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外道から来た女史
一、
元来より腕白で手のつけられなかった女史は、母親に腕を引っ張られて無理矢理極真空手道場に入門させられた。後から聞いた話では、極真空手でもやらせておけば、人様の痛みが分かるようになり、少しは横暴な振る舞いも改めるだろうという算段だったらしい。その期待とは裏腹に、女史は道場の中でもその暴力性を発揮して門下生に容赦のない拳固や蹴りを食らわし、終いには年下の男子の金的を蹴り飛ばして気絶させ、師匠にさえその残虐な性格を呆れられて外道呼ばわりされる始末だった。おまけに学校でも道場で身につけた極真の技をクラスメイトに使ってみたり、人様の痛みがわかるどころか、より強い力を身につけた女史の攻撃性は増すばかりであった。自分の読みが外れた母親は、今更道場を辞めさせることもできず、閉口するばかりであった。
結局女史は空手をのらりくらりと8年間続け、高校受験を期に辞めた。頭に血が上りやすい性格が功を成したせいで脳味噌は頗る働くらしく、学業成績は良い方であったから、地元の進学校を受験した。しかしこの頭の良さとガサツで傲慢ちきな性格が祟り、受験には詰めが甘く失敗し、両親に大目玉を食らわされた。
「あんたの姉でも受かった高校に落ちるなんて、家の恥だ」
などと言われたが、正直そんな都合は女史の知ったことではない。第一、女史の家は代々水呑百姓の家系であり、生まれた時から恥も糞もあったものではないのだ。父親は仕切りに、
「俺の家は大きな土地を持っていた名主で、村では代々畏敬の目で見られていた」
などと言い聞かせるが、女史にはどうもそれがただの苦し紛れの言い訳にしか聞こえないのであった。
二、
そんなこんなで滑り止めの阿呆ばかりの私立に入った女史であったが、ここでもどうにも暴れたい欲望が止まらず、高校の教諭からはやはり乱暴もの呼ばわりされていた。そんな女史に反省などする気は毛頭なく、教諭やクラスメイトを馬鹿呼ばわりしては腹の底では見下していた。そうは言ってもやはり頭だけは良い生徒だったので、教諭もクラスメイトも嫌味は言えど、追い出すほどの処分には踏み切れないのであった。
あまり居心地の良い高校生活ではなかったが、高校受験失敗の苦い思い出を回避せん一心で勉強した女史は、めでたく東京の名門私立に進学することになった。やはり私は周りの田舎っぺの阿保とは違うのだ、などと鼻高々としている女史なのであった。
ところが女史は、入学式にて洗練された米国や欧羅巴製の洋服を着こなす東京育ちの坊ちゃん嬢ちゃんをみて、水呑百姓の家系に生まれたことを恥じて心底恨むこととなる。式中、行き場のない恥ずかしさで握った拳を自分の腿の上でもぞもぞさせながら、俯いた顔の上で目玉を白黒させていた。この大学で百姓の子は自分しかいないのだから、心を入れ替えて謙虚に学問に集中せねばならない、などと一人心の中で呟いていたので、学長の挨拶などは全く頭に残っていない。
それから入学式の誓いを忠実に守った女史は、4年間学問に集中して静かに過ごすこととなる。幼少期に名を馳せた外道少女の名はどこ吹く風、今や女史は成績優秀のインテリ少女になってしまった。そうは言っても三つ子の魂は百まで続くのであって、生まれつきの残虐性はうまい具合隠しているだけで、無くなってしまったわけでは決してなかった。
三、
大学を卒業した女史は、米国資本の会社に入った。その会社は、経営に関する助言などの業務を行う怪しげな商売で金を儲けているらしかった。当時世界経済では落ちぶれてしまった日本にしては給金が高い方で、おまけに高嶺の花と巷では呼ばれる会社でもあったため、上っ面を気にする高慢ちきな女史はこの仕事の誘いを二つ返事で受けたのだった。
その華の会社に入って見たものの、実際はこれがまたとんだ食わせ者の集まりであったことに女史は憤慨した。耄碌した日本人のオヤジ共が偉そうに若手相手にウンチクを語ったかと思えば叱咤していたり、鈍臭い中途採用のボンクラな日本人や外国の男共がナメクジのようなスピードで仕事をしているのであった。女史は入社当初はそこそこに高い給金に免じて真面目に仕事をしていたのだが、途中から馬鹿馬鹿しくなり、蘊蓄オヤジやナメクジ男の無能さを社内上層部のお偉いさんの耳元で囁いたりすることに精を出してみたりした。こういう政治的な部分は、倫理や正義感の概念がない女史の得意とするところらしく、やはり幼少期から外道呼ばわりされていただけはある、などと自分でも買い被っていた。
