読書記録(2024年5月分)
大学院から離れられて時間の余裕ができたと思いきや、在学時よりも忙しくなっている自分に驚きました。少し違うジャンルの本を読んだかなという感じです。
文芸書
①彬子女王『赤と青のガウン』
エッセイは「作者その人にしか書けない何か」が重要であり、そこが妙味だと思うのですが、その点でこのエッセイは彬子女王にしか書きえない逸品でした。とはいえ皇族ネタが面白いからというだけでなく、美術史を英国で専攻したということもあり、美術史や博物館学のテーマがたくさん取り上げられており、その世界を知ることができる参考書としても素晴らしいと感じました。
②アンドレイ・プラトーノフ『チェヴェングール』
ロシア文学最後の傑作、かは判断しかねますが、独特の読み心地がある見事なソビエト文学。あまりロシア文学という感じはしないユニークさは確かに刺さる人には刺さるでしょう。ブルガーコフが好きなら特に。
工作・労働・機械が称賛され、自然→貧困→悪のような単純な構図が、前半部は特に目立ちますが、そのような価値観の小説をあまり読んでなかったなと気づかされました。都市生活者の休暇として好まれる自然とは違う、悪い自然、人を蝕む憂鬱な自然を浴びれました。
③J.M. クッツェー『ポーランドの人』
アパルトヘイトなど硬派なテーマを書いてきたイメージが強かったこともあり、このようなマジカルな恋愛小説を書くなんてという興味から読んでみました。老ピアニストの恋というと老いらくの恋という死語を思い出しますが、そのようなロマンティシズムは感じませんでした。
気楽に読めて良かったと思いますし、各部にちらりとクッツェーの書いてきた世界の険しさが顔を出すようなところもあり、一筋縄でいかない小説です。彼の小説を最初に読むならおすすめはしませんが。
美術書・学術書
①I. バーリン『自由論』
「消極的自由」「積極的自由」などでおなじみの本。自由とは何かを真摯に考えたもので、これまでの政治思想をまとめたうえで提起する考えの明晰さと深みに感銘を受けました。自由を超えて真理など、「一なるもの」への懐疑と多元的な世界そのものを見つめる慎重な強さがここにあります。
ジャンルが違うとはいえ、現代作家や芸術家の思索はこのような本で展開されるものと比べてしまうと、薄っぺらく感じてしまいます。
②林志弦『犠牲者意識ナショナリズム』
自分たちの優越を訴えるのが一般的なナショナリズムだとすると、これらは「私たちは被害者です」「私たちの方が犠牲が多かったです」と真の犠牲者の座をかけて争われる錯乱したナショナリズムについて精細に調べ上げた一冊。
集団的な記憶により、直接被害を受けたわけでもない世代が「世襲犠牲者」としてそのナショナリズムを全開に政争を繰り広げる様は狂気的に見えますが、日本も、いや世界中が無縁ではいられない現象です。現代社会について考えたい場合の必読本がまた一冊増えました。
③山内朋樹『庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学』
世評が高かったので読んでみました。ほとんどが建築雑誌か観光ガイドの文脈で紹介される庭園ですが、ここでは作庭の過程から詳細に書かれており、ありそうでなかった庭園論だなと思います。ひとつひとつ確かめるような息遣いで進む文章も素敵です。
焦点が当てられているのは過程であり「詩学」ですから、庭とはこういうものでこう見ましょう、ほら、見方が深まったね、というような知的カタルシスは当然ありません。文章のリズムに合わせながら黙考して読んでいくと、色々と他分野に応用できそうなアイデアの種が見つかります。
インスタレーション系の作品を企画している、挑戦したい人には意外にも参考になることが多いはずです。