一、 元来より腕白で手のつけられなかった女史は、母親に腕を引っ張られて無理矢理極真空手道場に入門させられた。後から聞いた話では、極真空手でもやらせておけば、人様の痛みが分かるようになり、少しは横暴な振る舞いも改めるだろうという算段だったらしい。その期待とは裏腹に、女史は道場の中でもその暴力性を発揮して門下生に容赦のない拳固や蹴りを食らわし、終いには年下の男子の金的を蹴り飛ばして気絶させ、師匠にさえその残虐な性格を呆れられて外道呼ばわりされる始末だった。おまけに学校でも道場で身
「例え天変地異が起ころうとも、ニッポンには帰りたくない。」 外道から来た女史は、手のひらに爪が食い込む程に硬く拳を握り込んだ。女史の手の甲に青い血管がムクっと浮きだし、その中を真っ赤な血がドクドクと波打って流れていた。 ニッポンにいたころの女史は、自分の居場所を闘って勝ち取ることに必死であった。女史はマイノリティとして生まれ、多くの差別や屈辱を経験してきただけに、居場所というものは他人を屈服させ、自分のために道を空けさせることによってのみ得られると歩考えていた。故に、女史
筆者解説(筆者プロフィールはこちら): 本稿は、連日話題となっている「人の生きる意味と価値」について私の考えを書いたものだ。私は、人の生きる意味や価値は他者から評価されるようなものではないと考えている。ましてや、職業のような、人間という一生物が作った虚構の世界での役割で評価するなど、もっての外である。我々は一体いつ、荒野で生き延びんとする猛々しいただの獣から、幻覚という鳥籠で飼われる軟弱な鳥になったのだろうか。 本編: 「己が今やっていることが世の中の人のためになっている
煩く鳴き続けるセミの鳴き声でおかしくなった耳を苦し紛れに綿棒でほじくりながら、女史はおもむろに古ぼけた文庫本を引っ張り出した。かすれた文字で「愛の渇き」と書いてある。三島由紀夫によって昭和の時代に書かれた小説であり、三島の作品の中では特段有名なわけでもない作品だ。しかし何故かこの作品は特筆して女史の気に入るところらしかった。三島の作品の中で最も汗と筋肉を美しく描いていることがその理由であった。 女史は日常的に人間の肉体美とは何かを考えているような人間であったから、筋肉