それにさえも飽きてしまった女史は、かねてより得意だった経済学でも勉強してみようかと、海外の大学院を受験してみた。これがまた根気のいる気の遠くなる様な道だったのだが、当時の会社に飽き飽きしていた女史にはある意味でいい気晴らしでもあった。結局女史は経済学界の長とも言われるような英吉利の名門大学院に合格通知をもらい、英吉利に引っ越すことになった。
まあ自分なら受かるだろう、と、いつもの高慢な態度で合格発表をのんびりと待っていた女史にしてみれば当然な結果であったから、会社に早速退職を伝えて仕事を辞めてしまった。
いざ家族に移住を報告してみたところ、水呑百姓の家系の女史には海外に移住した者などいないので、一家は大騒ぎになった。高校受験の時とは裏腹に、
「お前は一家の誇だ」
などとほざく都合の良い父親に呆れつつ、授業料はしっかりと出してもらう約束を取り付けた。母親なんかは英吉利の大学院事情などにはてんで興味がないらしく、上の空で相槌を打ちつつ、勝手にしろという風な態度であったが、これまた小遣いだけはしっかり貰ってきた。姉に至っては元々気前のいいタチであるから、可愛い妹が英吉利に行くことを悲しみつつ、大金を持たせてくれた。女史は、返す返すと口では言っていたが、もちろん倫理観など持ち合わせていないこの娘に金を返す気などさらさらないことは家族も内心気づいているらしかった。しかし、厄介な子供ほど可愛く感じるらしく、返ってこない金と娘とを家族が天秤にかけることもなかったのであった。女史も、生い先短い両親と大して能力のない姉が金を持っていたって仕方がないから私が使ってやるのだ、などという本音を言ってみる利点は見つからないので黙っていた。
四、
資金調達を易々と終えて、いざ英吉利に行くこととなった女史は、あっちで何をしでかしてやろうかと思いを巡らせた。聞けば、英吉利では社会制度は日本なんかよりもずっと進んでいて多人種が入り乱れて暮らしており、色恋だって無論のことやりたい放題であるらしい。百姓の家系で育ってきた黄色人種の女史にとって、進歩した社会制度が如何なるものなのか、想像するだけで目が好奇の色に変わる。色恋に関してだって、水呑百姓出身の女史でも2、3は経験してきたとはいえ、あちらの進歩と比べると途方もなく霞んでしまう。英吉利に勉強しに行くとは言っても、勉強だけしていても始まらない。あっちで黄色人の視点から社会制度の蘊蓄を垂れる色気狂いにでもなってやろうか、などと考える女史であった。色気狂いで蘊蓄好きな黄色人の経済学者とはなるほど、聞こえは子憎たらしく、女史の気に入るところではある。
そうは言っても、せっかく面白いことをやるのだから、誰かに見てもらわねばその面白みも半減するものだと考えた高慢で目立ちたがりな女史は、近年若者がこぞって使っているらしい世界通信網上の文書投稿場に記事を投函してやろうと考えた。
その第一本目が女史が机に向かって英字鍵盤を打ち付けながら書いているこの文書であるのだが、第一こんなものを一体誰が読むのだろう、などと考えながら女史は闇雲に手を動かしている。蒸し暑い夏の気温に加えて、外では雨が降っていて窓を閉め切っているから女史の部屋の気温は砂漠と熱帯雨林の悪いとこどりといったところだ。カラカラと音のする年季の入った埃まみれの扇風機を隣で回しながら、背中にはじっとりと汗が滲み出てきて、水分を含んだ白シャツの上から女史の筋肉の流線が浮き上がってみえる。空調機の風は骨に響いて悪いと考え、夏でも頑として熱気に耐えている女史の風体は、さすが亜細亜の野蛮人といったところである。ひっきりなしに動かしている腕には、肘から手首にかけて粒となった汗が噴き出ていて、英字鍵盤を湿らせている。そんなことにはお構いなしといったような無表情でパチパチと電子回路付きの薄い板に骨ばった指先を叩きつける女史の頭の中では、異国の地での新たな色気狂い蘊蓄学者としての物語が既に浮かび上がっているらしかった。
何を思い立ったか、女史は手を止めて大きな伸びを一つすると、汗で重くなった白シャツを脱ぎ捨て風呂場に向かった。水風呂で汗を流して、頭に浮かんだシナリオを整理する算段だろう。自分の水呑百姓の習性を嫌っていながらも、夏は水風呂といった如何にも田舎の粗野な人間らしい行いをしてしまうことに後から気づいて自分の出自に悪態をつくこの外道から来た女史の光景は、側から見たらまるで精神分裂患者であろう。
兎にも角にも、それに合わせるようにして本稿もここまでで筆が置かれることを名残惜しく思いつつ、私も女史の動きに合わせて水風呂に浸かるしかなく、筆を置くこととなった。