甘いぶどうジュースのような読後感【書評/明け方の若者たち】
「村上春樹を高級なワインだとすると、明け方の若者たちはぶどうジュースみたいな感じ?」
これは、カツセマサヒコ著の小説、「明け方の若者たち」の感想を聞かれた時の僕の正直な感想です。小説の醍醐味かもしれない、”共感”がこんなに?ってくらい詰まってます。面白いのが、多分皆さんも実際に経験したことはないんですよね。
経験したことないのに、共感してしまう。Twitterエモエモバズりツイートが得意なカツセマサヒコさんだからできるエモエモ小説でした。
例えば、恋をすることになるヒロインの容姿を説明した文章がこちら
俺のタイプじゃん
東京の大学生がみたらきっと共感する文章
僕の想像上の大学生の姿です。正直、こうった感じで小説全体がエモい出来事や、風景描写で包まれています。
イタい自意識削りあいの「勝ち組飲み会」、カップルで旅行する際に買った「写ルンです」、クリエイティブな仕事ができなかった会社員2人の話す「実現されないクリエイティブ話」
以上にあげたのが、なんとなく経験したことないのに共感してしまうポイントの一例。
だが、これは、もしかしたらAVと同じかもしれません。実際には、こんな大学生はいないし、こんなカップル、風景、出来事、いろいろすべてどこかで見たり聞いたりした、きれいなところだけをギュッと集めた見栄えのいい作品で、描いたのは全然リアルではないのかもしれません。
それでも、いわゆるTwitterでバズってるようなエモエモ文章が好きな人なら、作り話の世界として、すごい投入できるし、感情移入もしやすいと思います。
ちなみに僕も、そんな読者である1人。
小説家の羽田圭介さんが以前、純文学とは何か、という問いに対しての答えで「自由な文学」と話していました。
エンタメ小説は、基本的に起承転結があり、作者が思う約束された感情へ基本的にはたどり着く小説。しかし、純文学に描かれているのは、それとは対照的に、起承転結も曖昧で、読後感に「この感情はいったい何?」となる複雑な、整理の難しい、理解のしづらい感情へ誘う、自分の複雑な感情を観察するのが純文学、というふうに捉えていました。
なるほど。だとしたら僕にとって村上春樹は上の条件に一致する小説家です。超有名なノルウェイの森と短編作品をいくつかしか読んだことありませんが、一言で作品を読んでの感情を言い表せないし、特にしたくもありません。そんな感じで感情を言い表すのが難しい小説。
ですが、意外と好きな文体で、彼の作り出す世界を見るのも好きだし、読んだ後少しだけ背伸び優越感もある、まるでちょっとワインの美味しさを認識できた感じ。彼の醸し出す味は僕にとっては、大人になったからこそ少しだけ理解できました。毎晩好んで味わいたいとは思わない、一年に1、2回あれば十分な感じ。
それに比べて、今回読んだ明け方の若者たちは、上の条件で行くとゴリゴリのエンタメ小説。皆のなかにあるエモエモあるある最大公約数がつまった感じで、読んでいて気持ちがいい。あぁ分かる分かる~ってなれる楽しい作品です。それでいて、内容もちゃんとしている作品。
小説をぶどうで例えるなら、ぶどう本来の甘さを着色料や、人工甘味料でさらに味付けした感じです。正直、ぼくにとってはそっちのほうがまだ親しみやすいし、味わいやすいですし、意外とずっと飲んでいても飽きない。
なので、初めての小説や、エモい雰囲気大好き大学生とかが、特に楽しく読めちゃう作品なのでは?という感想ですね。さらっと読めて、若者のちょっと苦い青春の思い出。楽しく読ませていただきました。
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