未来人たちは、終電で総武線を走る。
写真を通さなければ、関わりを持てないものが沢山ある。僕にとって渋谷はそのひとつだ。
破壊と再生を繰り返し、進化し続ける渋谷と言う街は、自分には場違いなのではと感じる事もあるが、不思議と居心地が良い。
社交的な人も多く、缶チューハイを開ければ乾杯の言葉が至る所から飛び交ってきて、それぞれの個体が吸収と分裂を繰り返す。その光景は渋谷と言う生き物が進化の過程に起こす細胞分裂の様にも見える。強制的に自分も渋谷の動脈の一部に組み込まれる強引さが、自分に欠けている社交性を刺激する。特に宇多川交番前のマミリーマートは一種のコミュニティーになっている。
しかし渋谷区は令和5年9月1日から迷惑路上飲酒ゼロ宣言の名の下に、毎晩パロトール隊が路上飲酒の自粛要請活動を行うという。とは言うものの、もうすでにパロトール隊が路上飲酒を鎮圧する動きがある。
どのくらい効果があるかは未知数だが、今まさに変化に直面している事は間違いない。確かに迷惑を被っている部分もあるのだとは思う。迷惑路上飲酒ゼロ宣言が活発になる前にこの情景を記録しておきたくて、最近はよく通っている。
人も街も急に変化し、他人は変わった事も、そこに存在した事も忘れ去る。これは渋谷に限らず起こっている事だが、渋谷は特に流れが速く可視化しやすい。そう言う事柄が個人的には寂しくて、日常的には関わりはないが他人事には思えない繋がりが通ってるうちに芽生えた。
そしていつも大体、4時間ほど歩き飲みをしたりして疲労困憊で終電に滑り込む。
とある新宿から総武線中野行きの最終電車。写真仲間のナッツさん、ハマさんと一緒にあれこれ話しながら帰る。時には写真について熱く語る時もあれば、全く関係ない話もする。僕にとってこの時間はとても好きな時間だ。
終電は乗車している人々がどんな1日だったかを観察できる。
中野駅手前で電車の速度が減速しだした。
車窓から見える薄暗い中野車両基地が、
映画のエンドロールの様にゆっくりと流れてゆく。
車窓と車内の明暗と速度差が異空間へ紛れ込んだ様に錯覚した。
週末の終電は寝落ちしている人も多い。
気づいたらハマさんも寝ていた。
ここで幼少期のとある記憶が浮かぶ。
ある夜。翌日に親戚と遊園地へ行く予定となっていた。僕より年下の従兄弟は先にぐっすり眠っている。それを見て僕は「未来人だ。」と思った。
自分も明日の遊園地を楽しみにしているが眠れずにいる。一方で従兄弟に寝ている時の意識はない。
つまりもう彼の意識は遊園地へ向かっているのだと。そう話すと母親や叔母さんに笑われた事を覚えている。
そんな話をすると、ナッツさんは「でも眠っている人は止まってるから、実際は置いていかれてると思う。だから起きてる僕らが未来人です。」
そういう発想もあるか。
あの頃から誰かが寝ているのを見ると僕はどちらかと言うと取り残された気持ちになる。世の中には2種類の未来人が存在するんだな〜と知った夜。