦手とは言え向き合うべき時は向き合う。結局、保険会社からの証明書が金曜日までに届かなかったので、不備のあった助成金の申請書類は、保険証明書以外を一旦締め切りの二十五日までに届くように郵送し、事情を説明する為のメールも送って今週は済ました。
やりたい事の為のやるべき事はそもそもやりたい事であって、そこで舐める水が苦いなんてのはおおよそ迷信か何かに違いない。
(※1)Sバーン:ドイツの都市近郊鉄道。
(※2)サワー種:ライ麦と水を混ぜて乳酸菌や酵母を培養したパン種。
(※3)ゼンメル:小型のパン。ここでは小麦のカイザーゼンメルを指す。
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