「肌の砂漠にフェイスパックの雨が降る」2018/12/18
23歳、老いを、感じている。
なんだか、23歳になったをきっかけに、なんだか体質が変わったのを実感している。
腰は痛いし、髪はパサつくし、何より、肌が変わった。
今までは、肌のことなんて気にしたこともなかった。お風呂上がりに化粧水をつけたことすらない。
思春期、クラスメイトの女の子がニキビだのそばかすだのに悩んでいる中、ニキビの1つもできたことはなかったし、友達からも「えりちゃんってほんとに肌きれいだよね~」と言われていた。
当時は肌に悩みがないありがたみがわからなかったので、別段嬉しくもなかった気がする。
それが今はどうだろう。まっさらだった頬はニキビ跡が目立ち、潤っていたはずが、ガサガサだ。
そうなれば気がつけば鏡とにらめっこ。街の壁やショーウィンドーに映る自分すら気になって、つい鏡に鼻がつくくらいの距離で、顔の向きを変えてはうーん、こっちから見てうーん......
高校生のとき、きっと周りの女の子たちはこんなことをしてたのだろう。
最初に肌の異変に気がついたとき、どこかで聞いた「思春期ニキビができなかった人は大人ニキビになるよ!」という声が頭の中をリフレインしたものだ。
ニキビに関しては、皮膚科に通院を初めて徐々にきれいになっている。病院の薬、すごい。さんざん吟味して買った薬局の薬より安いし、何より効く。もし肌に悩んでいる人がいたら、病気じゃないからと臆さずに一度病院に行ってみてほしい。
さっき、部屋でごろごろしながらふと肌を触ったら、頬がストッキングが破れるレベルにガサガサで、焦って飛び起きた。
昨日ニベア塗ったのに...!
あの乾燥に対するラスボスクリーム、ニベアが効かないだなんて...!
もう私の肌は砂漠になってしまった。泉が湧き、花が咲き誇り、陽が差し、小鳥がさえずるユートピアだったのは約1000年も前の話だ。終わりだ。解散。
そう諦めかけた瞬間、突然天啓が射した。
ずいぶん前、シート状の、パックをもらった気がする。
知人の韓国みやげでもらったパック。もらった時には当分お呼びでないなと肥やしになっていたのを思い出した。
もちろん使ったことのない得体の知れない存在であるパック。色々使い方などの説明を読もうとしたが全部ハングル文字で書いてあるので全く読めない。
おそるおそる中身を取り出すと、真っ黒でヌラヌラとした塊が出てくる。
それを破かないようにそっと広げる。
これ、テレビで見たことある・・・あの、パックというやつだ。
パック・デヴュー。
それはあと数十年は先だと思っていたのに。禁断に手を出すのだ。もうパックなど興味のなかったピチピチガールには戻れない。不可逆理論。エントロピー増大則。
想像以上このヌラヌラが私の顔の砂漠の復活の雨になるのを信じて。いざ。
鼻を中心にゆっくりと張り付けていく。
空気が入らないように注意して張り切る。
そして現れた黒マスクマンを見て、笑いたいのだが笑うと口元の部分からシートが浮いていってしまう。パックをしている時間は笑ってはいけない24時なのだと悟る。
そのまま呼吸のために口を半開きにしながらこれを執筆すること1時間。
ふとどれくらいしていればいいのか気になって調べてみると、パックの平均時間は5~10分だというではないか。しかも長い時間しすぎると逆に肌が乾燥してしまうなどども書いてある。
大変だ。ああハングル文字ですらなければ。
パックをさわってみるとヌラヌラが少し乾いているのがわかる。
すぐにシートを外し、1時間ほど放置してペタつきがなくなってから肌をさわってみる。
しっ……とり。
肌からイガイガが出ているのではないかと思われた頬は、まるでならされたかのようになめらかになっている。
感動だ。鐘が鳴り響いている。
ユートピアに戻ったとは言わない。
枯れ果てた大地に恵みの雨が降り、やがて小鳥が種を運んできて一体は大きな草原になり、爽やかな風が吹いている。やがて小さな野花が咲くのを楽しみに待つような大地だ。祝福だ、希望だ、第九だ。
なぜか世界に味方されているような幸福感だ。前世キリストと友達だったんじゃないかと思う。
あ、でもクリスマスはひとりだしなんの予定もないからやっぱり友達じゃなかったわ。