ゲンバノミライ(仮)
被災した街の復興プロジェクトを舞台に、現場を取り巻く人たちや工事につながっている人たちの日常や思いを短く綴っていきます。※完全なるフィクションです。実在の人物や組織、場所、技術などとは一切関係ありません。
とある建設工事を舞台に、現場を取り巻く人たちや工事につながっている人たちの日常や思いを短く綴っていきます。現場は常に動きがあり、仕事に従事する人や作業内容は日々、そのやり方や在り方は徐々に変化していきます。完成は区切りではありますが、利用という意味では始まりです。喜ばれ、時には批判や反感を呼び、逆に想定外の場面で有難がれ、延命作業を受けながら、静かに朽ちていきます。 現場の仕事の先にある意味や出来上がった物の姿も、時とともに変化をしていくのです。現場の未来は常に現在進行形ー
マサは、配属先であるデジタルトリプルで与えられた役割を淡々とこなしていった。 安全面で問題がある設備や作業員らの行動を抜き出してアラートを出し、そのバリエーションを高度化かつ精緻化していく。 人間が建設現場の安全性を高めて維持してきた過程と、基本的には同じだ。 それが途中から明らかに変わっていった。どこで変わったのかは分からない。だが、確実に変わっていった。 「なぜなのですか?」 「理由をもう少し詳しく教えて下さい」 マサが、自ら問いを立てるようになったのだ。○か×かと
野崎正年は、半世紀以上も前に新卒でゼネコンに就職した。現場一筋の人生と言っていいと思う。 40代半ばに管理職として支店に上がり、50代に経営陣となり現場から離れた時期はあったが、海外の金融機関の破綻に端を発した世界的な不況で売り上げが落ち込んで、責任の押し付け合いからリストラを始めた時に、即座に手を上げてゼネコンを去った。 「経営陣がいの一番にリストラの波に飲み込まれてどうするんだ」「野崎に責任がある訳じゃないだろう」と周りの役員から引き留められた。 でも、口先だけの慰留の
田中の声が聞こえてきた。 「アドミニストレーターのアカウントとパスワードを切り替えました。今までみたいに勝手なことはできません。 どこで盗み取られたのか分かりませんが、うかつでした。 ただ、今回のことが起きておかしいなと思ったのは、この世界を乗っ取った相手が、現場をより良くしようと動いていたっていうことなんです。 栗田さんのアバターが乗っ取られたことが発覚のきっかけになりましたが、調べてみると、あなたはもっと前からデジタルツインで活動していました。 藤岡さんのアバターに
人間というのは愚かな質問をする。 「なぜ、このようなことをしたのですか?」 アバターマサは、目の前の人間からそう尋ねられた。 アバターマサは、災害で大きな被害を受けたこの街の復興事業を手がけるコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)が生成した安全管理システム用のAIアバターだ。安全管理を担うベテランの派遣職員である野崎正年がまもなく引退するため、そのノウハウを蓄積してAIによる安全管理サービスを構築することを目的に、デジタル空間で野崎から訓練を受けてきた。 C
「いないはずのない場所に自分がいたんだよ」 この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)でIT分野を統括する田中壮一に一報が入ったのは、1ヶ月前のことだ。 CJVでは現場の状況をリアルタイムにデジタル上に再現する「デジタルツイン」を構築している。日々、進捗する現場の施工状況とともに、現場内のカメラやセンサーで得た情報を基に、CJV職員や主要な職長のアバター、重機類もタイムラグなく表示され、その履歴が蓄積される。リアルタイムの現場の状況を把
「働き方改革じゃなくて、働き方改悪だろ! 政治家とか官僚とかって馬鹿じゃねえか!」 「ねえ、大丈夫?」 鍋元洋司は、朝起きていきなり、妻の鍋元衣子から心配そうに声を掛けられた。 「寝言で得体の知れない文句を言っていたわよ。政治家とかって何? 変なことに巻き込まれてない?」 衣子は怪訝そうな顔をしている。 「大丈夫だよ。何でもない」 「ねえ、本当のことを言ってよ。この工事はすごいお金が動いているんでしょう。そういうのがあっても…」 せっかくの休日の朝なのに、面倒なこと
「私達の仕事は1にする仕事なんだよね。 大きな地震が来ても壊れないようにするために、今回は梁の部分を圧接(あっせつ)でつなげるの。 そうすれば、2本の鉄筋が一体化されて、長い1本の鉄筋になる。 でも、もしも一体化されてなくて、ばらばらに近い状態だったら、どうなると思う?」 圧接作業を手掛ける建設会社で社長を務める松村喜久子は、吉川蓮にこう問い掛けた。 吉川は入ったばかりの新人。困った顔をしている。 「わかんないです。 どうなるんですか?」 喜久子は、ポケットから使
