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第63話 待ちの田辺さん

「申し訳ございません!!

うちの専務が交通事故を起こしました。救急車で病院に搬送されています。

容態は分かりませんが、自分から電話を掛けてきたので、命に別状はないと思いますが…。
田辺さんにだけは連絡してくれと、お詫びを伝えてくれと、そう申しておりましたので電話しました」

この街の復興事業を一体的に手掛けているコーポレーティッド・ジョイントベンチャー、いわゆる「CJV」の事務所に、下請け企業から一報が入ったのは、午後3時過ぎのことだった。
ゼネコンから出向している田辺修平は、受け取った電話を切ると少しの間、目をつぶった。
自然と眉間にしわが寄ってくる。涙が出そうになる。

「うわああああー!!」

これが現場事務所ではなく、周りに誰もいなかったら、以前のように大声で叫んでいただろう。
足がガタガタと震えている。

まずは落ち着かなければ。
ゆっくりと深呼吸する。

1…、2…、3…、…。

10まで数えきってから、まぶたを開けて真正面を見つめた。

電話を取り次いだ後輩の中西好子が、心配そうにこちらを見ていた。

「田辺さん、大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう。もう大丈夫。

うちの工区で造成とかをお願いしている久保専務さんが、交通事故に遭ったらしい。
詳細は分からない。内陸部の病院に搬送されたようで、今から行ってくる」

そう伝えて、慌てて事務所を出た。

どういう事故なのか、容態も原因も分からない。
だが、心にとどめていた不安が顕在化した結果のように思えてならず、病院に向かう車を運転しながら、ただただ後悔に包まれた。

交通事故を起こした久保拓也は、地元の建設会社の専務だ。この街の沿岸部で造成工事や土工事、鉄筋コンクリート構造物など土木工事全般を手掛けてきた会社で、もともとは自分たちが元請けで自治体の工事などを受注してきたという。あの災害が起きてCJVが沿岸部を一体的に復興することになり、下請けに入ってきた。

いや、参画するほか選択肢が無かったといった方が正確だろう。
復興が最優先される中で、この街の公共工事のほぼすべてをCJVが掌握しているような状況があった。

久保の会社は、中央エリアの大規模造成に2次下請けとして加わったのを足掛かりに、離半島部の高台移転地の土工事なども手掛けるようになった。今は複数の工区で1次下請けとして現場を回している。

久保は、現場の管理ではなく、CJVとのやり取りや現場全般の調整、段取りなどを担っている。フットワークが軽く人当たりも良い。声を掛けやすく、徐々に任せる範囲が広がっていた。
売上げは、右肩上がりで急増しているはずだ。

田辺は、中央エリアのサポートに入った時に久保の会社と付き合いができ、次の工区でも一緒になった。

あの時は、CJVの仕事で初めて1次下請けとなったタイミングだった。久保は「わたしたちの仕事ぶりが認められたんですね。しっかり頑張ります!」と意気込んでいた。
「CJVからの受注をもっと増やして、企業として成長していきたいんです」と張り切っていた。

あの災害からの復興を、地元の建設会社である自分たちがしっかりと担う。そうした強い思いも感じた。

あれから1年ちょっと経った。
離半島部で最後となる高台移転地の担当となった。CJV側のリーダーは後輩の宮崎貴史で、田辺はサポート役だった。

宮崎が号令を掛けて、下請けの関係者を集めた。そこで久保と再会した。

久しぶりに見た久保の様子は、かなり変わっていた。
明らかに、疲れと焦りが溜まっている。
今は復興工事の最盛期で、どの工区も忙しく追い立てられている。疲労感に覆われているのは皆に共通しているのだが、その中でも久保は別格だった。
話し方には覇気が無く声も小さい。自信を失い思い詰めたような重たい雰囲気を漂わせていた。

あまりに忙しく、現場を管理する技術者も作業員、資機材も不足傾向が強まっていた。協力会社には不安や不満が渦巻いている。

宮崎は、淡々と切り出した。
「以前にお示ししていた通りのスケジュールでいきます。もう少し工期を短縮できないか考えていますが、まだ固まっていないので、それはおいおいお示しします。

