キョウソちゃん、ぬ絵(葱)たちが集う「絵文字漫画」という狂乱の坩堝
皆さんこんにちわ。現四通信編集部 視力です。
今回ピックアップするのは
現四通信2024年3月号、と 2024年8月号、
そちらに掲載されている「絵文字絵画」という概念、
その元となる「絵文字漫画」というカルチャー、
コチラについて解説していきたいと思います。
絵文字絵画とは?絵文字漫画とは?
絵文字絵画とは、絵文字による絵画表現です。
絵文字を使って一枚絵を創る芸術作品を指します。
絵文字漫画とは、絵文字による漫画表現です。
絵文字を使ってストーリーやキャラクターを生む創作物を指します。
厳密に言うと、
これらの名称は明確には区分されていません。
一枚絵を絵文字漫画と呼ぶ事もありますし、抽象的な物語を描いた作品を絵画的だと言い表す事もあるでしょう。
まだ新しい表現のため、作品によって定義、境界は曖昧です。
絵文字表現を絵画的と感じるか、漫画的と感じるか、その自由は作者と読者に委ねられている状態なのです。
なので
この記事内では、一枚絵に関しても浸透度の高い「絵文字漫画」で統一して呼ばさせていただきます。
そんな、新しい表現ジャンル「絵文字漫画」
この芸術はどのようにして生まれたのでしょうか?
絵文字漫画、誕生の歴史
絵文字漫画というフォーマットが生まれた背景は、コチラの記事に書かれているキョウソちゃんの発言から知ることが出来ます。
Instagramのストーリー機能が原型の地盤となって、Twitter(現X)の今は無きフリート機能の中で展開されていた「異常フリート」と呼ばれる創作が、絵文字漫画の元となったそうです。
異常フリート
X上で検索をかけると、2020年下半期から2021年の初頭辺りに「異常フリート」が共通言語として語られだしている呟きが残っているのを確認できます。
フリート機能自体は2021年8月に廃止されますが、数多の作品と通随者たちの熱意によって異常フリートを取り巻く環境はコミニティ化します。
ハッシュタグ付きでの「#異常フリート」という呟きがされたり、「異常フリート界隈」なる言い回しで緩やかに連結したり、カルチャーとして、交流ツールとして、その概念形式が人々の脳内に浸透し馴染んだのです。
絵文字漫画としてジャンル化
フリート機能が廃止されてもなお、異常フリートという触れ込みでSNS上で絵文字による作品が投稿され続けているカオスな状況の最中、
2021年暮れ頃にキョウソちゃんが「絵文字漫画」という単語を用いてリプに繋げて連投する形でストーリーのある絵文字作品を上げ始めます。
この辺りから絵文字漫画という共通言語が明確に存在感を表してきて、作品数とそれが拡散される事で認知度が上がり、通瑞者も現れ、異常フリートから連結する流れで絵文字漫画という新ジャンルとして独立したのです。
絵文字漫画単体で書籍化もされ、なんと短期間で5冊も販売され多くの人々に読まれています。
完全にひとつの表現形態として、キュビスムやシュルレアリズムのような芸術運動と肩を並べても違和感のないほどの立脚。
絵文字漫画は今後ますますの飛躍をすると感じています。
絵文字漫画家たち
絵文字漫画という新しい表現形態
その礎が今まさに築かれながら支えている絵文字漫画家たちを紹介したいと思います。
絵文字漫画家という存在の定義の幅広さや、筆者個人の主観や認識差が入りますので、全絵文字漫画家を網羅するのは難しいと思いますがご了承下さい。
なので、他にもこの絵文字漫画家が居ますよ、という情報はコメントなどでぜひとも教えて下さいませ。
キョウソちゃん
言わずと知れた絵文字漫画界の巨匠、いや教祖
その名に偽りなしの実質創始者、絵文字漫画の立役者でありながら今なお前線で質量共に高水準の作品を生み出し続けている神であり化物。
グロテスクかつキューティクル
