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3月某日 【作品感想】『イティハーサ』における物語の役割

 心を動かされるような強い感情を抱くことはそうそうあるものではない。時たまあっても、長い期間続くことはめったにない。そんな状況がここ数日でまるきり変わってしまった。脳がぐらつくような強い感情が私を揺さぶって離さない。ようやくおさまってきたものの、隙あらば感情に呑まれそうになる。

 そこまで私を感情的にさせた作品は『イティハーサ』という。早川書房から出版されている、古代日本(卑弥呼なんかもいない頃)を舞台にしたSF少女漫画だ。当時は掲載誌の事情でファンタジーに見せかけていたものの、作者は「SF」であると明示してほしいと訴えていたらしい(『イティハーサ』3巻、大森望氏による解説より)。

 ちなみに私が母親から聞いたときは、基本的な情報を一切知らずに手に取った。実際に送られてきて初めて、文庫にして7巻あると知ったくらいだ。内容を知らずにいた私は、暇つぶしになるかな、なんて暢気なことを思っていた。愚かだった。

 やることも終わり、ふと1巻を読み始めたらページをめくる手が止まらなくなった。夜のうちに1巻を読み切ってしまい、とんでもない作品に出会ったな、と余韻に浸りながらこの日は床についた。まだ、次の日を考える余裕があった。
 2巻を読み始めた日は人目があったので暴走はしなかったものの、次々に矢を射かけられ(比喩です)早速1巻を読み返すという行動に出た。まだ、自制心が働いていた。
 しかし、次の日は体調がよくなかったせいか、早く続きを読みたい、という気持ちに苛まれた。解説に最終巻を予期する言葉があったせいだろう。あわてて閉じたが、続きを欲する気持ちが膨らんだ。ここまで気が散るならいっそ、となったのがこの日だ。夜を徹して最終巻まで駆け抜けた。読み終えて涙が出てきた。最後まで書き切ってくれた作者に、この世界に、感謝の気持ちがあふれてきたのだ。ぐちゃぐちゃの感情の中で、それだけははっきりしていた。一度バラバラになった情緒を組み立て直すには時間がかかる。ぐちゃぐちゃのまま眠ったからか、次の日は使い物にならないくらいぼうっとしていた。

 この作品を通じて得たものは、何物にも代えがたい。「世界とは、自分とは、なにゆえに存在するのか」という、人間の命題のような問題を全編を通して突きつけてくる。叙情的な神話として、人間の有り様を描いた作品だ。神と人、善と悪、生と死、といったテーマももちろん魅力的なのだが、なにより登場人物たちが生き生きとしていて、キャラクター以上の愛着が生まれてくる。人々は常に変化し、より結びつきを強め、だんだん誰が敵か味方かわからなくなっていく。変わらない感情もあれど、1つが変わらないとすれば、他を変えなければならない。そうして人間は生きていく。生きて進化し続ける。
 私は愚かで感情的で日々揺らぐ人間という生き物が大好きだ。そこには私自身も含まれている。だから、変化はむしろ好んで享受する。しかし、この思考と対極をなす考えを持つ人物が登場する。人間は哀れで不完全で、美しい世界を壊していく。それなのになぜ存在しているのか。存在する意味とは。だが、人間を嫌ってはいない。むしろすべての人間を普遍的に見ているが故に、命の価値に上下をつけない。人間が死ぬのは摂理だと考え、黙って見ていることはしないが、手遅れであればあっさり手放すような男だ。特に、自分に対しては達観している。知を追求する心は誰にも負けず、膨大な情報を処理するために感情を希薄にしているようにも思える。そんな、人間を人間としか見られない男が、変わらないことで周囲を変えていく。憎まれる。必要とされる。神にさえ。彼がどう変化していくのか。それは、自分の目で確かめてほしい。

 劇的な非日常が人間を変えるのは当たり前だ。しかし、平穏な日常の些細な出来事にこそ、変化の種は蒔かれている。わずかな感情の変化を描ききった『イティハーサ』という作品に私は敬意を称したい。小さな変化も見逃さずにとらえてくれたことを嬉しく思う。
 SFながら少女漫画という媒体で描かれたこと。そのよさが最大限に活かされた作品である。
 他の人がどうかはわからないが、私の場合、日常からふっと遠くを見つめてしまうときが時たまある。生命の果てしなさ、生きることの意味、存在価値……。考えたところで到底答えの出ることのない問いばかりだが、つい思いを馳せてしまう。そんなときに寄り添ってくれるのが"物語"である気がする。私が物語に求めていることすべてが、『イティハーサ』にはあった。

 出会えて本当に良かった、と心の底から思う。


※現在絶版なのが口惜しい。今のところ(2023年3月時点)Amazonの電子書籍が一番手に取りやすいだろう。

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