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徒然なるままに84『映画ドラえもんは新旧だけではないもうひとつの節目がある』

定期的に映画ドラえもんを最初から見たくなることがあります。
まあ、そういう時は心身ともに疲れているときが多くて、子供時代に戻りたいという願望なのかもしれません。

さて1980年の『のび太の恐竜』から見始めまして、今は22作品目『のび太と翼の勇者たち』を見ているところです。
まだ俗に言う旧ドラえもんの映画を見ているところです。
主に新旧とは大山のぶ代氏のドラえもんが旧、水田わさび氏のドラえもんが新となるわけですね。
実は大山のぶ代氏の前にさらに二人いるわけですが、ここではややこしくなるのでメジャーな二人を新旧とします。

さて自分は旧ドラえもんで育ったので、やはり旧ドラえもんの声がしっくりくるのです。
もちろん新ドラえもんを聞いても、違和感なくドラえもんと認識できますし、「あれ、旧ドラえもんってどんな声だったっけ」と上書きされるくらいのパワーはあります。
別に新ドラえもんが悪いとか嫌いというわけではないので誤解なきよう。
育ってきたというのは、どうあがいても超えられないものです。
改めて旧ドラえもんの声を聞くと故郷に帰ってきたかのような懐かしい感覚を覚えるのです。
逆を言えば新ドラえもんで育ってきた方には旧ドラえもんのしっくり感は感じないんだと思います。

さて本題ですが『映画ドラえもんは新旧だけではないもうひとつの節目がある』 です。
前述の声優ではなく、今回見返していたら明らかな節目を感じたのです。
その作品は、


1997年の18作品目『のび太のねじ巻き都市冒険記』


何だかいつものドラえもんじゃない空気感と言いますか、なんか違うなって感じる部分が多いんですよね。
具体的にと言われると難しいのですが、独特の一匙のダーク感だったり、こんなことするかなっていう動きをする感じがあるのです。
ドラえもん好きな方は既に気づいているかとは思いますが、藤子・F・不二雄氏が執筆中に亡くなっており、後半は残されたアイデアノート等を頼りに作り上げた作品だそうです。
そこからの映画ドラえもんは何だか伸び伸び作っていると言いますか、武田鉄矢氏の曲は使われなくなり、当時の曲、当時の顔みたいな歌手を起用、感動の演出等々、今っぽいドラえもんに明らかに舵を切っている感じがします。
大きな節目、いわばビフォア藤子、アフター藤子を感じてしまうのです。

特に藤子・F・不二雄氏が亡くなったからと言って、映画ドラえもんの魅力が消えたかと言うとそうでもありません。
亡くなったあとの数作品は違和感を感じてしまいますが、興行収入や観客動員数はコンスタントに叩き出していますので市場に影響はなかったようです。
自分もアフター藤子作品である『のび太と翼の勇者たち』、『のび太のワンニャン時空伝』等々は好きな作品のひとつだったりします。



そんな感じで旧ドラえもん(ビフォア藤子)、旧ドラえもん(アフター藤子)、新ドラえもんの3つが大きな節目に感じます。
そんな新ドラえもんも気づけば次回で19作品目、あと数作品で旧ドラえもんを超えると考えると感慨深いものです。
そんなドラえもん、藤子・F・不二雄氏が最後にスタッフへ書いた手紙の一文を綴って終わります。

「『藤子プロ作品は、藤子本人が書かなくなってからグッと質が上った』と言われたらうれしいのですが」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E3%81%AD%E3%81%98%E5%B7%BB%E3%81%8D%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%86%92%E9%99%BA%E8%A8%98

今日はこの辺で。


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