ファンタジーかつリアリティ
ヒューマニズムかつニヒリズム
あらゆる相反する要素を混濁させた複雑な感情を絵文字という無機質な登場人物に投影し生命を吹き込み物語を縫い合わす。
全裸系の呟きが多い。
ぬ絵(葱)
絵文字漫画界のニューウェーブ
キョウソちゃんへのリスペクトを表明しその背中を追いながらも独自のスタイルを確立しつつある若き絵文字漫画家アリストテレス。
キョウソちゃんの絵文字漫画が
物理的、フィジカル的、内臓的な気味悪さだとしたら、
ぬ絵(葱)氏の作風は
心理的、メンタル的、神経的な破壊性に重点が置かれていると言える。
全裸系の呟きが多い。
ᔛ
絵文字漫画界の真のパイオニア
異常フリート全盛期に独創的な絵文字表現の追求を行い、毒素と狂気溢るる世界観を鮮やかに構築。
キョウソちゃんも尊敬を公言し、現在の絵文字漫画全体の雰囲気に影響を与えた絵文字漫画家ソクラテス。
ᔛ氏のフリート作品は絵文字漫画になるギリ手前の状態のような感じがあってフリートの中に妙な湿度の高さを持った文脈性が感じられるのが特徴。
続きがあるような感じがする。
風刺画的と言えるのかもしれない。
シンプルな一枚絵の中に閉じ込められた絵文字たちの断末魔や無慈悲さは、世の理不尽を嘆きながら通り過ぎてく私達の一生を見ているようでもある。
全裸系の呟きもするが、うんち系の呟きが多い。
手羽先シャブ郎
絵文字漫画界のスピードスケーター
ᔛ氏と同じく異常フリート全盛期に頭角を表しその名を轟かせた。
特筆すべきはフットワークの軽さから来る爽やかでナチュラルな変態性。
なぜか理由のわからない意味不明な勢いとテンポの良さが感じられ、気付いたらヤバい物を飲み込まさせられてるかのような危うさがある。
ある種、一番フリートらしいフリート芸。
良い意味で大喜利の回答っぽい。
全裸系ももちろんだが、うんちという言葉よりも糞派。
ソーマ
ジジフリ界の伝道師
異常フリート界のアウストラロピテクス
絵文字漫画の祖先である異常フリートのそのさらに原始段階、じじいのフリート 通称ジジフリ
その創設者であり、黎明期のフリート界隈にほぼ1人で絵文字の風を吹き込まさせた。
遡ると2020年末の時点でジジフリに関する呟きをしている。
絵文字表現界隈のハーメルンの笛吹きと呼べるのではないだろうか。
定期的にうどん系の呟きをする。
⚡︎
絵文字漫画界のシュプレマティスム
⚡︎氏の絵文字表現は添付画像の中ではなく、テキスト上でアスキーアートの延長で展開される。
白銀の何も無い空間の中にポツンと置かれた絵文字たちの存在は読者に哲学的問いかけを常に促している。
以前は、
"えっちなツィートしかしたことない"
というアカウント名だった。
単発の呟きでの絵文字表現
以下、
絵文字漫画的な表現を継続的にしているわけではないですが単発で用いて注目されてる方々です。
バリエーションの幅広さと層の厚さに驚かされます。
手前味噌ですが、
筆者の絵文字関連の呟きも貼らせていただきます。
他ジャンルの似た表現形態
絵文字のみで何かを表現しようとする試み自体は、ほかを見渡してみると発見する事はできます。
いくつか見てみましょう。
Water Walk「●●|○|●●|●●●👍💿」
一風変わった音楽コラムを掲載しているWater Walk
そちらのメディアでは「文章禁止」で音楽批評を行っているシリーズがあります。
絵文字だけではないですが、この追及もまた新しい表現方法であると感じます。
オモコロ「iPhoneの絵文字だけで泣ける物語は作れるのか?」
かなり前ですが、webメディア オモコロで、
「iPhoneの絵文字だけで泣ける物語は作れるのか?」という記事が上がっています。
使われている絵文字に時代も感じますが、コチラもまた絵文字漫画の原型として語ることの出来るオーパーツのひとつだと思います。
