多分一生この主人公と俺は同じだ【書評/何者】
突然ですが、皆さんに質問です。SNSが流行の時代になって人々は…
1.SNSで綴られる言葉はその人の人となりを濃密に表している。
2.SNSに綴られた言葉なんかで人を評価するのは難しい。
正直に答えてほしいです。例えば、インスタグラムのストーリーにおしゃれなカフェでコーヒー+パソコンの画面が映っていて、「昨日3時間しか寝ていないけど、今の環境楽しすぎて続けられる✨ 私も早く成長しなきゃな」
といった投稿があるとします。
この時に、「努力の過程を実況報告するなよ…、『何者』かでありたいアピールに必死か!」と、このような投稿に少し呆れたりイライラしたりするような心が冷える不快感を覚える人は1番です。
別に、この投稿に何も感じない人、SNSの文章でその人のことなんて分からないと思った人は2番です。
もし、あなたの答えた番号が1番なら、朝井リョウ著の「何者」は、そんなあなたにグサグサ共感MAX小説です。グサグサ共感とは、あまり共感したくない感情に対して共感してしまう、という意味の僕の造語。性癖や嫌悪の感情の吐露って心が裸になって恥ずかしいですもんね。
例えばバイトとかで寄せ書きをもらった人が、様々なSNSを通じて発信してるのを見て主人公は…
よくいった主人公!これは重い言葉でいわゆるSNSでの「意識高い系」をくさしてくれるいい言葉だ。僕も含めて捻くれた性格の人たちは、勝手に気に食わない相手の投稿に対して、「自慢したいだけじゃん」みたいな理由をつけて自分はこんなことしない…大丈夫だ…、みたいな感じで気持ちの悪い優越感を感じがちです。
別に嫌なら見なければいいじゃないか…と聞こえてきそうだが、残念。僕はそんなに性格が良くないようです。
でも、上の引用文多かれ少なかれ皆さんにも共感するところはありますよね?SNS時代に、ネットで見る言葉の数々は無視できない大きさですしね。
就活を舞台に、人間の弱さを描いている
主人公は就活を目前に控えた大学生。就活というイベントを通して、4人の”就活生”と深くかかわることになります。主人公を含めた5人の性格がまぁいやらしいというか、リアルというか、こんな人いそう…ってなります。
例えば登場人物の1人、隆良のセリフで
それに対して、主人公の拓人は
と考えるのです。非常に、鋭い観察眼で、言語化が上手い。多分主人公に対して共感してしまう人が多いと思います。
例えば、家族とのいざこざのせいで、留学期間を短縮を強いられ、就活に励む瑞月の「ちゃんと就活しないとだめなんだ」、「がんばらなきゃ」というセリフに対して
共感してしまいます。むやみやたらに「頑張ろう」って言葉を発する人が多くなってしまい、「頑張ろう」が溢れすぎている世の中で、本気の人の「頑張ろう」って言葉には、時に心をうたれ、本当に頑張りたいと思えてしまいます。現代の嫌な一面も、素敵な一面も全体を通して沢山描いています。
こんな感じで人間観察が上手と言うか、ただ単に自分と似ているのかなぁ、読んでいて感情がすっと入ってきて楽しいなぁ、って感じで読み進められます。だからこそ、途中まで読んだ僕は、あぁなるほどねー。この観察眼を余すことなく作品に盛り込んだから直木賞受賞したんだな、途中までで勝手に納得します。主人公が鼻につく奴は自分も鼻につくし、主人公が素敵だなと思えるところは僕にも素敵に思えてくる。
こんな感じでどこか達観して、決してそうではないけど、自分を肯定してもらえる感じがします。自分の審美眼に対してさらに自信がつく。よ~し、次「何者」にでてきたような奴に出くわしたらうまい言葉で僕も言ってやろうなんて思えてきちゃいます。
途中までは。
途中まではすっごい気持ちよかった。それ以降はネタバレになりかねないから書きませんけど。読了後、思った感想が「多分一生この主人公と俺は一緒だ」です。途中で読み終えていたら、もっとこの言葉をいい意味で言えていたかもしれません。
始めに僕が書いた問題に、1番と答えた人に是非読んでいただきたい。話はそれるが、この作品をきっかけに僕は朝井リョウさんファンになっと思います。それくらいの衝撃。あなたは「何者」かになりたいですか?
※ここから大ネタバレ注意!!おすすめは作品を読んだ後に見ること
こんにちは…。いまからネタバレしますよ…?早くブラウザバックしてくださいね…。
この作品の解説文にこういう一文があります。
まさにこの一文がこの小説の魅力。主人公は傍観者の立場で、その他登場人物にああだこうだ言います。まさに僕のよう。自己啓発本や、うっすいビジネス書読んでいる人たちに対して、「アヘン吸ってんなぁ」みたいな感想を抱いてしまいます。非常に性格が悪い。
多分、何物にもなれない自分が、唯一かっこいいと思えるあがきの方法、それは傍観者になることだったのかもしれません。「俺は、あんな馬鹿はしていない」みたいな感じでネガティブなもの、苦手なものを知ることで自分がちょっと特別になった気がする。この傍観者はリングに上がらないから、思いっきり殴られることもない。すべて、結果論からものを言える一番いやらしくて安全な位置です。
そんな、主人公と僕に突き刺さる言葉がこちら
この作品の中で、留学したり、インターンしたり、発展途上国で学校建てたり、就活では誰よりも早く名刺を作った理香のセリフです。
主人公と僕は、上のような「何者」かになりたくて必死に行動をする彼女に対して、カッコ悪いや意味ない、と心の中で鬼の首をとったように嘲笑ってしまいます。
こんな感じで嘲笑っていた対象も、一生懸命に生きていて、あがいていていることを知り、安全圏から石投げるあなたは本当に評価に値する人間なのですか?という問いを痛々しく思い知らされてくれます。
今まで傍観者の立ち位置から馬鹿にしていた当事者たちとの目線が思いっきり逆転するとき、すごく心がキュンとなります。最初に思った肯定的な「この主人公と俺は一緒だ」って感情が恥ずかしくなり、でも性格はそう簡単に変われない、多分これからも「この主人公と俺は一緒だ」と2周しても同じ感想に帰ってきます。
だが最後の最後、そんな主人公もまた一つ強くなります。自分の中に少しだけ核ができてきた。他人を嘲笑ってからの自信ではない、本当の自信的なものを最後に読者に記してこの小説は終わります。
解説でも書いていましたが、朝井リョウさんはそんな僕たちさえも許してくれているのではないかと示唆していますが、僕も多分そう思います。立場逆転シーンも完全に僕たちを殺しにきていない。複雑な感情が流れる人間を認めている風にも受け止められます。
多分、人それぞれの解釈があるので、ここでは自分の思う解釈を一通り文字起こししてみました。とてもいい作品です。楽しく読ませてもらいました。
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