細かいところは、個別にやり取りしましょう。しっかりと頼みます」

宮崎が示した工程に異議が上がった。
「元請けさんの言うことも分かるけれど、今は本当に人集めが大変なんですよ。そのスケジュールじゃ、ちょっと厳しいですよ」

CJVとしても全体工期が決まっている。少々の無理難題を言ったとしても、なんとか予定通りに収めたい。

「そんなこと、簡単に口に出さないでくださいよ。契約も済んでいるんだし、予定通りやってもらいます。
こちらとしても、できるサポートはやっていきますから、頼みますよ」
宮崎が強めの口調で言い放つと、協力会社の面々は黙った。

素人が見るとゼネコンが偉そうに無理強いしているように映るが、下請け側もしたたかだ。うまく進まない場合の保険のような意味合いで、とりあえず不満を添えておくようなケースもある。どちらの言い分も、ある意味、間違ってはいないのだ。

田辺は、こうした駆け引きが苦手だった。

久保の方に目をやった。うつむいたままで、じっとしている。
前回の時は、工事の些細な不安点や疑問点を根掘り葉掘り聞いてきた。不明な点をそぎ落として、しっかりと工事に臨みたいという前向きな意識があふれていた。
それが今は全く無い。コミュニケーションを閉ざすようなムードを漂わせていた。

その翌日、宮崎から久保の会社との調整を指示された。
久保のことが気に掛かっていたので、ちょうど良かった。
携帯に電話をして、打ち合わせの日程調整を頼んだ。

「あの…早めにできればと思っていますが、久保専務のご都合はどうですか?
 お忙しそうだから、私がそちらに行ってもよいのですが」

「いえ! そんなわざわざ来ていただくなんて。それは無理です!」

「そ、そこまで恐縮するようなことじゃないですよ。私、私の方は全然構いませんから…」

「そんなことはできません! こちらに来るなんてやめてください。
私がお伺いします。

いえ…、できればオンラインだとありがたいのですが…」

「そうですね、感染症の問題もありますから、できるだけリアルは減らした方がいいですね。そうですね。
オンラインで了解です」

田辺は、久保の頑なな姿勢に違和感を覚えたが、オンラインでも支障はない。素直に受け入れた。

約束の時間に田辺はオンライン会議用の個室に入り、打ち合わせを行った。
振り返れば、あの時からおかしかったのだ。
踏み込んで声を掛けるべきだったと、今になって思う。

久保は、車の中だった。
どこにいるのか正確には分からなかったが、セッティング時にスマートフォンの向きを左右に動かしたため、周りの風景が目に入った。小さな公園に横付けしているようだった。見覚えがある。久保の会社のすぐ近くある公園だ。2~3分あれば会社に戻れるのに、なぜ狭い車中からつないできたのか?
疑問に思ったが時間に余裕がある訳ではない。打ち合わせをさっと済ませようと用件に入った。

「あの…宮崎が伝えましたように、来月から造成を始めます。仮設材の搬入日も固めたいと思っています。中旬に乗り込んでもらいたいのですが、ご都合は大丈夫ですか?
去年の工区よりも広いですから、乗り込みから6人くらいは必要でしょう。ど、どうですか?」

「はあ…。6人かあ…、6人ですね、うーん」

「ええと、6人は難しいですか?」

「いえ、そういうことでも、いや、やっぱり…。うーん」

「あの…、何か困っていることでもありますか?」

「ええと…。もう少し…、返事を待っていただけないでしょうか?」

「それは…まあ、やむを得ないのであれば、仕方ないですが…」

詮索されたくないという意志のようなものが画面越しに伝わってくる。

「田辺さん、すいません。
申し訳ございません。
もうちょっと、もうちょっとだけ待ってもらえないでしょうか。

必ず連絡いたします」

苦しそうな表情で訴えられると、田辺は断れない。
今になって振り返ると、久保が真っ正面にしっかりと顔を向けたのは、あの時だけだった。

「あ、分かりました。いいです、いいです…。

よろしくお願いします」

田辺は、そう言うとオンライン会議の画面を閉じた。
もう一言、何かもう一言を掛けようかずっと迷っていた。

「無理しないでいいんです」
「自分を追い詰めなくていいんです」

その一言が出なかった。

それは嘘だからだ。

「無理しなくていい」などというのは嘘だ。
被災地では、1日も早い復興を被災者が待ち望んでいる。悠長に構えることなどできない。だから皆が必死になって仕事をしている。