徐冰「The Second Book」
海外に目を向けてみると、
中国の芸術家 徐冰が発表している「The Second Book」という本は、なんと絵文字のみしか載っていない本だそうです。
漫画という形態ではないようですが、絵文字で物語を紡いでいるので表現の方向性としてかなり近そう。
もしかしたら、スマホの普及によって世界各国でこういうアイディアとクリエイティブが偶発的に今まさに生まれているのかもしれません。
アスキーアート
絵文字表現そのものの前身的立ち位置にあたる存在にアスキーアートが上げられると思います。
この追求もまたインターネット上で生まれ自然発生的に通瑞する界隈が現れ、何人かの天才によって後世に語り継がれる伝説の作品が数々と出来上がったという流れなので、その背景はかなり酷似している事例なのではないでしょうか。
こちらは完全に純粋文字のみ使用する形態なので、細かな線や隙間を活かす積み上げ方による飴細工のような繊細な造形を形作れる代わりに、色彩や奥行きなどに関しては限界があるため、そこがアスキーアート独特の魅力となって今なお愛されているのだと感じています。
ガロ系「特殊漫画」「ヘタウマブーム」
少し理論的感覚を飛躍させて、漫画そのものの歴史を俯瞰で眺めてみると、
70年代前後のガロ系を中心とした「特殊漫画」「ヘタウマブーム」などの一連の流れに重ね合わせて見るのも面白いかもしれません。
雑な見立てをしてしまえば、新規メディアの台頭が時代の中で起こった時に既存のコミニティの境界が崩れ、密室性の高い場所で耕された独自の面白味がマスに伝達し徐々にムーブメントとなってゆく、それはかつてテレビがまだ日が浅いメディアだった頃に出版業界と緩やかに絡まり合いながら、そのうねりから抽出された悪ノリが上記のような共同幻想になっていったのではないかなと感じ取れます。
そういった現象は絵文字漫画だけでなく、ちいかわに代表されるSNS発の一枚画像漫画やネタツイ文化や音MAD文化など、あらゆる今あるインターネットカルチャーが当てはまると思いますが、特に絵文字漫画はそのアングラ性と、でもある種日常に根ざした質感、それらのグロポップ感が当時の和製オルタナティブコミックと肌触りが肉薄しているような気が朧げながらしています。
古代エジプト壁画
さらに遡ってみると、
壁画や象形文字などを眺めていると絵文字漫画を読んでいる時の感覚と似た部分を刺激されているような気持ちになります。
そもそも、イラストとテキストという伝達手段は実はどちらも等しく視覚コミュニケーションで、それらを違うものだと認識し細かく情報処理を行っている我々の脳機能そのものが異常なフリート(集合体)と呼べてしまうと思います。
絵の簡略化が文字表現であるのなら、絵文字というアイテムは進化形態というよりむしろ原点回帰。
漫画、絵画、壁画、これらの表現は全て最初から「絵文字」という概念の中で同じ場所をウロウロと歩き回っているだけに過ぎないのかもしれません。
まとめ
絵文字は現代人にとって身近な感情表現であり、最小単位の創作活動です。
私たちは日々、笑い、怒り、泣き、楽しみ、恥じ、照れ、疲れ、困り、叫び、狂い、眠りにつきます。
それらの全ての感情の入出力は生身のコミュニケーションだけではなくスマホを挟み絵文字を経由し脳に伝達され人々の心に届きます。
もはや絵文字が私たちだと言えるのかもしれません。
その絵文字を積み重ねて作られた絵文字漫画の世界は、
私たちが今いるこの世界そのもの、いやそれ以上に 私たちの気持ちが反映されている世界なのではないでしょうか。
絵文字漫画は芸術の新たな表現ジャンルです。
今日もまたどこかで誰かが絵文字が打ち込んで、
物語の息吹を芽生えさせているに違いありません。
(文 : 視力)