「ゴーゴー月」といえよう
4月はあまりにも激しすぎて、切なすぎて、哀しすぎる。それでいて人々は笑顔である。卑しいくらいに明るい笑顔である。先日行った旅館の料亭に「人が見てろうが見ていまいが花は咲く也(なり)」という絵が飾ってあった。也(なり)にかなり腹がたったが、詩の内容が嬉しくて、やはり嬉しかった。
「五月病」の存在を甘く見てはいけない。社会的に大きく取り上げられてほしい。大きく取り上げられたい。頭の良いひとの文章には、この「~たい」がたくさん登場してきて、キモい。何はともあれ、4月は人は無理をしすぎる。イキっている。イキって生きているから、それはもうもはや生きっていると言っても過言ではない。それで5月に、我に返る。
五月病にならないために、なのではない。五月に運良く人間に戻れたのであるから、言ってしまえば四月病なのである。"死"月なのであろう。死ぬ、月。そんなことを言ったら9月なんて苦しい月、8月なんてパチパチ月、5月はゴーゴー月といえよう。と、いいたい。
とにかく、花は咲く也(なり)なのである。そういうことにしよう。投げやりでい。他人にどう見られようが、他人がどうてらこうてらなんてどうでもよいから、まず、咲け、っちゅーこと。
それが出来ないから困っているんだこちらは。あと、「どうてらこうてら」っていいよね。「What ぺけぺけ do you like?」とかもかなりいい。ったく、馬鹿ばっかだ全く。みんなで、咲いてゆこう‼️2023、春(みんなで言う)‼️