無理をしてでも、身も心も削りながらでも、与えられた工事をやってくれというのが、偽らざる本音だった。
そのために鞭を打ってでも相手に仕事をさせる。それが自分たち元請けの役目だ。

間に合わなければ、久保の会社は外される。それは、この復興プロジェクトからの退場宣告に近い。
この1年の間に久保の会社はCJVからの受注を増やしている。人員を含めて投資しているはずだ。その人たちの暮らしが揺らぐことになる。

「無理しなくていい」。一見すると優しいような言葉が、その後に相手をもっと追い詰めていくことがある。

苦しさや辛さから、どうあがいても逃れられない。であるのなら、踏ん張って仕事にしがみつくべきなのだ。

久保も分かっているのだろう。

そうは思いながら、違う考えも頭をよぎる。

もしかしたら体も心も動かないのではないか?

田辺は、10年前に一度、休職したことがある。それまでは全力で仕事をしていた。苦労しながらも着実に業務をこなしていた。現場内で頼りにされる存在だったと思う。

きっかけは些細なことだった。
解体した大型スクラップを搬出するために呼んでいたはずのトレーラーが来なかった。

あの頃はすべて電話だった。田辺は、電話口に出た若い女性にしっかり伝えていた。だが、下請けの運送会社は「聞いていない」の一点張りだった。通話アプリのように記録など残せない時代だ。「言った」「言わない」で真っ向からぶつかった。

当時、景気が急激に悪化し、建設業に冬の時代が訪れていた。業績が落ち込むにつれ、ゼネコンから下請けに、下請けからより下位の下請けに、そして現場の最前線で働く作業員に、しわ寄せが向かっていた。ちょっとでも非があれば、相手側に負担を押しつけるような雰囲気が蔓延していた。そうすることが生き残り戦略だった。

当時の所長には「そんな下請けは切れ」と言われていた。元請けの立場から一喝して、責任をとらせることは簡単だった。田辺も正直、相手の物言いに苛立っていた。だが、この運送会社が窮状にあえいでいることも知っていた。
「おたくの会社とは、もう仕事をしません」
出かかったその言葉を、田辺は飲み込んだ。

工期にはまだ余裕があった。1日の遅れであれば取り戻せると踏んでいた。

その判断が間違っていた。

翌日に搬出する段取りとなったが、悪天候が続き、結局1週間ずれ込んだ。
その間に次の作業を予定していた下請け会社のグループが、別のゼネコンの現場に入ってしまった。
手慣れたグループではなく、若い職長でなおかつ初めてのグループが来た。仕事がもたつき、その後の作業も徐々に遅れが目立っていった。

潤沢だったはずの工期の余裕が、あっという間になくなった。焦れば焦るほど、小さな段取りミスを起こしてしまい、さらに工期が遅れるような悪循環に陥っていた。気がつけば予定よりも1カ月以上の遅れになっていた。

民間の開発案件で、田辺らの土木工事の後に、同じゼネコンの建築工事が入る流れだった。クライアントからは工期遵守が絶対条件として課せられていた。
これから乗り込んでくる建築担当からも、「工期を守れ」という催促が日増しに強まっていった。

都会の現場で自宅から電車で通勤していたが、トラブル以降は1カ月以上、泊まり込んでいた。田辺の疲労困憊ぶりを見かねた所長から「今度の日曜日だけは家で休め」と言われて久しぶりに家に帰った。

