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読書記録(2024年 8月分)

とてもとても暑くて部屋に籠っていたこともあり、それなりに多く読んでいますが、再読が主なので新たに紹介するといったものは少ないかもしれません。

文芸書

①ダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』

 国際ブッカー賞受賞作。ディオップ氏はセネガル出身のフランス語作家。第一次大戦に参加したセネガル兵の狂気を一人称視点で濃密に描き切った、骨太の小説でした。今年訳されたものの中ではかなり評価しています。セネガル文学は熱いですね。

 戦争=狂気は文学でも映画でも定番ですが、この作品では戦争=文明でもあり、戦争とはいえ文明に許容されている以上の狂気を発露すると、途端に味方からも排除が始まるという透明な一線が、そのままヨーロッパ/アフリカの比喩になっています。後半の精神描写も、思い切った口調の翻訳も「一人称」の小説ならではの強さを感じさせるものです。

②トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫』

 アラン・ドロン没ということで読み返したイタリア小説の古典。詳しい感想は下記に。専業作家のつくる製品としての小説ではなく、貴族が趣味で書き上げたディレッタンティズムも薫る作品です。

 このような雰囲気を持つ作家は他に、昨年少しだけハマったフランスの作家マンディアルグくらいで、今日では絶滅した感があります。

③アレクシ・ド・トクヴィル『フランス二月革命の日々』

 『アメリカのデモクラシー』でおなじみの大学者で、個人的にもかなりその思想やスタイルに傾倒していたトクヴィルの回想録。久しぶりに読んでみても、この人はどれくらい世界を分析的に見ていたのだろうと、脳みそへの興味が湧くくらい面白かったです。

 歴史的事象をそのまま書いているため、固有名詞の乱発と細かい事件の連続ですから読みやすい本では全くないのですが、知の圧を覚えます。

④ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』

 極寒の捕虜収容所で語られるプルースト『失われた時を求めて』の講義録。文字通りの極限状態に、記憶を頼りにどれほどの事が語られるかという文学の力を宿す一冊。

 当時の大方はこの大長編をブルジョワ文学、同性愛文学としか見なしていなかった中で、作中に出てくる孤独や死の影を丹念に抽出して語ったのは凄いですし、そうさせる環境だったのかなと。分量的にすぐ読めますが、それでも「読書体験とは何か」を突き付けるものでした。

美術書・学術書

①二コラ・ブリオー『関係性の美学』

 現代アートの最重要文献がやっと翻訳されました。1998年のものなので遅すぎます。とはいえ、この本の内容を踏まえた批判や展開は本となって既に翻訳されたり、制作に応用されたりしていましたから、今読むと内容自体は当たり前のことしか書いていません。その根拠になるガダリらの思弁的な話が少し面白いくらいです。

 その後の展開の基盤のひとつになったのは事実であり、それゆえの物足りなさがありますが、原点や根が大事なので、美術理論や批評に興味がある方は必読でしょう。

②平光文乃『プルースト 創造の部屋』

 部屋と室内装飾を巡る話。プルーストのコアなファンなら非常に刺激的な本ですが、19世紀後半の文化にとって室内とは何かという思索でもあります。作家の部屋についての言及から、部屋の装飾論及び、内装マガジンのようなものも出てくる中で、作家が創作するまさに創造の空間である部屋は、どのような機能を果たしていたのか、と広がりのポテンシャルが示されています。

 ネルヴァルとの比較や、各地のホテルやブルジョワの室内、装飾に対するプルーストの考えなどを汲み取り整理された、近代フランス文化論としても秀逸だと思いました。

③和田章男『プルースト 受容と創造』

 上が部屋をキーワードにまとめられたもので、こちらはよりハイカルチャー寄りというか、プルーストが生きていた時の文学・絵画・音楽の受容はどうだったかという論考です。「○○が流行っていて、その影響が作品のこの部分に表れています」というような凡庸なパターンにはとどまらず、広く19世紀末から20世紀前半の文化的事象の見取り図になっています。

 この本で精査されているくらい多くのものを吸収したかを思うと、他人からの影響を恐れて学習しないことを良しとする態度がいかに弱いかが痛切なまでに分かります。巨匠は自分の時代をまるごと内包するくらい巨大だということです。

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