「この街で新しい墓地が開かれる姿を見るのは、私は生まれて初めてです。 それって、やっぱり悲しいですよ」 例年よりも早く春が訪れたようだ。海風がなびいてくるが、冬場の突き刺さるような冷たさはなくなり、むしろ、心地よさを運んでくる。 この街で石材店を営む岡本育男は、目の前に広がったまっさらな平地をゆっくりと見渡した。 ここに、これから墓石が建ち並んでいく。 今日は、この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の中西好子に、工事が進んだ墓地予
「親方、聞いてくださいよ。俺だって彼女に尊敬されたいんですよ」 荒木圭一郎は、休憩室でたばこをくわえている職長の浜田龍雄にぼやいた。浜田は、小難しい顔をしたまま、もくもくと煙が上がる様子をじっと見ている。この人は、仕事以外では言葉が少ない。 「正月休みは何をしてたんですか?」 「今日は寒いですね」 「国道沿いにオープンしたラーメン屋、うまいらしいですよ」 荒木が話し掛けても、「別に」「そうか」「だろうな」くらいしか返ってこない。 飲みに行ってもマイペースのまま
「ほら、見てください! きれいな断面。ぎっしりと詰まっています」 コンクリート構造物を解体する会社で働く梶原舞は、構造物の切断作業が終わった後に現れた表面を、必ずじっくりと見定める。 「いい仕事してましたね!」 隣にいる現場監督の山内衛にそう話し掛けると、「おうっ」と応じた。 照れているのか目を合わさないが、目元は緩んでいる。 「中がスカスカだったら、どうしよう…。その時は黙っていてくれよ」 さっきまで不安そうに見ていたが、骨材やセメントが隙間なく詰まっている状況に
「レベルはオッケー?」 「一番奥がもうちょい下かな」 「これくらい?」 「もう一押し。もうちょい。 はい、オッケー!」 高山伸也はユニットバスの施工を専門とする職人だ。 決められた高さにユニットバスの床を据え付けて、水平器で傾斜をチェックした。定規のようなアルミ製フレームの中央に液体が詰まっているガラス管があり、気泡の位置と目盛りを見ながら、水平かどうかを確認する昔ながらの測定器だ。高山はデジタル全盛期の今でも肌身離さず愛用している。 隣に立っている谷川ゆり子は、三脚に据
「空き地だって希望だ」。 森本和也は、このキャッチコピーに触れた時、頭に血が上った。 心の奥底から憤りがわき上がってきた。 和也は、海辺にあるこの街の小さな集落で生まれ育った。 2階の自分の部屋から、海を見るのが好きだった。海が怖いなんて、あの日まで知らなかった。 結婚前に、妻になるさくらを初めて連れてきた時に、「私もこの景色が好き」と言ってくれた。だから、生まれた娘には、海からの希望とともに生きてほしいと希海(のぞみ)と名付けた。 その直後に、あの災害が起きた。両親と
It's not just my problem! It's just your problem! これは私だけの問題なんかじゃない!! あなたの目の前に迫っている現実の問題なのよ!! 叫ぶようにジュリアが声を荒げたところで、大きな爆発音が鳴り響き、通信が途絶えた。パソコン画面の中央が真っ暗になった。垣田洋一郎は、涙があふれそうになり、沈痛な面持ちのまま目を閉じた。 「ジュリア!! ジュリア!!」 妻の垣田エリーが泣き崩れた。 The world hasn't cha
「大丈夫ですか!! どこにいるんですか!!」 あの災害で甚大な被害を受けた海辺の街の復興プロジェクトで、下請け建設会社の土木技術者として働く小田文男は、現場に出て陣頭指揮を執っていた。そこに、専務である久保拓也から電話が入った。 「事故った。すまない。 田辺さん…、CJVの田辺さんに申し訳ございませんと、それだけ伝えてほしい。頼む…」 か細い声で言われたところで、ガタッと音がした。 携帯電話はつながっているが、声を掛けても応答は全く無い。 交通事故なのか、現場の労働災
ああ、俺の人生終わった…。 ゆっくりと目を開く。顔の前面にはエアバッグが広がっている。フロントガラスが派手に割れている。 頭が痛い。顔の右側で血が滴り落ちている。どこが切れているのかは分からない。 「大丈夫ですか!」 ドアの外から人の声が聞こえる。 シートベルトを外して、ドアを開けて、外に出て…。 やるべき事はうっすら思い至るのだが、体が動かない。 ああ…、痛い。苦しい…。 力が抜けていく…。 …。 薄暗い部屋の中にいる。 ここはどこだろう。 頭の周りに包帯が