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ドッジボール論争への考察

死のうとした。というよりもう二度と起きないよう願った。「死のうとするということは生きるに執着している証拠なのです。ですから~」ですからじゃあないよって思った。真面目に色々な人に迷惑をかけて、生きた。生きてるだけで丸儲け。なんだそれ。それ由来で命名されたIMALU。もう日本は終わっています。嘘です。IMALUさん、素敵ですよね。

完全に腐れてしまったから、「ゴーゴー月と言えよう」という大傑作を書いたけれど、3いいねだった。「鼻くそうまかった」とツイートした方がよかった。5いいねは固い。大喜利にもすがった。飽きた。「楽しいものを楽しく感じなくなってくる」のがうつ病のアレらしいから、やべーっと思って、生きていくために何かにすがろうとした。

山寺に行きなさいと言われたので、裸足で出家。思い立ったが吉日。善は急げ。急がば回れ。短気は損気。ディーゼルエンジンのクーパーは臭くて強い。結局この世は臭ければ臭いほどよいとされているから、よしとする。出家から8秒で山寺登山道へ―。

こちらです。見ましょう。

念ずれば花ひらく。よおしわかった。そっちがその気なら念じていただく、と強めの返答。

小吉。ウケ的にいちばん弱い。あと待人て。誰すぎる。
えんどうのフォントを見ましょう。

地球が生まれた時には国境も橋も柵も看板も無かった。えんどうだけが、あった。

花はいい→花が好きな自分が好き?→いいややはり花はいい、と一周できた。ここはとても重要な論点で、2つ目でじたばたしているとダサい。それにしてもマーガレットは臭い。臭ければ臭いほどよいとされているとは言ったが、マーガレットはどうかと考える。やはりいいに決まっている。言葉の綾に翻弄されてはいけない。マーガレットは臭いから、いい。

こういう系のがたくさんあってどれが本物?いえ。本堂?か終始分からずじまいでした。投資家であるから、ほぼ全部に7万円お納めした。なんか、きもちかった。

そらさん、こんにちは。
芭蕉さん、こんにちは。

挨拶は大事であるけど、なぜ大事かわかるか?と問うてくる人が嫌いであるくせにその質問をよくする。「大事だから大事」「さんなねもんはさんなね」論は、僕は最悪だと思っているから、それらよりかはましだけど、物事の本質は自ら追い求めることに愉しさがあって、マウントをとるためにあるのではない。それならただのマウンテンゴリラである。ゴリラの正式名称はゴリラ=ゴリラ、ももういいから。いや、よくないかもしれない。「=」てなんだろう。ゴリラはゴリラ?宇宙は宇宙…ウチはウチだし…ここで薔薇の花言葉「あなたしかいない」。以上。

目の前の岩…分かった!わかったフリも、大事だョ。

綺麗な花や壮大な祠がある中で、ドクダミ?の中に佇むお地蔵さんは、魂に来る。誰が何を思い、さらにはドクダミはなにを考え、ここに生まれたのか。我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへゆくのか。実家→人間→天国、以上。真実はいつもひとつである。

みんなー!ゴールが見えてきたよー!

これは面白いものに出会った。「石の風化によって、偶然阿弥陀如来像が生まれた。阿弥陀如来像に見える人には幸福が訪れる」とのデカ石。僕はやはり、本当に、冗談抜きで、「クソデカなんか書かれている石」に見えた。「クソデカなんか書かれている石」に見えた若者には何が訪れるのであろう。そう、災いである。困った。てかかいてほしかった。「クソデカなんか書かれている石に見えた人はこうです」の一言でも。たった一言で救われる命、呪う力。深い分かった風の、誰よりも臭いため息をして石を見つめた。

天台宗のお寺ともご縁があるのかと思った。いやあいい言葉だ。以前TikTokで、麻生太郎が「空気の次に大切なものは?」の質問に対し「朝希望と共に起き、昼は努力して働き、夜は感謝と共にねむる」と言って場を湧かせていたが、全く同じ言葉が書かれていて、パクリけ、と思った。し、質問の答えでは無さすぎると思った。空気の次に大切なものは、いろいろである。麻生太郎は上手くごまかしたわけである。てか空気て。水じゃないの?どっち?ドッチボール?ドッジボール?と思って、言って、なんなら思った。

ついた。落書き禁止の壁に死ぬほど落書きされていて、日本人って、日本人。と思った。2枚目の遠くに見える屋根の着いたやつは、昔修行が辛くてもうダメだと思った人のための飛び降り場らしい。なんとも親切である。自殺防止へのアプローチは、自殺はだめだよではいけないと思っている。なぜなら、生きることを諦めた人へ死ぬことも諦めさせたら、あまりにも不憫すぎるから。ですから、もち死ぬ道もあるよ、でもさ見てみなよあの石、なんか阿弥陀如来像に見えない?見えないか。そうか。ふーん(笑)確かにね(笑)てか飯食わね(笑)みたいな。生死論は喧嘩になるから議論もくそもしたくないけど、なんとかなく、いい意味で、かつては死にやすく、そしてそれ以上に大変生きやすかったのだと思う。

無心で下山。体感2秒。
汚めの猫。愛想ゼロ。最高。

ゲコゲコ鳴いている池に近寄って、「ゲコゲコ」と言ってみたら、返してくれた。そこでなんとも驚いたのが、ほぼ同じ音程で返してくれたこと。キモくて笑った。幸せになるから笑うのではなくて、笑うから幸せになるのであり…。幸せになるから笑う、そっち側のアプローチもあるだろと毎回思う。

昔は栄えていたんだろうな、と思う建物に弱い。幾人もの人が寄って集って呑んでたんだろう、と。自分は現在よりも未来よりも、過去にこだわる傾向にあって、それは自分の過去だけじゃあなくて、他人や全く関係のないことへの過去への執着みたいなものが強いことを自覚している。変わりゆくものへの希望よりも、変わらないものへの慈愛というか。しーらね。

以上。かえるとしゃべれてよかった。カエルは帰る(笑)

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