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異なるものを受け入れようとするときに邪魔をする、わたしの中の「バイアス(思い込み)」 ~異文化理解という観点で~

こんにちは。GCRMパートナーズの杉山です。
 
GCRMパートナーズは、グローバルコミュニケーションに関連する研修を提供しています。今回の記事では、そのコンテンツの1つである異文化理解についてお伝えします。

そもそも異文化理解研修の目的とは?

一般的に異文化理解研修は、以下のようなニーズがある場合に提供することが多いです。
 ・ 海外への赴任前研修の一環として
 ・ グローバルで実施するプロジェクトが始まる前のチームビルディングとして
 ・ 逆に、外国の方が日本で勤務する前の準備研修として
いずれの場合も、「これから一緒に働く人の国々の文化や背景が異なることを理解して、互いの文化に敬意を持ち、文化の違いがあることが仕事の妨げにならないようにしよう」というのがゴールです。

アンコンシャスバイアスという概念

さて、ここで、異文化理解とは異なる概念である「アンコンシャスバイアス」について簡単に触れたいと思います。
アンコンシャスバイアスは、「無意識の偏見」または「無意識の思い込み」と翻訳することができ、私たちの誰もが持っているものです。
無意識のバイアスを心の中に持っているだけであれば特に害はありませんが、しかし、これが仕事場や日常生活でおかしな形で表出すると、

 ・(自分と異なる考え方や行動をする人に対して)「なんであいつはあんなことをするのか?」と一方的に否定的な気持ちを持つ
・ たとえば、小さな子供を持っているワーキングマザーは出張は無理、と思い込む(本当は、パパに預けて、出張は問題なくできるとしても)
・ または、いまどき、これを信じている人は少ないかもしれませんが、血液型で「あの人は、A型だから緻密なはず」とか、「O型だから大雑把な人」なども、ある意味のバイアス
 
などのように、他人を傷つける発言をしてしまったり、または、自分の本意ではない決めつけをしてしまう可能性があります。
 
そのような事態を避けるために、アンコンシャスバイアス研修では、「あなたの ”普通“ は、他人の ”普通“ とは異なることを理解しましょう」と、いたって当たり前のことを解説し、
また、自分のアンコンシャスバイアスが悪さをしていないかを再度認識するために、怒りを感じた時や、「あれ?」と思った時に瞬間的に感情を爆発させる前に、「これはもしかして自分のバイアスではないか?」と、一旦立ち止まって考えてみる、などの回避策もお伝えします。
 
そして、このアンコンシャスバイアスの概念と異文化理解を合わせて考えてみれば、異文化理解とはまさに「バイアスvsバイアス」 のせめぎあい。
  私の文化 vs あなたの文化
  私の常識 vs あなたの常識
  私の「普通・当たり前」 vs あなたの「普通・当たり前」
それぞれが、自分の(文化の)常識で仕事をし、さらに自分の(文化の)常識が正しいと思い込むことが要因となるトラブルは少なくないことでしょう。
しかし、自分にバイアス(思い込み)があることを正しく認識できれば、「これって、相手は別に悪気でしているのではなく、単に違うだけでは?」と冷静に考えることができ、トラブルが大問題に発展する前に回避できるのではないかと考えます。

日本人も、みなそれぞれです

そのような考え方で、改めて異文化理解研修を見てみると、「意外と怖いなぁ」と思うのが、よくある「ロールプレイイング」のワークです。
たとえば、アメリカに赴任する前の日本人受講生に
「では、アメリカで次のようなことが起こったら、あなたはどう対応するかロールプレイをしてみましょう」というお題が出たとします。
そして、アメリカ人役を演じる、別の日本人受講生が『 大声で怒鳴りまくり、強烈な自己主張で、真っ赤になって自分の意見のみを言い放つ 』などという場面を見たことはありませんか?
私は、あります。しかも、何度も。
 
同様に、ドイツ人なら「冷たく、論理的に話す人」、イタリア人なら「陽気で、食べることが好き」などなど。これらは、いわゆる「ステレオタイプ」というものです。
アンコンシャスバイアスの概念から見れば、これはもう異文化理解の真逆である、「バイアス植え付け」ワークとも言えるような研修になりかねません。
赴任直前のどなたかに、わざわざ「ステレオタイプ」を植え付けてから現地に送り出すような、ある種ブラックユーモア的な状況です。
 
ロールプレイのワークがすべて悪い訳ではありませんが、その終了後に、植え付けたステレオタイプを解く呪文を唱える必要があります。
とはいえ人はそれぞれ違うので、現地で働くときには、また、日本に来た外国人と相対するときは、必ずその本人とよく話して、その個人をよく理解するように心がけましょう。」と。
 
私たちは、日本に住む日本人です。その日本人が全員、まったく同じ考え方で、同じ行動をとるわけはないことは、自分の身で考えれば誰でもわかることなのに、なぜか異文化となった瞬間に「あの国はXXXだから」となり、それに1つも疑いを持たなくなることには、怖さを感じます。
たとえば、フランスから日本に赴任してきた上司が、「赴任前に研修を受けてきたけど、日本人って、みんなXXXXXだよね。」のようなことを軽々しく口にしたら、または、そういう行動を取ったら、さらに、そのXXXXXが自分とはまったく異なることであれば、誰もがイラっとすることでしょう。
日本人以外も同様に感じるだろうということを、私たちは理解しておく必要があります。

まとめ

各文化に、その文化ならではの特徴があり、傾向があることは事実です。
その国を訪れる前や、その文化の人と一緒に働く前に、傾向を知っておくことは大事なことですが、それと「そこに住む人は全員、そのような考えを持ち、そのような行動を取ると思い込んで、十把一絡げの扱いをすることには、大きな隔たりがあります。
異文化理解では、これを正しく解説することが非常に重要だと私たちは考えています。
 
日本で「異文化理解」とよばれるテーマは、英語では「クロスカルチャー」という名称です。最初から相手の文化を「異なるもの」と見ている日本と、「文化をまたぐ」という認識のその他の世界。
このあたりのアンコンシャスバイアスから変えていかなければいけないのかもしれません。