12時間以上、眠り続けた。
そうすれば気持ちがすっきりすると思った。

月曜日に妻に起こされ、歯を磨こうと洗面台に立った。

それからだ。
なぜだか分からないが、足が動かなくなった。

行かなきゃ…。

現場に行かなきゃ…。

できれば早めに着いて、昨日休んだ分の遅れを少しでも取り戻したい…。

頭では全部分かっている。分かっているのに、足が動かない。
リビングから妻の呼ぶ声が聞こえてくる。
じわじわと、だが、確実に時間は過ぎていく。

脂汗がたれてくる。
ごくりとつばを飲み込む。
次第に喉がカラカラになってくる。

今行けば、まだ間に合う。
ここで一歩を踏み出せば、間に合うはずなのだ。

でも、その一歩が出ない。
5分、10分、時が過ぎる。
隣で妻が話し掛けている。その声は耳に入るのだが、心に届かない。

妻から現場に体調不良の連絡をしてもらい、1日休んだ。
次の日はベッドから出られなかった。

動けないのだ。

涙があふれてきた。

涙をぬぐうこともままならなかった。

そのまま、休職した。
1カ月後、辞表を持って支店に行った。まずは所長にわびるべきなのに、現場に向かう電車に乗ることができなかった。

支店で上司に慰留され、辞める決断さえできずに自宅で半年を過ごした。
産業医のアドバイスがあり、子会社への出向の形で職場復帰した。家のローンに加えて子供の教育費がかかる時期で、本当にありがたかった。
だが、心は折れたままだった。

5年近くが経過してから支店配属に戻った。迷惑を掛けた所長も同僚も「気にしていないよ」と言ってくれたが、まともに顔を合わせることができなかった。

それからあの災害が起きた。被災地の現場ではどこも技術者が不足していた。自分のような人間であっても必要とされた。だから今、この現場にいる。

立場も境遇も異なる久保の気持ちが分かるなど、簡単に口にできるはずもない。
でも、思うのだ。あの時の自分に似ているのではないかと。

懇願するために顔を上げた時の久保の表情。
動けなくなった日に鏡に映っていた真っ青な面持ちの自分と、あまりにもそっくりだった。

あれから1週間。ずっと気に掛かっていたが、連絡をためらっていた。
必ず久保から連絡が来ると思っていた。待つことを選んだのだ。

だが、まだ連絡は来なかった。

そのことを宮崎に問い詰められた。返事に窮し、宮崎はしびれを切らした。

宮崎はまだ30代半ばだ。
40代後半の自分からすると一回り下の後輩に当たる。自分がふがいないから、田辺の上に立って責任を背負っていた。

宮崎が久保に電話をして、明日までに打ち合わせに来るよう指示した。
それからしばらくして久保が交通事故に遭ったという連絡が来た。

宮崎の行為は何も間違っていない。
本来は、田辺がやるべきことなのだ。
自分の行いの全てが中途半端であるが故に、周りに迷惑を掛けている。そうした自己嫌悪が心を覆う。

田辺は、沿岸のCJV事務所から、久保が搬送された病院がある内陸の町へと車を走らせていた。
片側1車線の国道で、途中にある集落部を除いて信号は無い。遠くに見える先頭車両は、工事現場用のトラックだった。現場から法定速度を順守するよう厳しく言われているので、沢山の車が数珠つなぎになっていた。


スピードを上げることも落とすこともできない。
決められた流れの中を、皆が走り続ける。
そうすることで、生活や社会が回っていく。

あの災害から復興するための巨大プロジェクトも同じようなものだ。
自分たちのような小さな駒が止まらずに動き続けることで、少しずつ被災地が前へと進んでいく。
流れの中に入った以上は、皆と一緒に歩んでいくほか選択肢は無い。

それは復興事業に従事する人にとっての責任だ。

そんなことは分かっている。

分かっているから苦しいのだ。

様々な思いを錯綜させながら、田辺は走り続けた。内陸の町につながる最後の峠を抜けた。眼下に市街地が見えてくる。
鉄道の高架橋を越えて曲がった先に、目的の病院がある。

久保に掛けるべき言葉は何か。
その答えは、まだ頭の中に描けていない。

田辺は、ゆっくりと深呼吸しながら、アクセルを踏んだ。

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